今は昔#66Jikowsつれづれ [暴力団とヤクザ」 中津さんそん

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  少年の頃はヤクザに憧れたものでした。少年の頃と言っても それは小学高学年の10歳前後の頃から中学生まで続いていたかなう? それは無かったとおもう。 俺の中学生時代は渋谷駅前をウロチョロしている時期でした。 安藤組とかいうユニークな組織が地域を仕切っていたかに記憶に残っています。 そこで私は 大人とは言っても未だ成熟しきっていない「若者若者というか大学生大学生というか」、そんなお兄さん達に随分と可愛がってもらったものでした。 勿論それは、当時駅前に働いていた姉が年頃も年ごろ「番茶も出花」のメッチェンでしたので どうやら目的はそちらにあるらしく ガキの方はトンだ馬だったようです・・・。思いでに残る優しい<一コマ>でしたが 何故か 皆んな「知らん内に」ツマラン喧嘩やら出入りとかで消えてしまって・・・・。兄達の五体はボロボロに荒れていたんだよ、私も今になって想うと泣くしか何も出来ないのですが・・・。 人の世は<理不尽>だけですかね・・・

 少年の俺がヤクザにのめりこんだのは 多分に旅芝居の一座の影響があるかと思います。

1947・8年ごろの日本は娯楽に飢えいでおりました。それでも私の暮らしている村にも月に一度は旅芸人の一座がやってきました。 芸人たちは群がる田舎百姓達の前で平気で男と女がイチャツイたりします。 その自由の雰囲気は少年には淫ら心の憧れでした。 羨ましい, 俺も早く大人になって自由にやりたいワ・・・

 一座の演目には 必ず「股旅物」「義理人情のヤクザもの」がありました。 瞼の母 母三人  一本刀土俵入り 桜吹雪に散る女房 とかワクワクするものばかり。 なんか演題を見ただけで筋書きが想像できるような似たりよったりの物でしたが…

 今ここで私は旅役者じゃないけれど 大見えを切りたい。 旅芝居のルーティーンは「弱きを助け 理不尽な悪をくじく」ことです。

ロシアのウクライナに対する行動なんて 単なる苛めを通り越しているでしょ。最低の暴力団ですよね。 私少年が旅芝居で培った<ヤクザの心>とは大分違いました。 哲学だよな。

     Jikowsつれづれ続けます       中津さんそん