2020-01-01から1年間の記事一覧
「働いて 食って 寝る、これぞ人間。」。「働かざる者,食うべからず」なんて言った偉い人がいましたっけ・・。 (はじめに) 西成労働者の家持は皆無です。殆どの労働者は釜ヶ崎に巣くっている日雇いです。いわば”流れ者”です。世間は、この人たちを「勝手…
今は昔#7 「釜ヶ崎、よっしゃ ここをベース・キャンプとする」 中津さんそん (はしがき) ここの匂いが性に合っていました。兎にも角にも 人間たちの破天荒の明るさがいい。各々なにがしかの事情を背負った人たちでしょうが 働いて飲んで食って寝ている分…
今週のお題「好きなお店」 (はじめに) 新今宮駅を降りて向かい側の釜の街に入りました。真夏の大道りは まるで映画撮影のセットみたいに人工的です。 翌日五時に起きて仕事を求めました。国道26号線に沿って細長く広がる霞町の広場にトラックやバスが日雇…
(はじめに) 名古屋の中村町は 隣接して東海道新幹線ホームの工事中で 若者には居場所はありません。,ということは寝場所が無いということです。 困りました。即時 関西では大手の荷役会社に仕事を求めました。その夜から夜勤に入り東海製鉄のクズ鉄相手の…
(始めに) 横浜から名古屋を目指していましたが 途中清水港に立ち寄りました。特別に清水次郎長さんに用事があったわけではありませんが 若い男としては【男の世界】の舞台をチョット覗いて行こうか なぞという生意気根性だったようです。 港の保税倉庫の荷…
今は昔#3 「人間の性善説は ?マークでしょう」 中津さんそん (はじめに) 当時の日誌を見ると 支離滅裂何を書いているのか判読できません。われながら酷い分裂症であったことが知られます。 半世紀以上も前の生活ですが 自分でも必死の旅でしたので今で…
今から60数年前の1960年代の終わりごろの新宿駅前です。何時ものように二幸で待ち合わせました。何時もの山友だちと 青蛾まで足を延ばしてコーヒーを飲みました。。 「ジャー、行くわ・・・」 「うん 元気でな・・・」 東京を離れて もう半世紀以上になりま…
(始めに) 「孫への遺書」が 十五番のうち十番まで漕ぎつけ、先の目途が立ちましたので 老生のお粗末ながら 「今は昔」に手を付けたいと思っています。。当初自分としては「孫への遺書」を終えてからと心算をしていたのですが 正直言いますと かなり年齢的…
(梗概) 太平洋戦争敗北間もない東京エビス駅前広場です。 。 駅を降りて左手には十畳一間のバラックが奥の方まで密集しています。少年の家族三人もここに住んでいるのです。。 少年は小五、剛と名乗ります。。父親はトラック野郎で母親は隣駅の東横デパー…
孫への遺書 六番『母を尋ねて三千里」(3700字) (梗概) キョウダイ三人の五人家族です。 母は幼稚園の男子を水泳教室に連れて行ったのですが 帰りが遅くなりました.帰って来ません。 留守番の小六の女子は 普通ではありえないパニックを起こしており…
孫への遺書 五番「大陸孤児」(6600字) (梗概) 満州国が消滅してから かれこれ80年がたちます。 満州国とは 中国大陸の東北部に 1932年日本が主導して建国した”訳あり”国家でおんな実は日本陸軍の傀儡政権でした。 日本本土からも二百万人が移…
孫への遺書 八番「隣室の赤子」 (11500字) (はしがき) 大阪西成の一角に 昔より大道芸人や日雇い労務者が定宿としている通りがあります。信太山老人は そこの築100年の古アパ-トに寝泊まりしています。贅沢な話ですが隠居所と言うところでしょ…
由紀子が施設にやってきたのは八歳の時です 義父の暴力から逃げてきたのでした。施設は十八歳で卒業ですが。進学でなく就職を選びました 夢でなく 学歴でもなく自立を取ったのです。 スタ-トは大阪のチョコレ-ト工場から始めて 伊豆の温泉旅館の接客仕事に…
正月 夕の八時には爆睡しました。ために テレビの国民的番組をスル-してしまいました。来年に向けて幸先の良いスタ-トとなりました 会は家族食事会で大盛り上がりでした。 七十年来の友の賀状に曰く-富士の「毎度御じゃまします~」は チョットしんどい様…