今は昔#5 「釜ヶ崎って,どんなところ・・・?」 中津さんそん

 

(はじめに)

 名古屋の中村町は 隣接して東海道新幹線ホームの工事中で 若者には居場所はありません。,ということは寝場所が無いということです。

 困りました。即時 関西では大手の荷役会社に仕事を求めました。その夜から夜勤に入り東海製鉄のクズ鉄相手の手作業です。

途中 小雨に風が追いかけてきましたが 急ぎの仕事とかで我々労働者の了解のもと作業は続行です。この分では追加の賃金はかなり多い筈ですが 伊勢湾上の艀の中は寒さは尋常ではありません。 年配の人夫が倒れ通船が迎えに来ます。聞けば 沖縄からの出稼ぎだそうです。

伊勢湾は何の事情なのか 一週間もクズ鉄の仕事ばかりです。 青年の頭の中は大阪釜ヶ崎の事ばかりとなります。。 新宿を出る時からの 釜ヶ崎は一番の目的地であったのです。

(本文)

 港湾会社の寮は港の近くにありました。寮とはいっても大部屋にザコ寝の飯場です。 パスポート所持の沖縄出身者が多いのです。一夕、寮の前の路地裏でバーベキュウです。 伊勢湾の大蛤を一斗バケツで二杯、複数の七輪でモクモクと焼くのです。ジャイアント・サッポロを何本空にしたことやら。

 

(あとがき)

 伊勢湾の蛤とビールのご馳走は軍手姿で貝を焼いてくれた色っぽい婦人の姿と合わせて今でも記憶に強く残っています。

 旅をする若者は 何処に行っても優しくされます。 実は、これが危険なのかもしれません。 知らず知らずの中に 甘ったれ若者に為りかねないのです。

 私の釜ヶ崎憧憬も【そこの処】に在ったのかも知れません。そこは昨年≪釜ヶ崎騒動≫が起こり、一時無警察状態となった処でした。 青年は 映画じゃないけれど そんな無防備都市を空想していたのでしょうか?

                    おわり