今は昔#7 「釜ヶ崎 よっしゃ。 ここをベース・キャンプとする。」 中津さんそん。

今は昔#7 「釜ヶ崎、よっしゃ ここをベース・キャンプとする」   中津さんそん

(はしがき)

 ここの匂いが性に合っていました。兎にも角にも 人間たちの破天荒の明るさがいい。各々なにがしかの事情を背負った人たちでしょうが 働いて飲んで食って寝ている分には 皆さん油断がならないほどキラキラしています。 初日の あのシスターボーイなどは典型です、鼻くそほどの翳も感じませんでした。

 世は高度成長期です。仕事は腐るほどあります。日本のライフ・ライン基盤はこの時出来上がったとも、ある意味言えるのですから。。。

圧倒的に土木作業が多いのです。大阪の郊外は建築ラッシュです。日帰りの仕事もいいですけど 金を残すなら一か月二か月の飯場生活も悪くない.飯場生活は”働く“だけの毎日だから 我慢の人生そのものです。。ですけど 百万園を懐にして西成に戻る時のことを思うと何もかも飛んで行ってしまいます。まです。まさに天国釜ヶ崎です。故郷に腹をすかして泣いている女房子供の事なんか トント頭にありません

 年の暮ともなれば 大枚の小金を懐にした真面目出稼ぎ労働者が西成に戻ってきます。

 街に入ったら 先ずは〔立ち飲み〕で一杯 天国へ祝杯とします。止せばいいのに 懐に大金を入れたまま【祝杯】がつずきます。

 気が付いた時には 街の外れの路地裏に「しょぼねん」としした哀れな己れ様でした。こんな泣き言、警察に駆け込んだとてまともに相手にされるもんでなし、自己責任のお粗末でした。    (本文)

 若者は 一か月契約で泉北の飯場に入りました. 広大な丘陵を造成してニュータウンを作るのです。ここは後に「やんたん(young town)」の深夜放送のホーム・グランドとなったところでした。我々の仕事は網の目に張り巡らされた下水道路(

管)の埋め立てです。手を伸ばしても届かないような高い下水管に流れ込んだ水と泥を吐き出すことです。人力以外にやりようがない。割の合わない仕事でした。当然のことですが【トンコ】(職場放棄逃亡です)が多いのです。業者としては 何としても労働者が欲しい所です。

 この飯場に巣くっている国籍不明の逞しい中年男に若者は注意をひかれました。恐ろしく仕事が早い。人手不足の飯場には うってつけの人材です。懇意の者も友達もいないみたいだ。これまた恐ろしく無口なのです。毎日の仕事自体 言葉による指示や命令が必要なものではありませんから別に不便はありませんけど。

怪訝に思ったことは 彼は飯場に寝泊まりしていないことでした。「飯場に通いのアンコ(日雇い労働者)かね・・・」 。

 聴くところによると 彼は【この辺】に生きている○○だ

そうである。時たまフラリと来て酒飲んでいくんだそうだ。布団の中で寝るのが苦手みたいで余りしょっちゅうは仕事はせんけど ゴーシン(飯場の責任者)の嫁さんはなんか知らんけど大事にしてるよ。

若者は意を決して『僕をあなたのやっている山奥の生活に連れて行って下さい』と 二度三度と頼んだのですが これはやはりチト無謀に過ぎました。じろりと睨み返されただけでした。

(おわりに)

 当時世上には 太平洋戦争終結を知らずに 南の島に取り残されていた日本兵が帰還しましたニュースが人びとの関心を呼んでいました。

 「恥ずかしながら帰ってまいりました」と語る横井さん。彼は召集された兵隊で服職人でした。逃亡中はじっと穴倉に隠れて戦闘場面はなかったとのことです。

 一方はあくまでも軍規を守り孤軍戦い続けた職業軍人で下。小野田勇陸軍少尉です。

 この二人の内「どちらに肩寄せるか?」。答える人物の哲学が知れて 酒のいい肴になったものです。

          おわり