酒と山と児童少年少女物語

Jikows漫画つれづれ#84 「だし巻き卵焼き」

関西では 馴染みの卵料理です。小料理屋 呑み屋 大衆酒場では必ずお目にかかる筈です。なんせ原材料が卵なのだから売値が法外に高くなる事は先ずない。 厚焼きにしろ だし巻きにしろ 能書きを言い出したら切がないけれど「まあ 同じような」ものでしょう。 …

今は昔#66Jikowsつれづれ [暴力団とヤクザ」 中津さんそん

」 少年の頃はヤクザに憧れたものでした。少年の頃と言っても それは小学高学年の10歳前後の頃から中学生まで続いていたかなう? それは無かったとおもう。 俺の中学生時代は渋谷駅前をウロチョロしている時期でした。 安藤組とかいうユニークな組織が地域…

今は昔#59  Jikowsつれづれ中「故郷だけが青山ではないでしょう」 中津さんそん

ど 今昔59Jikowsつれずれ 【故郷だけが青山の処ではないでしょう】中津さんそん 人生到る所青山あり と言いますけれど 人間には各々事情も感情もあります。 「こんな処 死んでもゴメン だ」と 駄々をこねる御仁もいる筈です。 俺 の知っているご先祖さまは曾…

今昔55 Jikowsつれづれ「82歳にして 俺の人生やっとスタートです」 中津さんそん

82才で人生スタートふざけたこといっていいのだろうか?17歳で冬の穂高に散った先輩もいた。21歳で酒を使って自死した同輩もいた。皆んな向学の志に燃えていた好青年であったけど。それなのに・・・。今となっては、老人ならば、その原因を解析することは易…

今は昔#51 Jikowsつれづれ記「大陸孤児(6000字)」 中津さんそん

(梗概) 満州国が消滅してから かれこれ80年がたちます。 満州国とは 中国大陸の東北部に 1932年日本が主導して建国した”訳あり”国家でおんな実は日本陸軍の傀儡政権でした。 日本本土からも二百万人が移住してました。 ところが 1945年日本の敗…

今昔♯50Jikowsつれづれ「今の中国大陸は共産主義下ではないよね、あれ?」中津さんそんhttps://blog.hatena.ne.jp/jikowsnishinari0825/jikowsnishinari0825.hatenablog.com/edit#

昔中国大陸東北部の一角に満州国という国が存在しました。1932年に建て前は漢族・満州族・蒙古族・朝鮮族・日本人の五民族の協和国家というこ とに為ってはいましたが、実は日本の関東軍が策略した日本国の傀儡国家というのが真相でした。当時日本は政情不安…

今は昔♯49 Jikowsつれづれ 「人生なんて バイバイだけでok---ok---] 中津さんそん

「サヨナラだけが、人生よ」と言った先輩もいました。「男と女の間は、サヨナラだけサ・・・」と気取った呑ん平もおりました・こんなご老人は結構なもんですよね。 。 82年老の私は、何が原因やら知りませんけど、最近は心身ともに、とんと不調の毎日です。…

今昔#45 Jikowsつれづれ語り『お母さんが家出をしました・・・」3500字 中津さんそん

(はじめに) 当ブログは 昨年三月に『母を尋ねて三千里』の名でブログしたものです。ところが昨日 「母を尋ねて三千里」という題名のテレビ・アニメが存在することを知りました。世の中には似たようなことを考える方が多いのだな と思ったのですが やはり自…

今昔#44 Jikowsつれづれ 「新聞少年」 中津さんそん

今の時代 新聞少年なんて言葉は全然聞かれない。おそらく若い人は知らないかもしれないし 現代人の中にも新聞少年の経験体験を持つ人は無しに等しくなってはいないでしょうか? 新聞少年とは読んで直感されるように「新聞を配達する少年」を意味する・ 令和…

今昔#43 Jikowsつれづれ語り 「三才児家出をする」2600字 中津さんそん

ジュンが行く方をくらませたのは 親子三人で遊園地に出かけた時のことです。無論日曜日で男は仕事は休みです。男はジュンのお母さんとの結婚が決まったので その記念にもと遊園地行は決められたのでした。 ジュンの母親は二十代半ばと若い まだ学生気分が抜…

今昔#42 Jikowsつれづれ 「漢民族って何んや?」 中津さんそん

82歳の私がまだ二十代の中頃のことです。 何とか用事を見つけては 横浜チャン街(中華街)によく出かけたものです。 若者の狙いは中華よりも街とは背中合わせのギリシャ街にあったと言った方が正解かも・・・。そこは外国航路の下級船員たちの集うクエッショ…

今昔#41 Jikowsつれづれ語り 「老夫婦と20万円」2600字  中津さんそん

昔々と言っても昭和の中頃のことですから差して遠いことではありません。大坂の大和川字 右岸の市営住宅団地に横田夫婦は住んでおります。男は72歳 色黒で肉付きの悪い貧相な年寄りす。女は77歳 ポッチャリ色白のいまだに背筋をピンとさせた上品なご婦人です…

今は昔#40 Jikowsつれづれ 「あいつ臭いで・・・シッシ―」 中津さんそん

きのう三週間ぶりに風呂に入った。徒歩一分の銭湯です。早朝6時からやっている朝風呂だから贅沢なものです。 風呂となっては 私にはトラウマもいいところ。83歳のいまだに「風呂は勘弁してくれ」は変わらない。74・5年は昔になるが 東北地方のある里山郷村に…

今は昔#39 「Jikows新春つれづれ・・・」 中津さんそん

もともと良い人生を送っていない所為か 老いても然したる思い出みたいなものは浮かんで来ない なのに 突然 昔々に忘却の彼方に消えてしまった筈のワン・シーンが頭を出すことがあります。まあ 老人の頭なんて調子の悪いパソコンみたいなもの 突然変異は日常…

今は昔#38 「Jikows正月つれづれ・・・」  中津さんそん

友は年賀状に曰く「登山歴66年に幕を引いた」とのこと。 友と始めて一緒したのは 確か高2のとき丹沢塔が岳であったと思います。。彼は岳人の人生を選び 小生は人間関係“蜜”の人生を選びました。「西田幾多郎・善の研究」の方に沈んで行ったのです。 お互…

今は昔#37 「Jikows今つれづれ・・・」 中津さんそん

年を取るともの覚えが悪くなるというけど 俺の体はいったいどうなってんだ!。老体の調子が悪くなる程度の 並の悪化ではない。孫娘に教えられたドライブを10分経ったら もう思い出せない。これが一回だけのミスではない。三回五回と同じことを繰り返すと さ…

今昔#36  「Jikowつれづれ語り(捨猫物語)」5800字  中津さんそん

つれづれ 現在私は大阪西成に長くリバークを続けておりますが 全国どこに行っても ニュースとかワイドショウの時間になると 渋谷駅前のスクランブル交差点がテレビには映し出されます。駅前はガキの頃の俺の<ヨタっていた処です。東横百貨店は東急となって…

今は昔 【補遺】  中津さんそん

2020年4月18日に ブログ「今は昔」を#1「西田幾多郎 善の研究」からスタートさせました。 書けたことは 実際の事件の所謂(万分の一)にも当たらないものでしょう。。青春の旅日誌みたいな想いであり私としては【自分探し・青春の総括】みたいな気負いもあ…

今は昔#33 『自分探しは 今のところは一応終了』 中津さんそん

今は昔#33 『自分探しは終わった、最後まで自分らしく生きたい」 (はじめに) 職場を辞め 無収入となりましたが 私の環境は何も変わりません。平常心そのものです。嫌な表現ですけど「まあ良しとするか」。 図書館に行き 浪速クラブで芝居を観て 飲み屋…

今は昔#32 「私は変わった」のではない。「やっと抜けたのだ」 中津さんそん

。 (はじめに) 【自分探し】に旅に出たはずです。.渋谷駅から東横線で横浜に向かったのも、つい先だってのことに思えます。いまさら六甲山で【ものを考える】時間を持てたとは・・・。自分でも何年振りかと頭を捻ります。エっ 私はもう青年ではない。四十…

今は昔#31 「人間関係は苦手 子供の時から嫌いじゃ…」 中津さんそん

(はじめに) 保養所で働く者は例外なく住み込みで勤務しています。江戸期の金持ちが持っていました寮と称する別荘みたいなものでしょう。管理人は保安維持が仕事です。たまにやって来る主人の食 事は料理屋からの出前か、自家の料理人を連れて来るかです。…

今は昔#30 『自分を考える余裕が出来た・・・』

(はじめに) 六甲山は素晴らしい。あのタカラズカ文化もこんな六甲のseinが基盤にあっての話なのか、と納得します。 一介の住み込み職人に与えられる居室なんてたかが知れておりますが 青年には「これで十分」。調理人の資格で就職しているのです。「この一…

今は昔#29 「板場の自惚れなんて いい加減にしてや・・・」

(はじめに) 青年は 西成に立ち寄らずに憧れの神戸に向かいました、 六甲山です。板場は 鉄鋼会社の保険組合保養所でした。この山には 似たような保養所がゴマンと存在しています。各れも瀟洒なつくりは所有者の人柄が知れて嬉しくなります。青年が世話にな…

今は昔#27 「包丁一本 晒に巻いて・・・」 中津さんそん

(はじめに) 【美味い】から給食は存在してるのです。【不味い】給食などもともとありません。 学校給食にしろ社員食堂にしろ 食事が保障されているとしたら嬉しいことです。学童の私なら 給食があるだけで毎日登校する元気があるというものです。 社員食堂…

今は昔#26 【食は給食にあり・・・」 中津さんそん

(はじめに) 七十年も昔の話になりますが 我々の給食はコッペパン一個の給食でした。ジャムも牛乳もない。副食オカズの類なんてある筈ない。あの評判の脱脂ミルクさえ無かった創生混乱期でした。いまだにクラス会などでは「俺の足が短いのは脱脂ミルクが飲…

i今は昔#25 「俺の人生決まった 此れで行く・・・」 中津さんそん

(はじめに) 西成に帰りました。 相も変わらず天王寺図書館通いです。神戸を周り伊豆を歩いて 思いは【俺には日常生活の常識が欠落している】。と確っきりとは言葉には出せないシコリです。。不定愁訴 結局酒ばかり。俺と言う奴は本当に「何や・・お前は?…

今は昔#24 「伊豆は文学の里ですか」 中津さんそん

(はじめに) 『誰それが来ていた・・・』なんて 芸能人の名を挙げて女子衆は好くお喋りに花を咲かせています。 天城湯ヶ島は 滝あり牧場ありトンネルあり等々と景勝史跡には事欠かない観光地です。青年が世話になった温泉村は先祖代々の温泉旅館を守ってい…

今は昔#23 「伊豆天城湯ヶ島温泉郷・・・」 中津さんそん

(はじめに) 十五歳の時 友と伊豆半島の無銭旅行を計画しました。無論頭の中は例の「伊豆の踊子」にあやかったものでした。私の家庭の事情で中止となりましたが、。今に至るも青春中断の無念が強く残っているのです。 そんな思いが青年を伊豆に追い向けたの…

今は昔#21 「西成に帰るしかないか・・・」 中津さんそん

今は昔#21 「西成に帰るしかないか・・・」 (はじめに) 私には夜職は本質的に無理です。でも女色と脂粉の職場は憧れの星です。チョットやソットでは手は引けません。なにせ人一倍好きな若い男です。次はウイスキー屋の紹介でした。大阪ビル街に近いかな…

今は昔#20 「十三のネエちゃん・・」  中津さんそん

(はじめに) 十三は新宿と同じく歓楽街です。歓楽街ではありますが 彼我は全く違いました。若者は この仕事がスッカリ気に入りました。何故って? それがタダ酒です卑しい話です。タダ酒が原因だなんて全くやり切れんほど嫌になります 。クラブでの接待はど…