2022-01-01から1年間の記事一覧
「自分探しは死ぬまで続くのか? 「自分探しに旅に出たのは30歳の時であった。晩い青春であった。 「自分を総括するためにパソコンを買い ブログを始めたときは80歳になっていた。我ながら「ドン臭い奴だ」と嗤うしかない。 単純計算をしても50年余も旅をし…
2月にはロシアのウクライナ侵攻があり その以前から南シナ海ではチャイナの無茶な土木作業が続いているし 正直言って「理不尽な弱い者苛めは止めてくれ・・・」と言う悲鳴だったんだけど 今度は理不尽な暴力沙汰です。41歳の男が元総理大臣を殺害した。問…
言葉は中身が理解できなければ味も素っ気もないものです。 統合失調症とか言われても昭和人間にはピンとこない。 「分裂症云々・・・」と言われると「あ、そうか。ヤッパリ・・・」なぞと パンツの中まで想像出来るものです。 ロシアのウクライナ侵攻のこと…
Jikowsつれづれ#73 ウクライナ侵攻を前にしてロシアの言っていたこと、南シナ海の真ン中で中国さんが見え切ってた姿言動は 俺たちの子供時代に出くわした《苛めガキ》ソックリじゃあーりませんか。 「俺の方が強いんだよな ーーー。わかってんだろ?」 「…
「個人も国家も縄張りとなると・・・・」 ロシアと言う国は どうして ああも他人の国の領土をほしがるんですか 領土侵略・版図拡大なんて何世紀前の話なんです? 国境を接していると〈何時 攻撃されるか〉と臆病風を吹かしているみたいですが 今時、誰も他人…
ロシアのウクライナ侵攻なんてのは 大昔から我々人間界に当然の”生きる“であった日常でしょう。 強い生きものが弱い生きものを襲って食ってしまう あれだよ。昔には日常普通のことだったのでしょうが 最近は というより近代史に入ってからは 少なくなった筈…
かれこれ60年位は昔のことになりますが 私が雑用かかりて働いていました事務所の ボスはボストン出身のビズネス・マンでした。 その彼が「常識」という言葉をよく口にしていたことを思いだしたのです。 なんの関係脈絡もないのに突然の出来事です。 ボスの周…
ロシアの理不尽を前にしても 世の中は「社会の事情。大人の事情」で一杯です。どうも俺の頭ではスンナリいかない。 ですけど 世の中は どうやら「common sense」の方向に解決して行くのではないかと・・・・ ヨーロッパ主導が やはり歴史に合ってんのと違い…
ロシアの理不尽を前にしても 世の中は「社会の事情。大人の事情」で一杯です。どうも俺の頭ではスンナリいかない。 ですけど 世の中は どうやら「common sense」の方向に解決して行くのではないかと・・・・ ヨーロッパ主導が やはり歴史に合ってんのと違い…
#68 ロシアのウクライナ侵攻は 私の体調をすっかり狂わせてくれました。 86歳の体では 俺なりの行動はとれない。口惜しいかぎです。太平洋戦争終焉の時 俺は 満洲国に住む7歳の日本人童児でした。そこにロシア軍(ソビエット・ロシア軍)が乱入しました…
ロシアのウクライナ侵攻以来、私はすっかり体調を崩してしまい、どうも先の見通しが立ちません。 1945年の太平洋戦争終結の時、私は7歳五人家族の末っ子として満州国に生活しておりました。満州国は体制は独立国家ですが、実質は日本の植民地ですから100…
」 少年の頃はヤクザに憧れたものでした。少年の頃と言っても それは小学高学年の10歳前後の頃から中学生まで続いていたかなう? それは無かったとおもう。 俺の中学生時代は渋谷駅前をウロチョロしている時期でした。 安藤組とかいうユニークな組織が地域…
「家出の勧め」は誰にでも覚えがあります。物心の付き始める年頃となると必ずやってくる「悩み事」のようです。私も考え込んだ少年で今昔#65 Jikowsつれづれ〈家出〉 したが 偶然も重なり早い年に童子なりに解決しました。 次に語る事件は私の身近で起き…
港湾荷役は肉体労働の中では最も過酷な環境条件下の仕事でしょう。、と映像物語的には語られてきました。 キツイ仕事、シンドイ労働と言いましても 時と場合によりけりでしょうし、なによりも港湾荷役ともなると どうゆう訳か 労働者個人が背負っている心の…
「アイツは良いところの出だからな…」と 子供の頃に多く耳にしたことを記憶しています。それを言うご近所の心の中もモウ一つ解らない ドコとなく羨望じみた声色なのが不思議でした・ 単なる金持ちの子には使わない口ぶりなのです。金持ちの子には 「ナリキン…
あいつは所詮は馬鹿なんよ。そうなんよ これが最も正確な評価だと本人自身納得しております。 しかしですね もう一寸「益しな言い方ないのかね?」。 本人も残り少ない人生なんだから 嘘半分優しさ半分でナデナデしてやってもいいんじゃないのかね? 「そん…
本卦還りの時は 私は一体何していたのだろう? 7回目のトラでも ボケの虎では一休さんも相手にしないか・・・・ ああ あの父親は未だ存命であったような気がします。多分そうでした。 全て親の所為みたいな”言い方“をすると なんか責任逃れみたいに聞こえ …
少年は お母さんと2人馬小屋に暮らしておりました。令和の時代から見ると70年以上もの昔のことです。少年は10歳前後であったと思います。 この話は大阪西成の共同墓地崖下の小さな立ち飲み屋で耳にしたものです。 以前から気になる老人でした。 歌の文句じ…