今は昔#63 Jikowsつれづれ「「人間さまの”生まれ”とか”育ち”というやつ・・・】 中津さんそん最後は やっぱりお金のこと」 中津さんそん

 

 「アイツは良いところの出だからな…」と 子供の頃に多く耳にしたことを記憶しています。それを言うご近所の心の中もモウ一つ解らない ドコとなく羨望じみた声色なのが不思議でした・ 単なる金持ちの子には使わない口ぶりなのです。金持ちの子には 「ナリキン・・・」と苛め言葉で済んでしまうくせに…、 ですけれど世の中・時代は太平洋戦争敗戦直後の混乱期です。 大人たちは<食うために>すなわち<命永らえる>為に日夜懸命に神経を削っておりました。 それこそ恥も外聞もありません。 命の戦いです。

 大人たちには修羅場の毎日でしたが 児童子供たちには 町は破壊され食い物もない日本と言う島でしたが 21世紀の世界を見渡し比較をしたとしますと  恵まれた環境にあったと言えないでしょうか? 何故って? 汚い少年であっても 「生まれも育ちも違う」なんて陰口を叩かれると 何となく考え込んでしまうのが日本人の子供だったようですから・・・。 お世辞抜きにしても どことなく違いますよね。 人はパンのみに生きるに非ずとか西洋の方では言うらしいですけれど・・・

 少年は「俺はエエところのガキではないか…」と 暗に悟らされたようです。

確かに少は「いいところ」の子ではないようです。 母は読めず書けずの無学文盲、馬小屋の雑用部屋に母子は藁布団に包まっていました。

男親をはじめ数多くのキョウダイ・親類縁者にはサシタル感情を持たなかった少年には現実の無残さにも何ら苦痛を持つものでは無かったのですが この時耳にした「生まれと育ち」が気になり、その疑問は あれから75年過ぎた老人の肉体に未だにへばりついているのですから

。「生まれと育ち」と来たら、当然「高貴な人」となるでしょう。 日本人の貴人好みは衆人の知るところですが 紳士・淑女が敬愛されるのは 何も日本国に限ったことではないようです。 人間が偉い人と普通の人に区別された有史以来

我々の周囲にはヒーロー・ヒロインが溢れています。 現代ものとても貴種流離譚の枝葉末節突然変異なのは否定出来ないことですから。 貴種流離譚は本当に面白い。 人間の集まるトコロには必ずゴロゴロしているし 嘘話であれ 本真ものであれ とにかく真実を語った判決文よりは面白いもんでしょう。

 私事となりますが 40年ほど昔になるアパート暮らしの時です。隣室に統合失調症の中年女がおりました。時々「なんか変」と感じることはありましたが 日常は極々普通の男好きのする美人でした。

彼女が貴種なのです。それとなく、相手を刺激することなく水が流れる如く語り込んでしまうのです。語り終わったときには 相手は100%完全に信じ込んで<感動>しきりなのです。

詐欺師の揺らんです。だだ彼女の場合、知恵の方でボロを出すことが多く、プロの詐欺師としては大成しませんでしたが、 常識の世の中においては随分と罪作りなお婦人でした。

彼女の意識は あくまでも<いいところの御婦人>なのです。 多分 童少女時代からの永い長い憧れであっbたに違いありません。 永い消えることのなかった苛めの恨みを想像するのに ややこしい医学的能書きは必要ないでしょう。

正直言って 統合失調者の振舞は症病なのか性格・人格なのかは俺のような単細胞ストレートおバカさんには判断は不可能です。

と言っても 奴らに人生を踏みにじられた<お人よし>の一人として怨み・ツラミでも一席打ちたいところですが 人の命を84年もやってきた愚老ともなると 「人の生まれ・育ち」に対する俺自身の【深層】自体同じようなもんじゃないの…?となってしまうんだよね

愚老の感情の是非は別としても 年を取るということは本当の嫌なことですワ

あんな<偽者は嫌いだ>    「偽者・本者」の区別は 誰でも容易にできる能力があり 事実やっていました。ですけど 大人になると(皆さん 出来なくなります)・・・・「ハイ 大人の事情です」。

未だに記憶に強い。

いいとこの子は 絶対弱い子を苛めたりしなかった。  どんなに腹減っても 他人の畑から大根引き抜いて食ったりしなかったナ

          Jikowsつれづれ続けます  中津さんそん