今は昔#67ikowsつれづれ 「分裂症---ロシアあれこれ」 中津さんそん

 

ロシアのウクライナ侵攻以来、私はすっかり体調を崩してしまい、どうも先の見通しが立ちません。

 1945年の太平洋戦争終結の時、私は7歳五人家族の末っ子として満州国に生活しておりました。満州国は体制は独立国家ですが、実質は日本の植民地ですから100%日本本土と何事も共有になっています。

 そこに、あり得ないロシアの武力侵攻が起きたのです。

当時 ニッポン国とソビエット・ロシア国の間には不可侵条約が締結されていた筈です。当の中国大陸は国共合作軍(蒋介石の国民党、毛沢東八路軍)と日本軍の戦場でしたが・・。ロシアには関係のない地域です。

 ロシア軍が 広島・長崎の原爆投下後 満州国樺太・北海諸島を侵略したのです。 この時間帯の時系列地図と出来事は詳細が明らかになっております。 これを知る者は神の存在を否定するようになります。

 ご臨終直前、日本にはロシア様に日本の救済助命の段取り仲裁方を哀願していた当局政治家もいたのですから。 人と人との信頼感情なんてのはひと様々ですワ。 

 満州国樺太諸島は 信義的にも国際法的にも 日本とロシア間には戦争などは起こり得ない法秩序下にありました。 我々下世話流に常識すれば 「暴力やらんと約束したよな・・・」

 結果は【レイプと略奪】の暴力嵐でした。 現実のウクライナと同じです。あれから77年も経っているというのに 彼奴らの行動パターンは変わっちゃいない。。 あまりの凶暴さに 「シベリアの囚人部隊」であると言われていましたっけ・・・。 意味も知らずに7歳児は記憶しております。それにしても 時間はかなり昔だよネ。

ですけど 今86歳の私の結論

は「これってロシア人の持って産まれたDNAじゃないの?」

 あれから小生の6・3制の時代、歌声喫茶、60年安保、ガガーリンの「地球は青かった」時間帯は ロシアの人々にとっては最盛の幸せ一杯に浸っておられた時代のようですね。 こんどのウクライナ侵攻の行ざまを見せつけられて知りました。

  どんなに素晴らしいボリショイ・バレーであれサーカスであれ、チャイコフスキーであれ 今日以後は平穏な神経では接しできません。「芸術と政治とは別物」とか「スポーツと政治は次元が云々・

・・」と言い切れるほど俺は訳知りではありません

  Jikowsつれづれ  目も体力も限界ですが このままではウクライナの人間に恥ずかしい。 俺は実際に血を流して戦いたい。若さが欲しい。 義勇兵に応募するのに なにや 法や大人や国家の事情がなにや? そんなもん いくらでも抜けられるワ。法律とは破る為に存在するものでしょう。」

                中津さんそん

 

 

 

 

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