今は昔#3 「俺もイッパシの人足じゃ」 中津さんそん

今は昔#3  「人間の性善説は ?マークでしょう」 中津さんそん

 

(はじめに)

 当時の日誌を見ると 支離滅裂何を書いているのか判読できません。われながら酷い分裂症であったことが知られます。

 半世紀以上も前の生活ですが 自分でも必死の旅でしたので今でも鮮明に記憶に残っております。むしろ メモ等は邪魔だとも言いたいところです。

 寿町のドヤ生活も一月にもなりますと 私も恰好だけはイッパシのプロの労働者です。日々の飯と酒は己の肉体で稼いでいるのです。牛豚にわとり兎主体の煮込み丼は若い肉体には最高の馳走でした。ハダカ電球の下で飲む立ち飲みのコップ酒 は美味い。直ぐ酔って直ぐ覚めるとこなんか体に優しい酒だことと涙が出ます。

(本文)

 隣の横須賀港での夜の仕事です。夜勤はとうぜん賃金は割増しとなります。それが狙いです。

横須賀港は軍港です。当時はベトナム戦争の最中です。

仕事の船は小さな船です。 映画や写真で見る軍艦のイメージとはだいぶ違う500トンぐらいの船です。小型であっても デカイ機関銃やチャッコイ大砲が所狭しと乗っかっているところを見ると実際に戦争をしている船に間違いありません。仕事の内容は 船底にぎっしり詰まっている黒い砂をスコップで掻き出すことでした。

人夫の我々には 何の作業なのかサッパリ意味の解らない仕事です。

砂も重油が混じっていてすごく重い。これがどこか別の処にコンベアーで運ばれていく。船底は芝居小屋のマス席みたいに低い鉄柵で区切られています。これが小型ブルが動けない理由でしょう。効率の悪い労働者の出番となったのでしょう。

我々としたら 賃金が良ければ何の文句もありません。。

正直言ってマイリマシタ。頭の上には兵隊が二人見張っているし 夜食の休憩時間も この重苦しい船底から出ることが許されないのです。 外の空気が滅法恋しくなるものです。まあ我慢するか・・・

 時間には正確に約束通り明け方五時には解放されました。

軍港の【苦力】用の湯ぶねは ハダカ・コンクリートの刑務所の風呂と同じです。

 横浜までの帰りは自前でした。基地を出る時 ゲートでは 上半身下半身と念入りに検査されただけでなく〈パンツの中まで〉覗かれたのにはチト驚きでした。

                          おわり

(あとがき)

 普通仕事は 自分たちの組グループか知り合いの伝手で決まります。当時は職安の紹介は微々たるものでした。今夜の仕事はルート無しのやっつけ仕事です。したがって顔見知りは誰もいません。知り合いでなくとも労働者同士は気さくに雑談ぐらいはするものです。それが風太郎(自由日雇い労働者)の人柄です。

 ところが 今夜の人足集団は気味が悪い程〈ダンマリ〉集団です。話しかけても返事もしない。頬をピクツかせるところを見ると聞こえているのだろう。人の話に応える習慣はない人たちです。四角いゴツイ体で。危険と言うか恐怖というか 近づき難い【オーラ】です。

 湯屋の中でも 彼らの入れ墨は 蜘蛛やらバラやら花札やら何某命やら 一見して安っぽい素人入れ墨でした。本物ヤクザの美しい彫りものは一人もいない

怖い怖い 三十六計逃げるにしかず。コンナのを相手にする刑事という職業は本当に大変だワと 妙な処で警察に同情したのでした。。