今週のお題「好きなお店」
(はじめに)
新今宮駅を降りて向かい側の釜の街に入りました。真夏の大道りは まるで映画撮影のセットみたいに人工的です。
翌日五時に起きて仕事を求めました。国道26号線に沿って細長く広がる霞町の広場にトラックやバスが日雇い労働者を求めて日々数百台と集まってきます。トラックの上やバスの入り口では頭取り(あたまとり)が「30人―30人、ワンデイ〈日当〉2000円 ちゃぶ付き(昼飯)」と今日の条件を怒鳴っています。
頭取りの収入は集めた玉の数による出来高払いですから 腕のいい兄ちゃんや貫禄のあるオバサン頭取りは結構な身分なのです。
青年の人柄は即彼らと顏馴染みとなります。花札遊びにも付き合いましたが まるで子供です。話になりません。
仕事は土木の関係が多いのです。仕事の方は物足りないので
すが とに角西成特に釜ヶ崎の生活が性に合っているのか 此処で年を越してしまったのです。
(本文)
ドヤでパンツ一しはつで枚でひっくり返っていました。 名古屋を始発で出てきたからか 疲れたからか いつの間にか眠ってしまったようです。
部屋は畳一畳ほどの天井の低い〈鶏小屋〉です。寝るには十分です。窓もついています。窓と戸口を開けっぱなしにしたら 意外と風通しがいいのです。一本の廊下が回る広い館内は こんなマッチ箱みたいな部屋がビッシリです。 青年は解放感一杯の空間に「ここは天国釜ヶ崎・・・」と白河夜船を決め込んだのです。
気になりました。何か重たいものが覆いかぶさっているのです。
軟らかい肉の固まりであるのを直感します。《何故こんなものが・・・?》
眼ぼけ眼にも「好感の持てるシスターボーイ」です。
「そのまま 其のままにしていてちょうだい・・・」
私は彼女の言うがままに従ったのでした。
恐ろしい街と思っていました西成釜ヶ崎で 第一日目して優しい歓迎を受けて 若者は少々有頂天になってしまったのかもしれません。こんな夢みたいなことばかりの街ではないのに・・・。 まあ いいか!
(あとがき)
今現在 世間はコロナ騒ぎで(テンヤ・ワンヤ)です。 働き口がなくなり お金無い 食うもの無い腹減った 寝る処無い ETC。
先日 テレビで見ました。 NPOのサポーターが活躍している映像です。四畳半の健康的な個室です 用意されているのは。
当時私は 西成釜ヶ崎に職安が存在することを知りませんでした。 仕事を取るのも自力 “めし”を採るのも自力 ネグラを獲るのも自力。
「良い時代」であったとしか言いようが在りません。令和の時代は 《自分一人だけの存在》では生きていけないようです。 人間関係の苦手な若者でも食っていける自由な町でした。
おわり