孫への遺書 七番「施設の子」(14700字)

 

 由紀子が施設にやってきたのは八歳の時です  義父の暴力から逃げてきたのでした。施設は十八歳で卒業ですが。進学でなく就職を選びました

夢でなく 学歴でもなく自立を取ったのです。

スタ-トは大阪のチョコレ-ト工場から始めて 伊豆の温泉旅館の接客仕事に転職しました。二十代前半の”若い女”の時代には 親父違いの弟を中学卒業まで育てています。

 由紀子の人生に大きくかかわりあったバ-・アリババのマスタ-。旅館の女将、そして老板長の三人はすでに泉下の人となっておりますが 由紀子自身は”安らぎ”の老後を楽しんでおります。

 由紀子は私のタイプの女性ですが もし私の十五歳のころ由紀子の存在を知っていたのなら 俺の人生もだいぶ違ったものになっていただろうに と空想を楽しんでおります。

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(本文)

 18で 施設を出て このチョコレ-ト工場で働きだしてから早いものでもう二年になります。。

働きまくってお金を手にしたときには「ヤッタ!」と叫んだものだ。体はボンボン跳ね上がるしエンジン全開でした。。

先ずお金を貯める 絶対夢をかなえてやる。あいつらを見返してやる 自信はある。

 

 由紀子は八歳の時 両親の暴力から保護されてこの施設に

きたのです。。

 職員さんは 皆メッチャに優しく メッチャに怖い 。子供たちを強くするために 甘ったれにしないために ここの大人たちは必死なのです 今になったら由紀子はよく理解できるのです。

特に食堂の小母さんはキツイキツイ 本当の親より怖い。ご飯なんか食べ残したら大変なことに為る。 施設の子には好き嫌いは許されません。何時も食堂の小母さんにだけは ほんとうのこと言って相談したものです。

 

 

 

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 由紀子は 養父のことは全て忘れた事にしているけど 母親のことは 「どうして? どうしてなの?」と 生涯 絶対許すことは出来ません。。お母さんは子供の私を守ってくれなかったのです。。

あんなに私を可愛がってくれていた母親が あの男の前では私を見放していたのです。 未だに理解できません。

 母の再婚相手としてあの男がやってきたのは 由紀子が小学一年であった

始めは 話の面白い明るい人でした。 時間にも お金にも誠実な仕事人間でした 新しい家族は幸福でした。 

 ところが 男は直ぐ豹変しました。 最低の男や、あんな奴。

酒は飲むし ギャンブルはするし 酔うと生狂い暴力です  もともと中味のない男ですから 弱いものの前で格好つけている偽物だったのです。

 男は家庭内暴力で逮捕されました。 これで暴力から解放された、やれ安心と思いきや、母が「二度と暴力沙汰は起こしません。私が責任を持ちます」と涙を流すし、男は男で「生まれ変わって子供を大事にします」と誓うのです。 世間をだますなんて何とも思っていない人たちで

母は喜び由紀子は絶望しました。

 弟が生まれたばかりでもあったためにか 二三か月は静かで平和な家庭でした。

 案の定 暴力は再発しました。

由紀子は箸がうまく使えない。すると男は「こんなことも出来んのか…」

と、食事抜きで外に放り出される。

「躾は厳しくするぞ・・・」と一人で張り切り 由紀子は殴られ 蹴られ ものを投げられ お母さんは黙って見ている、という地獄です。

 これは もう完全な病気でしょう・・・?

 

 ある日ある時の暴力沙汰の時、近所の人が虐待疑惑の通報をしてくれました。何しろうちは近所でも有名な問題家族でしたけど ややこしい男に関わりたくないので<我関せず>だったのですが流石にこの時は無視できなかったのです。

 養父は逮捕され裁判となり やっと刑務所に入ってくれました。ヤレヤレです。母は生まれたばかりの弟を連れて行方不明となり。由紀子は施設に入ったのです。

 施設での思い出は楽しい事ばかりです。 施設の子は みんな同じような似た者同志です。一旦心が通じるると一生の親友になってしまうのも多いのです。 なにも、施設の子は<ひがみ根性>だけが売りではないようです。

 学園での生活は、話し出したら限がないので省略しますが,残念なことは十八歳までしかおれないことです。

進学にしろ 就職にしろ その不安と希望の青春は 普通の親もとで育っている若者と変わりはありません。

 進学を希望する者には奨学資金が紹介されます。 しかし由紀子は仲間よりは一足早く「中卒就職」の道を選び施設を出ました。

 はやく自立したい。一直線にそれしか考えていない「もっと勉強したい」なんて甘ったれはない。今は 我慢我慢。

 チョコレ-ト会社に就職しました

工場の現場仕事です。あまりフアッショナブルではないけれど 人手が慢性的に不足しているので残業が多くて 結果 貯金ができるのです。由紀子には万々歳です。工場は地方出身者が多い。皆寮に入ります。由紀子も当然の事 寮に入りました。

由紀子の生活は 工場と寮を往復するだけの毎日です。 規則だらけの煩い寮生活 同期入社の女子従業員は200人いたのに一年経つと半分も残っていない。

 しかし 残業代が多いので給料は高い。それで十分である。

周囲は 不平タラタラですが 由紀子は平気です。

計画は着々と進んでいます。 お金を貯める事なんて楽なもんだ。鐚

一文使わなければ良いのだから・・・

 

 二年が過ぎて 由紀子は市内にアパ-トを借りました。

四畳半と狭いけど一畳くらいの板の間の炊事場が付いている。

洗面器程の小さなシンクとガスコンロが置ける位の調理台もあります。

 何よリ由紀子を興奮させたのはユニット・バスの存在です。膝を抱えて入るくらいのチャチな浴槽で しかも便器と一緒の風呂場なんて 最初はチョット抵抗もあったけれど ピカピカのタイルを見ていると これで私も普通の女の子になったのだと感激もひとしおでした。。

家賃は 由紀子の給料には少し高めであったが まあ 平気平気 貯金があります。 隣室のテレビが気になるといえば気になるが 社会的には分相応のつくりなのでしょう。

それにしても 自分の働いたお金で自分の城を持った充実感は 自分でも驚くばかりでした。生まれて初めての感激です。 「よし これからが本番です。何でもやってやる」

自信満満ヤル気十分の由紀子でした。

ところが やってみたら 一人暮らしは想像とは大違い 案外とややこしい。

由紀子は施設以外の生活は殆ど経験がないと言っていい。洗濯くらいは 施設で自分のものは自分でやるのが原則だから出来るけれど 今迄 ”食べること“は一切他人任せであった。なんて言う事ない 施設でも会社の寮でも 自分はお客様に過ぎなかったのです。。この点が 私はやっぱり「育ち」が悪いんでしょう・・・

生活の第一は ”食べること”でしょう。

調理のイロハは 何処の家でも母親が教えてくれます。 由紀子は親なし同然の身 施設では教えてくれなかったし・・・

包丁も使えない 御湯も沸かせない コンロに火もつけられない

施設では夜になると調理場に鍵がかけられる

。夜中に調理場に入り込まないためです。刃物は警戒ものなのです。

 

情けないことに 自分では何も作れない と言って毎日外食ばかりしてはおれません。第一 お金がもったいない。。

「ラ-メン」から始めました。

レンジに点火した時 「ボウッ」と火がついて 思わず後ずさりをして転びそうになった時には キャ-ッと笑ってしまったけれど ほんとうは泣き笑いだったのです。

アンマリ言いたくないけれども あの<ゴミ出し>には 随分とお近所さんには苛められました。 今さら恨んだり悲しんでも詮無いわ。 自分で解決するしかない。 相談する人はいないし、理由はないけど施設に行く気はしない。

 

 

 ラ-メンだけは作れる カップ・ラ-メンではない。ちゃんとしたチキン・ラ-メンです。 湯を沸かして 麺を入れて ウインナ-も入れたし玉子も入れた。 後は三分待つだけ。直ぐ 作るのも食べるのも飽きてしまった。

料理の本を買った。これは由紀子には難しすぎた。何書いてんのか解らない。

 テレビの料理番組だ。土井勝先生と言った。これが最高です。由紀子のような者でも決してガキ扱いしない。要するにバカにしないのです。由紀子は教室では出来が良くなかったので、今まで「一人前のレディ-」として扱ってもらったことがない。教壇からは 幼稚園言葉で説明されたりして プライドを傷つけられたものでした。それが土井先生は違う。この足の短いおじさんに会ってからは いっぺんにフアンになってしまったのでした。

 ヨシ ここは正統派で行くことにしました。

家庭用俎板と文化包丁、手鍋を大小二つ それに電気炊飯器を奮発した。ご飯を機械に任せるようで嫌でしたけれど 今はどうしようもない。

みそ汁は高価な味噌を買ってきたのに 全然みそ汁の味がしない。不味い変な飲み物でした。何故なのだろう? 飲むことは飲みましたけれど。

おかずは肉じゃがでしょう。だけど 肉とジャガイモを前にしたら 土井先生の顔も消えてしまい 100%パニックになってしまった。

肉もジャガイモも玉ねぎも適当に切ってそのままジャボジャボ煮た。味見をして あっそうか 気が付いて 慌てて味噌醤油砂糖を入れたら かなり塩辛かったけど まあ まあ 美味かった。

以上が初体験の奮闘でありました。

 何もかにも 何故こんなに「水っぽい」んだろう?

「だし」の存在を知った時には 「なんだ 食堂の秘密はこれか…」と生意気風も吹かせたし おふくろの味というのも結局は「だし」か、と納得したものです。

 由紀子は だしを削り節からとるようなことは想像も出来ませんが 市販の「粉だし」を使って、この後「塩」の存在を知るのです。賢い女です。

 ホーレン草の野菜炒めが第一歩です。

ホ-レン草を塩だけで炒めたのです。その美味さに驚倒しました。嘘偽りなく こんなうまいもの食べたことはない。ホ-レン草って素晴らしい食べ物だということを知りました。

同じことを三回も繰り返して 三束も一人で食べました。

 だしと塩を知ってからの一年 由紀子の人間が急成長を見せた青春時代でした。

 とにかく毎日の食事が楽しくて仕方がない。 私は もう”お客様“ではないのです。 会社の食堂とまではいわないけれど。六本木当たりのフランス料理ぐらいなら出来るけど・・・

いや―――これは冗談 お許しください 閑話休題

 食事に自信が付いたら 不思議なことに別の自分にも自信が出てきたことです。

オシャレと言うほどの事ではありませんけど 格好つけることに恥ずかしく無くなったことです。スニ-カ-以外のかかとの高い靴も買いました。予定もないのに 外出用の黒のス-ツも買いました。一度着てみたかったのです。自分の部屋で一人で着て一人で満足しました。

 由紀子は学園でも三本の指に入るほどのフダ付きの勉強嫌いでした。 それが この頃やたらに本を買うのです。 作りごとは嫌いだから 小説本でなく専ら伝記本です。

 寮の同僚は そんな由紀子の不似合いな好みをからかっては面白がっているのでした。本心は苛めたいところなのでしょうが 由紀子は四年在職の古株ですから それはできません

 正月も過ぎて やがて一月十五日、成人の日です。

成人式を控えた由紀子の姿からは あの施設のウブな子を想像することは出来ません

 「お酒は二十歳を過ぎてから」と言います。由紀子も二十歳直前です。

 成人式には故郷に帰る同僚が多い。由紀子は学園から誘いを受けたけれど断って会社主催の成人式に参加した

多分会社の会場なら居ないだろうと思っていたけど やはり振袖がいたのには 何故かガッカリした。由紀子は 無論待ちに待っていた「黒の大人のス-ツ」である。

街中で振袖に出会うと 無性に「己の黒のス-ツ」が誇らしい。

 成人式の夜 ワイワイと仲間と酒を飲んだ由紀子には初めての酒であった。美味くも不味くもなかった。苦い、まあ そんなところでしょう。

 始めは親しい十人ほどの仲間だったのに いつの間にかホ-ルが人であふれかえり百人はいたんじゃないのか?

新成人ばかりではない、顔も名前も知らない年齢不詳の若者が多いのです。誰とでも気が合って ハイタッチの連続です。

テンションは上がる 乗りに乗ってくると無性に自分が強くなっていくのは不思議です。

そして由紀子は気を失ったのでした。

 

 翌朝目覚めたのは 不思議なことに自分の部屋でした。

頭の隅にかすかに記憶は残っている。 ”お姫様抱っこ“をされて 優しくベットに運ばれたことだった。その夜は とってもロマンチックでした。

頭がズキズキ割れんばかりに痛い。 お酒は特別美味いものではないし こんなに酔っぱらってしまって自分でも恥ずかしいやら照れ臭いやら妙な気分です。 でも 酒に酔うのも悪くないと思いました。まあ 大人の気分でしょう。

 何やら人の気配がします。何だろう? 多分あの人でしょう。

「何してるんだろう?」。見てみたい う~ん だけど顔合わせたりしたら かなり恥ずかしい。やめとこう…

頭から布団を被って寝たふりを続けました。  でも 見たい。布団を持ち上げ隙間から覗いてみた。

隅のガスコンロに向かい大きな背中が何かしています。 背中が振り向きそうになったので ゆきこは慌てて深々と布団を被りました。

足音が近ずく気配です。布団の上から由紀子の頭をポンポンと叩き

「俺 仕事 朝早いから帰るわ。 朝めし用意しているから・・・  じゃ 頑張ってな・・・

部屋のドアが閉まる音と同時に由紀子は跳ね起きました。

部屋いっぱいに卵焼きの甘い香りが広がっています。

テ-ブルの上に湯気を立てた美しいオムレツが置いてあります。

由紀子の鼻は自分でも恥ずかしい程ピクついているのが解ります。全く さもしいんだから。

顏も洗わない、歯も磨かない トイレに行くのも忘れて飛びついた。 パジャマのまま立ったまま 一気に平らげた

 此れが卵の味なの? 信じられない こんなの初めて・・・

「これがオムレツ?」

ゆきこは 感動をどう表現していいか解りません。

 学園でも社員食堂でも オムレツは食べた。 多くは冷凍のカマボコみたいなやつだった。

 ゆきこは 椅子の上に膝を抱き込んで 長い間 感動に黙り込んでいるのでした。

 王子さまは「いつも君のことを見守っているヨ」と言った。本当かな? 私には嬉しい言葉だった。 誰も 私に王子様がいるなんて信用しないでしょう。それで いいの・由紀子は一人じゃない・見守っている人がいるのです。 

 社員食堂の誰かかもしれないと密かに目配りしてみたけど そんな感じの人はおりませんでした まあ いいか そんなに“向き”になることないか・・・

二十歳になったら転職すると前から決めていました。もう五年間もこの工場で我慢してきたのです。「貯金通帳の数字も大部 増えたけど 金貯めるだけが人生じゃあるまいし・・・」

 実は成人の日のオムレツとの出会いから 由紀子は自分でも何が何だか解らんほど急激に変わってしまったのでした。「あれが 夢と言うものなのかしら?」 あのオムレツの 玉子焼きの圧倒的な実力に 由紀子の感動は消えることがありませんでした。

 転職と言っても 相談相手のいない由紀子は時間を工面してはハロ-・ワ-ク に通うしかありません。

 日曜日の昼下がり 洗濯をすまし 掃除かたずけも一段落して さて今日は都心の大きな書店に行って資格検定の参考書でも買おう。 そして帰りは「オムレツは何処にするか」

最近の由紀子は 幼稚園じゃあるまいし <オムレツ>漁りにぞっこんです。 自分探しの旅です とか言って周囲を煙に巻いています。

 

 「ピン・ポ-ン」 チャイムだ。 誰だろう?

ドアを開けると にこやかに初老の婦人が立っています。

小柄で小太り 初対面であっても相手に何の警戒心も抱かせない 天性の無菌おばさんである。

「なんだ これ?・・・・・嘘!」

由紀子は硬直しました。声も出ない。 予告もなしに突然 悪魔がやって来たのです。

こんな奴に どうして会わなければならないのだ

別れて十余年 確かに学園に一度見舞いに来たのは記憶にある。その時だって 会話らしい会話すら一言もなかったではないか

でも 忘れてはいない 間違いなく由紀子の母親なのでした。

 「帰れ お前なんか親じゃない・・・」

そう怒鳴り 帰そうとした。 けど 母の後ろに七八才位の男の子がいるではないか しかも由紀子の剣幕に怯えているのか 震えているのです あの時生まれた弟か?

一瞬躊躇した。 其の隙を見逃す女ではない。

『暫くだね――― 天気が良いから親子で遊園地にでも行こうかと思ってね』と 覗いこんでから

「由紀子さんも随分とキレイになって…」と言いながら、男の子を前に出して「お前のお姉さんだよ キレイだろう? ちゃんとお挨拶しな・・・」

まるで 家族の日常のチョットした再会のような口ぶりです。 由紀子が口をはさむ余地はない。 こうなっては 由紀子の負けである。

 結局 三人は遊園地に行きました。

ジェットコ-スタ-には絶叫しました。 白状すると 由紀子は初めての経験なのでした。

メリ-・ゴ-ランドにも 空飛ぶ絨毯にも ティ-カップにも気がついたら男の手を引いて夢中になっていました。

やはり 遊園地は子供と一緒じゃないと面白くない

観覧車では回り切る間 母親は弁解じみた話をクダクダと続けていたけど もうウンザリ 由紀子は全然聞いていなかった。 

遊園地のオムレツはやはり不味かった。

何とかカンとか言っても 由紀子の意志とは裏腹に <こと>は完全に母親のペ-スでおわったのでした。

珍客二人は二・三日泊まることに為りました。

 母が口説くには 男と別れて頑張ってきたけど埒あかないので 温泉旅館に住み込みで働くという。当分由紀子に会えないので 弟を紹介するつもりで今日はやってきたのだと。

 由紀子は母親の強い勧めで男の子と一緒に風呂に入りました。

最初は渋っていたけれど 裸になってしまうと元々人懐っこい性格らしい ユニットバスの狭い浴槽では自然以上に肌が触れ合ってしまう。

男の子は それが滅茶に嬉しいらしい。キャ-キャ-金切り声で 由紀子を叩いたりしがみ付いてくる。

ほんに 愛しい限りの男の子でした。 

二日後母親は 子供を置いて姿を消してしまいました。

由紀子が帰ると」 男の子は一人で留守番をしています。

「お母さんは?」と聞くと お使いにでかけた と屈託ない。

だが 二時間 三時間経っても帰ってこない。 とうとう夜中十二時を過ぎた。

「やられた---!」と 笑っちゃた。

置き去りにするのは 始めからの計画だったのだ。気ずかなかった自分の馬鹿さ加減に呆れる。 苦笑はするけど怒る気にはなれない。もともと母親の名前に値しないやつだから 子供を捨てることなんて何でもないことです。

 男の子は 母親が帰ってこないというのに心配もしない。 「お前 捨てられたんだぞ…」と言いたいところだけど 悲しむ気もない子を前にしたら何も言えない。 私の手を握って「遊んで---遊んで---」と 疲れを知らない笑顔なのです。

出来の悪い親を持ったキョウダイは不思議な絆を持つものだ。 由紀子は こいつは私の弟だ と確っきり思った。

 男の子を寝かす時

 「しょうがないね 二人で頑張ろうか?」

と 由紀子は胸のうちに自分に言い聞かせ、弟にも語り掛けたのでした。

 

 正直言って 世間知らずの由紀子には荷の重い話となりました。 先ず相談相手がいない。

児童相談所に行くのも 学園に相談するのも気が進まない。 答えは解っているからだ。「施設に預けなさい」。

他人に頼むわけにはいかないのだ

 由紀子には 成人式の夜から時時足を向ける若者が集まる安いバ-がある。ここのマスタ-は頬に切り傷のある強持てのする初老の紳士だった。若者には敬遠するものが多いが ゆきこは初対面の瞬間から 男には特別なものを感じていた。

 由紀子の相談はこの人しかいない。

老人は声を抑えて「施設はいかん いかんよ いかんいかん」

若い女の目をジッと見て

「由紀子が 自分で面倒見なければ・・・。

あんた、姉さんだろ? やった やった

あんたなら出来る。 実力がある」

 

 アリババのマスタ-が中伊豆の温泉旅館を紹介してくれた。 子授けの秘湯で有名な温泉郷である。子持ちの住み込みオ-ケ-だから そこで相談しろ という。

 ゆきこは即時 次の休み弟を連れて中伊豆に遠出した。

環境も旅館のたたずまいも観光的でないのがいい。 旅館の女将は「待っていたわよ」と姉弟を歓迎しました。

「これ ここで搾っている牛乳だけど」と地元の牛乳を馳走しながら「アリババのマスタ-は元気でやってる?」と にこやかに昔の友人を気遣うのです。

由紀子のことは まえもってマスタ-から電話があったという。 身元調査みたいな話は一切なく 「期待してるんだから、ウンと働いてください。弟君も自分の家だと思って一生懸命勉強してください」

 女将の言葉と人柄に安心しきった由紀子は 全てこちらにお願いすることに即決したのでした。

 即ぐ退職願 引っ越し作業 翌月には早々に中伊豆に移動しました。

その日 旅館は一組の客しかなく 一家総出、と言っても十人に満たない九人家族で若い姉弟を雉鍋で歓迎したのでした。

同僚は五人 みんな由紀子より年長の中年婦人です。 調理場は 初老の板長と若い男の二人だけ。後で聞くと若い男は同僚の女と夫婦だとか。 あと 女将の親戚とかいう元格闘技みたいな老人が旅館の雑用一切を取り仕切っている構成でした。これでは忙しい。由紀子は期待されるはずです。

 一家の空気にすっかり溶け込んだ弟を見て 由紀子は「よし此処で頑張る」と心を新たにするのでした。

 中伊豆の風土が姉弟に幸いしました。

何処までも澄み切った空 背後に連なる伊豆の山々。村道は今でも砂利道だ

 八十年も昔には この道を女芸人の一座が行きかったもので 何が面白いのか その旅芸人の一座を東京の学生が追いかけ それをまた踊り子連中が「おいで――オイデ―――」とキャ-キャ-やるもんだから そりゃ---男と女で賑やかなもんだったよ と古老は笑うのでした。

 この温泉郷には 旅館は四軒しかない。旅館らしい旅館は 由紀子の働く旅館とあと一軒の二つだけ。残りの二軒は学生相手の合宿所であり会社研修所であって一般の観光客は立ち寄らない。

 遊ぶところもない、芸者を呼ぶにも遠い 修善寺から呼んだのでは。タクシ-代がかかってたまったものではない。

 弟は村の小学校に通い始め友達もすぐできました。山も川も遊び場所に不自由はしない。世間を知らない、家庭生活にも縁の薄かった姉弟には本当に恵まれすぎたチャンスで アリババのマスタ-には感謝の言葉もない。

 給料は多くはないのに好きな貯金は増える一方なのです。何しろ金を使う先が無いのだから。

 ゆきこは中伊豆に来てから 生まれて初めて勉強らしい勉強を始めたのです。弟の方は誰に似たのか學校の出来はマア-マア-なのに 姉ときたら 学園の時から勉強嫌いは彼女の売りの一つであったのです。

村では月一回 旅館従事者全員のお茶の合同稽古があります。

無論 お茶は由紀子には初体験です。 正座も知らなくて恥ずかしい思いをしたのが 恥を知った初体験だったのでした。

 正直言って伊豆は驚きの連続で 働きに来たのか勉強しに来たのか解らない。と苦笑いをするのですが 勉強なんて 学園でもチョコレ-ト工場でも別世界のことでした。 

 勉強のキッカケは女将の本棚です。

無くなった御主人の書斎だった十畳ほどの洋室に 中央に丸い大きな榧のテ-ブル、そこに並んだ何の変哲もない木製の座椅子が四脚。。

三方の壁には 日本や外国の本がずらりと並んでいます。多分百科事典だろうと思います。なぜなら平凡社の文字が入った同じ本を学園で見ていたからです。 後は横文字のキンピカの堅い表紙ばかりでした。

由紀子を感激させたのは 田舎には似つかわしくない本の威容ではありません。それは 本棚の下段に無雑作に詰め込んだ紙紙の束でした。 

かび臭い 横文字の古雑誌 古新聞 街の広告チラシなどでした。

由紀子は十五年前自分と母親を置いて出奔した実父の青春を探しました。「運の悪い人だったのね」。これぐらいの感慨しかありません。もう、 顔も思い出せない遠い人なのです。

由紀子は自分でも不思議に思うほど本を読みます。 例の書斎の蔵書は持ち出し自由です。 由紀子が書斎に入りびたりになると 女将は何故か「どうぞ どうぞ」と機嫌よくなるのです。

 百科事典の美しい写真に目を奪われました。すると 女将は座り込んで 由紀子の観たこともない「ロ-マの休日」なんて映画をまるで自分のことのように話すのでした。

 次に熱中したのは江戸を舞台とした「捕り物帳」でした。 義理と人情。最後は必ず正義が勝つ。このエンドがいい。 

 そして今夢中になっているのが古典「源氏物語」なのです。

エー そんなの信じられる?

これ 本当の話です。伊豆の秘湯の不思議さです。

「源氏は小説家の翻訳は 避けた方がよい」との女将のアドバイスで原文に挑戦中です。何が何だか ハチャメチャに解らない。 第一こんな日本語見たことない。あまりにも 言葉はみんな知らないもんばっかりだし 日本語なのに理解できない筈ないじゃ それからは辞書を引くのをやめた。

ところが不思議なことに 解らないのに中味と言うのかな、紫式部の心みたいなものが由紀子の中にバリバリ電気となって流れるのでした。

全く不思議な話でした. 源氏をやるなら辞書は持つな。なんて生意気を言いたくなったりして・・・

人は由紀子の嘘ばなしと笑うでしょうが 自分自身信じられない本当の奇蹟なのでした。

 

 「姉ちゃん明日の休み 東京行くから留守番たのむわね」

弟幸太郎は何の返事もしない。賄の食堂には姉弟の二人しかいない。明日は姉の由紀子は休みであった。

「ジャー頼むわね」「フン そうかよ」

今度は 姉の方が無口となります。気まずい雰囲気です。

「俺 あいつ嫌いだよ」

由紀子は自分の食器をかたずけながら

「お姉さんを困らせないで・・、あなただって何時までも子供じゃないんだから」

“あいつ”のことに為ると 弟は直ぐ機嫌が悪くなる。 難しい年ごろだから とは思うけれども・・・

 東京に遊びに行くとなると 帰りは夜中になります。

幸太郎は 学校から帰っても何時もの姉の姿が無いのは複雑なものです。 板長さんが声を掛けます。「姉ちゃん 東京だろう? 帰りは遅いぜ おじさんとこテレビ見に来いよ」  ウンともスンとも言わない。

 最終バスは夜の十時であす。 幸太郎は 踊り子街道から温泉郷に入る辻のバス停に チト早いのが照れ臭いが姉を迎えに立ちました。

この時間になると 何処の旅館も静かなものです。従業員たちは村の共同浴場に行くか 村でただ一軒の飲み屋”茶壷“に集まるかだ。家族持ちは自室で テレビで野球観戦となるのがコ-スです。

 バスは一時間に一本です。九時に もしかしたらと期待したけど やはりダメでした。ところが 十時の最終にも乗っていない。チキショウ

 二人の東京行は毎度のことですけど、最終バスのキャンセルは無かった。姉との暗黙の約束が破られたのです。

泣きたくなります。とにかく旅館に戻って電話がなかったかどうか聞いてみよう。

 勢いあまって開けられた引き戸に皆はビックリして

「幸太郎 どうした?」「帰ってこない。 姉さんから電話あった?」「いや ないよ」

中学生の男の子が半べそである。。「姉ちゃんが帰ってこないんだ」

<ああ そうだった>と大人たちは思い出した。若い二人が東京に遊びに行ったんだっけ…

タクシ-で帰るんじゃない東京に行ったら皆そうだ。心配することない 

明日早いから 先に寝ていた方が良いよ」と諭されて 少年は頷いて帰ったようだった。

 

 夜中の一時は過ぎていました。女将の忠僕である例の老人が遅くなった帰り道 車を急がして例の辻に差し掛かると 幸太郎がしゃがみ込んでいるではないですか  お姉さんを待っているのだ。

大丈夫か? 山の夜霧はきつい

「オイ 姉さん待ってんのか?」 うん 下を向いたまま元気がない。

老人は由紀子を信用している。 もう五年も同じ屋根の下で働いている。孫みたいな姉弟である。

最近の若者には珍しい頑固なバカ真面目が気に入っている。

「そのうちルンルン気分で帰ってくるさ 怒って喧嘩すんなよ」」

この時間では 国道を走る車もない 犬一匹見かけない。空模様も気になる。

「どうせタクシ-だから 家で待っていた方が良い・・・。この分では雨になるかもしれんし・・・」

少年は待ちました。案の定 小雨となりました。五月とはいえ 山里の夜は一段と寒さが厳しい。

小雨と寒さの中 幸太郎は待ちました。

「姉ちゃん帰ってきてくれよ  何故 帰らないんだ?  お願い 帰ってきて下さい」

来ているものは もう重くじっとり濡れています。

誰も来ない 音もたてず泣きじゃくりながら 一晩中待ち続けたのでした。

 少年を保護したのは いつも一番に出勤する昨夜の車の老人でした。

うずくまる固まりを目にしたとき 「幸太郎じゃ」と一瞬頭にきた。

「ヤバイじゃ. この馬鹿野郎が・・・」

少年はずぶ濡れ 目は虚ろ 歯はガチガチと震えています。 額に手をやると 焼け付くように熱い。「あいつら 帰ってこなかったのか?」

直ちに近くの湯の川病院に運ぶと 急性肺炎になっていました。あと三十分も遅かったら 完全にアウトだったようです。

『いい大人がいながら ガキ一人の面倒も見切れんのか、お前ら!

 大人の責任だぞ---」

ドクターは本気で怒っていました。  

 

 由紀子たち二人が帰ってきたのは午後の一時を周っておりました。

休日の翌日は 午前中の仕事はパスをしてもいい習慣になっております。

 幸太郎の事故を知った瞬間 由紀子は茫然自失 腰を抜かして固まってしまいました。恋人は直立不動 言葉もありません。

 由紀子は老人の車で病院に駆け付けました。

集中治療室の弟はマスクで顔の半分は隠れており 生きているのか死んでいるのか、 由紀子は「死んだら嫌だーーー」と泣きじゃくるだけです。

 女将さんが付いていてくれました。「もう大丈夫 安心して…。今日はこのまま一緒にいてあげてください」

 「本当に申し訳ございませんでした」

由紀子は言葉にならない涙声で深々と頭を下げるしかありません。

「本当に しょうがないお姉さん」。 おかみはニヤリと笑った。 怒っているそぶりは見せないが 絶対に怒っているに違いない、あの口の曲がり方は・・・

「じゃ 私は仕事があるから後は頼むわね  ほんとうに 爺やが通り合わせたからよかったものの 危なかったのよ・・・」

さりげなく怒りを口にして出て行きました。

 

 誰かが覗き込んでいる気がして 幸太郎は目を開けました。 「えっ 嘘…」お姉さんの顔があります。もう帰ってこない と思っていたのに・・・.《お姉ちゃんは僕を捨てたんじゃないの?>

「お帰りなさい」 あれだけ待っていたのに小さな声です

。姉はもう堪らない さびしかったでしょう・・・? 今 由紀子は 弟の胸の内が 嫌というほど解るのです。

 御免ご免 怒っていいよ 怒っていいよ 怒ってちょうだい。 怒っている筈なのに 何時もの弟のあの笑顔がやり切れないのです。

「本当にごめんなさい。お姉ちゃんが悪かった」

由紀子は ゴメンナサイを繰り返すしかないのです。

「お姉ちゃん怒ってない?】「私が どうして怒るのよ? 怒るのは幸ちゃんの方でしょう?」

 でも 弟は ヤッパリと思うことを弱弱しく口にするのでした。

「怒って 僕を捨てたりしないよね?」

絶句した。

「何言ってんのよー」声を荒らげて「そんなことする筈ないでしょう  私はあなたの姉さんだよ」酸素マスクの弟を激しく揺り動かすのでした。

はずかしい 弟にこんな心配をさせてしまうなんて・・・これでも 姉貴かよ?  情けない。

 

 此処は旅館が四軒しかない小さな温泉村です。 良く言えば「みんな家族」、悪く言えば「他人の噂ばかり」のコミュニティなのです。

由紀子の恋人は気づいています。自分がどんな噂の種になっているか、まるで針の筵です、面白い筈がありません。

「これだから 田舎は嫌いだ」

デイトをしても 若者は愚痴っぽくなるばかりです。今までの夢ばかりの時間ではなくなったのです。由紀子も落ち込みます。

 若者の腕は 伊豆の業界では評判が高いのです。最近熱海の方から誘いがあり、本人も「チャンス到来」と燃えている時でした。

 二人には ただ弟幸太郎の態度が心配と言えば心配なだけでした。ですが 「こうちゃんも一緒に行くさ」と

若い二人には さして大問題にしてはいませんでした。。 

青年にとって 親のない姉弟の面倒を見ることは 「これぞ 男の甲斐性」と自慢にこそなれ 経済的にも今のところ問題は無いのです。この姿勢が 幸太郎少年を傷つけていたのかもしれません

 ルンルンの恋人たちの前に今度の事件です。

由紀子の心は重くなります。

ところが 世の中ってどうなっているのやら ここにきて幸太郎の態度が豹変したのです。

弟と”この兄ちゃん“ がエライ仲良しになったのです。

周囲にも「弟がな…」と心配する女性や年配者が多かったのに 姉を含めてもろもろの杞憂を吹き飛ばすような弟のヒットでした。

 今では 幸太郎は學校が引けると即 お兄ちゃんの処に遊びに行きます。お兄ちゃんは たとえ仕事中であっても 何かと幸太郎の遊びの材料を用意してるのでした。

何が面白いのか 二人はご機嫌ではしゃいでおります。ちょっとした拍子に歓声を上げて 由紀子を呆気に取らせるのです。<女の私には入り込めない男の世界>なのでしょう・・・

あれっ! 「お兄ちゃん―」と呼んでるではありませんか。青年の方も「幸ちゃん 幸ちゃん」と やたらに連発しているです。

 由紀子は最近落ち着きまっせん。

若者との恋もマアマアだし 彼氏と弟の中も上手くいってる、 是では不満の起きる筈ないのに イライラすることが多いのです。不規則に起きる心臓の動悸も気になるところです。 弟の根性が癇に障る。

 

 ある夜由紀子は夢を見ました。

場所は 山奥の霧の谷間の小川の岸部です。そこだけポッカリ陽光が差し込んでおり 弟と姉が向き合っているのです。

「あんた この頃無理してんじゃ」 頭から伝法口調だ。

普段とは姉の目つきが違う。 弟は狼狽して俯いた。

「姉ちゃんには まるで腰巾着にしか見えない。 あんた そんなに あの兄ちゃん好きだった?」

「(う~ん)そうでもないけど・・・」

「なら 何故 あんなにベタベタすんの?」

 今度は 弟が弁解しました。

「姉ちゃん あいつと結婚すんだろう? そのお祝いだよ・・・」

「何よ それ?」

「俺は一人でやっていけるから 姉ちゃんは心配しないで熱海でも何処にでも行って下さい

弟と婿さんが中悪かったら 姉ちゃん気分悪くなんじゃ・・・」

「やっぱり そうなのか・・・」

弟は 自分が身を引くことを前提にして動いている。 

施設の子にとっては 周囲の顔色を呼んで素早く演技することは 生きていく上の必須の学習です。 一体何処で覚えたんであろう? こいつも 施設にいたことあんのか?

弟から こんな好意を姉は受け取りません。

 

 

   

結局どうなったか?

由紀子と青年の結婚はブレイク、 当然 幸太郎を連れての熱海行はオジャンです。 若者だけが一人熱海に去りました。由紀子幸太郎姉弟は村に残りました。

 

青年が由紀子から「熱海には行けない」と土下座して謝罪された夜の修羅場は 語らないほうが平和的だと思いますので省略します。

 

あれから五年 かっての餓鬼は中学三年生です。 姉としては 高校進学を前にして 何かと考えることの多い毎日です。

成績の方は 湘南高校は無理としても進学校のアノ高校は大丈夫でしょうと担任から言われ 由紀子は気をよくしていますが 肝心の幸太郎の胸の内が解らずイライラする日が続くのでした。

案の定 悪い予感が的中しました。

「僕卒業したら就職するから 板前になるんだ 京都にいくから・・・」

 うちの板長の紹介だという。板長は盛りを越した老職人ではあるけれど 腕も人間も申し分のないオヤジです。 姉弟は伊豆に来たときから 何やかやと世話を受けました。 オヤジの話でしたら間違いあ

りません。

それにしても 何時の間にはなしができていたのか 姉の私を差し置いて。年と共に 幸太郎は自分から離れて行くようで 由紀子は面白くないのです。

 どうやら 幸太郎は学歴よりも自立を選んだようです。」

せめて 高校ぐらいはと 姉としては納得できません。弟の気性では

説得は無理です。事後承諾しかありません。

 それにしても悔しい。高校もやっていなかったら 私の立場はどうなるんだ?

 将来 もしものことだけれども 幸太郎の父親 私には義父である あの暴力親父にや 又は私たち姉弟を捨てた母親に 何処かにでも偶然にでも出会った時には 思いっきり罵倒してやろうと心ずもりをしていたのが  中卒ではテンション下がるかな? と見栄を張っている人間に我ながら

て 姉を自由にさせたい)

やっぱり 弟は三年前の恥ずかしい。

(早く自立し”あの日”のことを忘れていないのだ。別に  由紀子は弟のために 自分を犠牲にしたとは思ってはいないのに。

 

 京都に向かう幸太郎を 姉は小田原駅の新幹線ホ-ムで見送りました。姉が肝入りで誂えたドスキンのス-ツは今どきではないけれど 十五歳の少年は最高のご機嫌顏で 大声で言うのでした

「初任給では 先ず一番目には お姉ちゃんにダイヤモンドを***プレゼントするからね。指輪にするか ブレスレットにするか決めておいてください」

 由紀子は最近涙もろくなって抑えるのに苦労する。おばさんと言われる年齢ではないのに。

三十路を眼前にする、我青春の真っただ中にあり。貯金もある “源氏”もいる 怖いものは何もない。これからが由紀子の人生じゃ

                おわり  

 

 

 由紀子が施設にやってきたのは八歳の時です  義父の暴力から逃げてきたのでした。施設は十八歳で卒業ですが。進学でなく就職を選びました

夢でなく 学歴でもなく自立を取ったのです。

スタ-トは大阪のチョコレ-ト工場から始めて 伊豆の温泉旅館の接客仕事に転職しました。二十代前半の”若い女”の時代には 親父違いの弟を中学卒業まで育てています。

 由紀子の人生に大きくかかわりあったバ-・アリババのマスタ-。旅館の女将、そして老板長の三人はすでに泉下の人となっておりますが 由紀子自身は”安らぎ”の老後を楽しんでおります。

 由紀子は私のタイプの女性ですが もし私の十五歳のころ由紀子の存在を知っていたのなら 俺の人生もだいぶ違ったものになっていただろうに と空想を楽しんでおります。

 。

(本文)

 18で 施設を出て このチョコレ-ト工場で働きだしてから早いものでもう二年になります。。

働きまくってお金を手にしたときには「ヤッタ!」と叫んだものだ。体はボンボン跳ね上がるしエンジン全開でした。。

先ずお金を貯める 絶対夢をかなえてやる。あいつらを見返してやる 自信はある。

 

 由紀子は八歳の時 両親の暴力から保護されてこの施設に

きたのです。。

 職員さんは 皆メッチャに優しく メッチャに怖い 。子供たちを強くするために 甘ったれにしないために ここの大人たちは必死なのです 今になったら由紀子はよく理解できるのです。

特に食堂の小母さんはキツイキツイ 本当の親より怖い。ご飯なんか食べ残したら大変なことに為る。 施設の子には好き嫌いは許されません。何時も食堂の小母さんにだけは ほんとうのこと言って相談したものです。

 

 

 

。 

 

 由紀子は 養父のことは全て忘れた事にしているけど 母親のことは 「どうして? どうしてなの?」と 生涯 絶対許すことは出来ません。。お母さんは子供の私を守ってくれなかったのです。。

あんなに私を可愛がってくれていた母親が あの男の前では私を見放していたのです。 未だに理解できません。

 母の再婚相手としてあの男がやってきたのは 由紀子が小学一年であった

始めは 話の面白い明るい人でした。 時間にも お金にも誠実な仕事人間でした 新しい家族は幸福でした。 

 ところが 男は直ぐ豹変しました。 最低の男や、あんな奴。

酒は飲むし ギャンブルはするし 酔うと生狂い暴力です  もともと中味のない男ですから 弱いものの前で格好つけている偽物だったのです。

 男は家庭内暴力で逮捕されました。 これで暴力から解放された、やれ安心と思いきや、母が「二度と暴力沙汰は起こしません。私が責任を持ちます」と涙を流すし、男は男で「生まれ変わって子供を大事にします」と誓うのです。 世間をだますなんて何とも思っていない人たちで

母は喜び由紀子は絶望しました。

 弟が生まれたばかりでもあったためにか 二三か月は静かで平和な家庭でした。

 案の定 暴力は再発しました。

由紀子は箸がうまく使えない。すると男は「こんなことも出来んのか…」

と、食事抜きで外に放り出される。

「躾は厳しくするぞ・・・」と一人で張り切り 由紀子は殴られ 蹴られ ものを投げられ お母さんは黙って見ている、という地獄です。

 これは もう完全な病気でしょう・・・?

 

 ある日ある時の暴力沙汰の時、近所の人が虐待疑惑の通報をしてくれました。何しろうちは近所でも有名な問題家族でしたけど ややこしい男に関わりたくないので<我関せず>だったのですが流石にこの時は無視できなかったのです。

 養父は逮捕され裁判となり やっと刑務所に入ってくれました。ヤレヤレです。母は生まれたばかりの弟を連れて行方不明となり。由紀子は施設に入ったのです。

 施設での思い出は楽しい事ばかりです。 施設の子は みんな同じような似た者同志です。一旦心が通じるると一生の親友になってしまうのも多いのです。 なにも、施設の子は<ひがみ根性>だけが売りではないようです。

 学園での生活は、話し出したら限がないので省略しますが,残念なことは十八歳までしかおれないことです。

進学にしろ 就職にしろ その不安と希望の青春は 普通の親もとで育っている若者と変わりはありません。

 進学を希望する者には奨学資金が紹介されます。 しかし由紀子は仲間よりは一足早く「中卒就職」の道を選び施設を出ました。

 はやく自立したい。一直線にそれしか考えていない「もっと勉強したい」なんて甘ったれはない。今は 我慢我慢。

 チョコレ-ト会社に就職しました

工場の現場仕事です。あまりフアッショナブルではないけれど 人手が慢性的に不足しているので残業が多くて 結果 貯金ができるのです。由紀子には万々歳です。工場は地方出身者が多い。皆寮に入ります。由紀子も当然の事 寮に入りました。

由紀子の生活は 工場と寮を往復するだけの毎日です。 規則だらけの煩い寮生活 同期入社の女子従業員は200人いたのに一年経つと半分も残っていない。

 しかし 残業代が多いので給料は高い。それで十分である。

周囲は 不平タラタラですが 由紀子は平気です。

計画は着々と進んでいます。 お金を貯める事なんて楽なもんだ。鐚

一文使わなければ良いのだから・・・

 

 二年が過ぎて 由紀子は市内にアパ-トを借りました。

四畳半と狭いけど一畳くらいの板の間の炊事場が付いている。

洗面器程の小さなシンクとガスコンロが置ける位の調理台もあります。

 何よリ由紀子を興奮させたのはユニット・バスの存在です。膝を抱えて入るくらいのチャチな浴槽で しかも便器と一緒の風呂場なんて 最初はチョット抵抗もあったけれど ピカピカのタイルを見ていると これで私も普通の女の子になったのだと感激もひとしおでした。。

家賃は 由紀子の給料には少し高めであったが まあ 平気平気 貯金があります。 隣室のテレビが気になるといえば気になるが 社会的には分相応のつくりなのでしょう。

それにしても 自分の働いたお金で自分の城を持った充実感は 自分でも驚くばかりでした。生まれて初めての感激です。 「よし これからが本番です。何でもやってやる」

自信満満ヤル気十分の由紀子でした。

ところが やってみたら 一人暮らしは想像とは大違い 案外とややこしい。

由紀子は施設以外の生活は殆ど経験がないと言っていい。洗濯くらいは 施設で自分のものは自分でやるのが原則だから出来るけれど 今迄 ”食べること“は一切他人任せであった。なんて言う事ない 施設でも会社の寮でも 自分はお客様に過ぎなかったのです。。この点が 私はやっぱり「育ち」が悪いんでしょう・・・

生活の第一は ”食べること”でしょう。

調理のイロハは 何処の家でも母親が教えてくれます。 由紀子は親なし同然の身 施設では教えてくれなかったし・・・

包丁も使えない 御湯も沸かせない コンロに火もつけられない

施設では夜になると調理場に鍵がかけられる

。夜中に調理場に入り込まないためです。刃物は警戒ものなのです。

 

情けないことに 自分では何も作れない と言って毎日外食ばかりしてはおれません。第一 お金がもったいない。。

「ラ-メン」から始めました。

レンジに点火した時 「ボウッ」と火がついて 思わず後ずさりをして転びそうになった時には キャ-ッと笑ってしまったけれど ほんとうは泣き笑いだったのです。

アンマリ言いたくないけれども あの<ゴミ出し>には 随分とお近所さんには苛められました。 今さら恨んだり悲しんでも詮無いわ。 自分で解決するしかない。 相談する人はいないし、理由はないけど施設に行く気はしない。

 

 

 ラ-メンだけは作れる カップ・ラ-メンではない。ちゃんとしたチキン・ラ-メンです。 湯を沸かして 麺を入れて ウインナ-も入れたし玉子も入れた。 後は三分待つだけ。直ぐ 作るのも食べるのも飽きてしまった。

料理の本を買った。これは由紀子には難しすぎた。何書いてんのか解らない。

 テレビの料理番組だ。土井勝先生と言った。これが最高です。由紀子のような者でも決してガキ扱いしない。要するにバカにしないのです。由紀子は教室では出来が良くなかったので、今まで「一人前のレディ-」として扱ってもらったことがない。教壇からは 幼稚園言葉で説明されたりして プライドを傷つけられたものでした。それが土井先生は違う。この足の短いおじさんに会ってからは いっぺんにフアンになってしまったのでした。

 ヨシ ここは正統派で行くことにしました。

家庭用俎板と文化包丁、手鍋を大小二つ それに電気炊飯器を奮発した。ご飯を機械に任せるようで嫌でしたけれど 今はどうしようもない。

みそ汁は高価な味噌を買ってきたのに 全然みそ汁の味がしない。不味い変な飲み物でした。何故なのだろう? 飲むことは飲みましたけれど。

おかずは肉じゃがでしょう。だけど 肉とジャガイモを前にしたら 土井先生の顔も消えてしまい 100%パニックになってしまった。

肉もジャガイモも玉ねぎも適当に切ってそのままジャボジャボ煮た。味見をして あっそうか 気が付いて 慌てて味噌醤油砂糖を入れたら かなり塩辛かったけど まあ まあ 美味かった。

以上が初体験の奮闘でありました。

 何もかにも 何故こんなに「水っぽい」んだろう?

「だし」の存在を知った時には 「なんだ 食堂の秘密はこれか…」と生意気風も吹かせたし おふくろの味というのも結局は「だし」か、と納得したものです。

 由紀子は だしを削り節からとるようなことは想像も出来ませんが 市販の「粉だし」を使って、この後「塩」の存在を知るのです。賢い女です。

 ホーレン草の野菜炒めが第一歩です。

ホ-レン草を塩だけで炒めたのです。その美味さに驚倒しました。嘘偽りなく こんなうまいもの食べたことはない。ホ-レン草って素晴らしい食べ物だということを知りました。

同じことを三回も繰り返して 三束も一人で食べました。

 だしと塩を知ってからの一年 由紀子の人間が急成長を見せた青春時代でした。

 とにかく毎日の食事が楽しくて仕方がない。 私は もう”お客様“ではないのです。 会社の食堂とまではいわないけれど。六本木当たりのフランス料理ぐらいなら出来るけど・・・

いや―――これは冗談 お許しください 閑話休題

 食事に自信が付いたら 不思議なことに別の自分にも自信が出てきたことです。

オシャレと言うほどの事ではありませんけど 格好つけることに恥ずかしく無くなったことです。スニ-カ-以外のかかとの高い靴も買いました。予定もないのに 外出用の黒のス-ツも買いました。一度着てみたかったのです。自分の部屋で一人で着て一人で満足しました。

 由紀子は学園でも三本の指に入るほどのフダ付きの勉強嫌いでした。 それが この頃やたらに本を買うのです。 作りごとは嫌いだから 小説本でなく専ら伝記本です。

 寮の同僚は そんな由紀子の不似合いな好みをからかっては面白がっているのでした。本心は苛めたいところなのでしょうが 由紀子は四年在職の古株ですから それはできません

 正月も過ぎて やがて一月十五日、成人の日です。

成人式を控えた由紀子の姿からは あの施設のウブな子を想像することは出来ません

 「お酒は二十歳を過ぎてから」と言います。由紀子も二十歳直前です。

 成人式には故郷に帰る同僚が多い。由紀子は学園から誘いを受けたけれど断って会社主催の成人式に参加した

多分会社の会場なら居ないだろうと思っていたけど やはり振袖がいたのには 何故かガッカリした。由紀子は 無論待ちに待っていた「黒の大人のス-ツ」である。

街中で振袖に出会うと 無性に「己の黒のス-ツ」が誇らしい。

 成人式の夜 ワイワイと仲間と酒を飲んだ由紀子には初めての酒であった。美味くも不味くもなかった。苦い、まあ そんなところでしょう。

 始めは親しい十人ほどの仲間だったのに いつの間にかホ-ルが人であふれかえり百人はいたんじゃないのか?

新成人ばかりではない、顔も名前も知らない年齢不詳の若者が多いのです。誰とでも気が合って ハイタッチの連続です。

テンションは上がる 乗りに乗ってくると無性に自分が強くなっていくのは不思議です。

そして由紀子は気を失ったのでした。

 

 翌朝目覚めたのは 不思議なことに自分の部屋でした。

頭の隅にかすかに記憶は残っている。 ”お姫様抱っこ“をされて 優しくベットに運ばれたことだった。その夜は とってもロマンチックでした。

頭がズキズキ割れんばかりに痛い。 お酒は特別美味いものではないし こんなに酔っぱらってしまって自分でも恥ずかしいやら照れ臭いやら妙な気分です。 でも 酒に酔うのも悪くないと思いました。まあ 大人の気分でしょう。

 何やら人の気配がします。何だろう? 多分あの人でしょう。

「何してるんだろう?」。見てみたい う~ん だけど顔合わせたりしたら かなり恥ずかしい。やめとこう…

頭から布団を被って寝たふりを続けました。  でも 見たい。布団を持ち上げ隙間から覗いてみた。

隅のガスコンロに向かい大きな背中が何かしています。 背中が振り向きそうになったので ゆきこは慌てて深々と布団を被りました。

足音が近ずく気配です。布団の上から由紀子の頭をポンポンと叩き

「俺 仕事 朝早いから帰るわ。 朝めし用意しているから・・・  じゃ 頑張ってな・・・

部屋のドアが閉まる音と同時に由紀子は跳ね起きました。

部屋いっぱいに卵焼きの甘い香りが広がっています。

テ-ブルの上に湯気を立てた美しいオムレツが置いてあります。

由紀子の鼻は自分でも恥ずかしい程ピクついているのが解ります。全く さもしいんだから。

顏も洗わない、歯も磨かない トイレに行くのも忘れて飛びついた。 パジャマのまま立ったまま 一気に平らげた

 此れが卵の味なの? 信じられない こんなの初めて・・・

「これがオムレツ?」

ゆきこは 感動をどう表現していいか解りません。

 学園でも社員食堂でも オムレツは食べた。 多くは冷凍のカマボコみたいなやつだった。

 ゆきこは 椅子の上に膝を抱き込んで 長い間 感動に黙り込んでいるのでした。

 王子さまは「いつも君のことを見守っているヨ」と言った。本当かな? 私には嬉しい言葉だった。 誰も 私に王子様がいるなんて信用しないでしょう。それで いいの・由紀子は一人じゃない・見守っている人がいるのです。 

 社員食堂の誰かかもしれないと密かに目配りしてみたけど そんな感じの人はおりませんでした まあ いいか そんなに“向き”になることないか・・・

二十歳になったら転職すると前から決めていました。もう五年間もこの工場で我慢してきたのです。「貯金通帳の数字も大部 増えたけど 金貯めるだけが人生じゃあるまいし・・・」

 実は成人の日のオムレツとの出会いから 由紀子は自分でも何が何だか解らんほど急激に変わってしまったのでした。「あれが 夢と言うものなのかしら?」 あのオムレツの 玉子焼きの圧倒的な実力に 由紀子の感動は消えることがありませんでした。

 転職と言っても 相談相手のいない由紀子は時間を工面してはハロ-・ワ-ク に通うしかありません。

 日曜日の昼下がり 洗濯をすまし 掃除かたずけも一段落して さて今日は都心の大きな書店に行って資格検定の参考書でも買おう。 そして帰りは「オムレツは何処にするか」

最近の由紀子は 幼稚園じゃあるまいし <オムレツ>漁りにぞっこんです。 自分探しの旅です とか言って周囲を煙に巻いています。

 

 「ピン・ポ-ン」 チャイムだ。 誰だろう?

ドアを開けると にこやかに初老の婦人が立っています。

小柄で小太り 初対面であっても相手に何の警戒心も抱かせない 天性の無菌おばさんである。

「なんだ これ?・・・・・嘘!」

由紀子は硬直しました。声も出ない。 予告もなしに突然 悪魔がやって来たのです。

こんな奴に どうして会わなければならないのだ

別れて十余年 確かに学園に一度見舞いに来たのは記憶にある。その時だって 会話らしい会話すら一言もなかったではないか

でも 忘れてはいない 間違いなく由紀子の母親なのでした。

 「帰れ お前なんか親じゃない・・・」

そう怒鳴り 帰そうとした。 けど 母の後ろに七八才位の男の子がいるではないか しかも由紀子の剣幕に怯えているのか 震えているのです あの時生まれた弟か?

一瞬躊躇した。 其の隙を見逃す女ではない。

『暫くだね――― 天気が良いから親子で遊園地にでも行こうかと思ってね』と 覗いこんでから

「由紀子さんも随分とキレイになって…」と言いながら、男の子を前に出して「お前のお姉さんだよ キレイだろう? ちゃんとお挨拶しな・・・」

まるで 家族の日常のチョットした再会のような口ぶりです。 由紀子が口をはさむ余地はない。 こうなっては 由紀子の負けである。

 結局 三人は遊園地に行きました。

ジェットコ-スタ-には絶叫しました。 白状すると 由紀子は初めての経験なのでした。

メリ-・ゴ-ランドにも 空飛ぶ絨毯にも ティ-カップにも気がついたら男の手を引いて夢中になっていました。

やはり 遊園地は子供と一緒じゃないと面白くない

観覧車では回り切る間 母親は弁解じみた話をクダクダと続けていたけど もうウンザリ 由紀子は全然聞いていなかった。 

遊園地のオムレツはやはり不味かった。

何とかカンとか言っても 由紀子の意志とは裏腹に <こと>は完全に母親のペ-スでおわったのでした。

珍客二人は二・三日泊まることに為りました。

 母が口説くには 男と別れて頑張ってきたけど埒あかないので 温泉旅館に住み込みで働くという。当分由紀子に会えないので 弟を紹介するつもりで今日はやってきたのだと。

 由紀子は母親の強い勧めで男の子と一緒に風呂に入りました。

最初は渋っていたけれど 裸になってしまうと元々人懐っこい性格らしい ユニットバスの狭い浴槽では自然以上に肌が触れ合ってしまう。

男の子は それが滅茶に嬉しいらしい。キャ-キャ-金切り声で 由紀子を叩いたりしがみ付いてくる。

ほんに 愛しい限りの男の子でした。 

二日後母親は 子供を置いて姿を消してしまいました。

由紀子が帰ると」 男の子は一人で留守番をしています。

「お母さんは?」と聞くと お使いにでかけた と屈託ない。

だが 二時間 三時間経っても帰ってこない。 とうとう夜中十二時を過ぎた。

「やられた---!」と 笑っちゃた。

置き去りにするのは 始めからの計画だったのだ。気ずかなかった自分の馬鹿さ加減に呆れる。 苦笑はするけど怒る気にはなれない。もともと母親の名前に値しないやつだから 子供を捨てることなんて何でもないことです。

 男の子は 母親が帰ってこないというのに心配もしない。 「お前 捨てられたんだぞ…」と言いたいところだけど 悲しむ気もない子を前にしたら何も言えない。 私の手を握って「遊んで---遊んで---」と 疲れを知らない笑顔なのです。

出来の悪い親を持ったキョウダイは不思議な絆を持つものだ。 由紀子は こいつは私の弟だ と確っきり思った。

 男の子を寝かす時

 「しょうがないね 二人で頑張ろうか?」

と 由紀子は胸のうちに自分に言い聞かせ、弟にも語り掛けたのでした。

 

 正直言って 世間知らずの由紀子には荷の重い話となりました。 先ず相談相手がいない。

児童相談所に行くのも 学園に相談するのも気が進まない。 答えは解っているからだ。「施設に預けなさい」。

他人に頼むわけにはいかないのだ

 由紀子には 成人式の夜から時時足を向ける若者が集まる安いバ-がある。ここのマスタ-は頬に切り傷のある強持てのする初老の紳士だった。若者には敬遠するものが多いが ゆきこは初対面の瞬間から 男には特別なものを感じていた。

 由紀子の相談はこの人しかいない。

老人は声を抑えて「施設はいかん いかんよ いかんいかん」

若い女の目をジッと見て

「由紀子が 自分で面倒見なければ・・・。

あんた、姉さんだろ? やった やった

あんたなら出来る。 実力がある」

 

 アリババのマスタ-が中伊豆の温泉旅館を紹介してくれた。 子授けの秘湯で有名な温泉郷である。子持ちの住み込みオ-ケ-だから そこで相談しろ という。

 ゆきこは即時 次の休み弟を連れて中伊豆に遠出した。

環境も旅館のたたずまいも観光的でないのがいい。 旅館の女将は「待っていたわよ」と姉弟を歓迎しました。

「これ ここで搾っている牛乳だけど」と地元の牛乳を馳走しながら「アリババのマスタ-は元気でやってる?」と にこやかに昔の友人を気遣うのです。

由紀子のことは まえもってマスタ-から電話があったという。 身元調査みたいな話は一切なく 「期待してるんだから、ウンと働いてください。弟君も自分の家だと思って一生懸命勉強してください」

 女将の言葉と人柄に安心しきった由紀子は 全てこちらにお願いすることに即決したのでした。

 即ぐ退職願 引っ越し作業 翌月には早々に中伊豆に移動しました。

その日 旅館は一組の客しかなく 一家総出、と言っても十人に満たない九人家族で若い姉弟を雉鍋で歓迎したのでした。

同僚は五人 みんな由紀子より年長の中年婦人です。 調理場は 初老の板長と若い男の二人だけ。後で聞くと若い男は同僚の女と夫婦だとか。 あと 女将の親戚とかいう元格闘技みたいな老人が旅館の雑用一切を取り仕切っている構成でした。これでは忙しい。由紀子は期待されるはずです。

 一家の空気にすっかり溶け込んだ弟を見て 由紀子は「よし此処で頑張る」と心を新たにするのでした。

 中伊豆の風土が姉弟に幸いしました。

何処までも澄み切った空 背後に連なる伊豆の山々。村道は今でも砂利道だ

 八十年も昔には この道を女芸人の一座が行きかったもので 何が面白いのか その旅芸人の一座を東京の学生が追いかけ それをまた踊り子連中が「おいで――オイデ―――」とキャ-キャ-やるもんだから そりゃ---男と女で賑やかなもんだったよ と古老は笑うのでした。

 この温泉郷には 旅館は四軒しかない。旅館らしい旅館は 由紀子の働く旅館とあと一軒の二つだけ。残りの二軒は学生相手の合宿所であり会社研修所であって一般の観光客は立ち寄らない。

 遊ぶところもない、芸者を呼ぶにも遠い 修善寺から呼んだのでは。タクシ-代がかかってたまったものではない。

 弟は村の小学校に通い始め友達もすぐできました。山も川も遊び場所に不自由はしない。世間を知らない、家庭生活にも縁の薄かった姉弟には本当に恵まれすぎたチャンスで アリババのマスタ-には感謝の言葉もない。

 給料は多くはないのに好きな貯金は増える一方なのです。何しろ金を使う先が無いのだから。

 ゆきこは中伊豆に来てから 生まれて初めて勉強らしい勉強を始めたのです。弟の方は誰に似たのか學校の出来はマア-マア-なのに 姉ときたら 学園の時から勉強嫌いは彼女の売りの一つであったのです。

村では月一回 旅館従事者全員のお茶の合同稽古があります。

無論 お茶は由紀子には初体験です。 正座も知らなくて恥ずかしい思いをしたのが 恥を知った初体験だったのでした。

 正直言って伊豆は驚きの連続で 働きに来たのか勉強しに来たのか解らない。と苦笑いをするのですが 勉強なんて 学園でもチョコレ-ト工場でも別世界のことでした。 

 勉強のキッカケは女将の本棚です。

無くなった御主人の書斎だった十畳ほどの洋室に 中央に丸い大きな榧のテ-ブル、そこに並んだ何の変哲もない木製の座椅子が四脚。。

三方の壁には 日本や外国の本がずらりと並んでいます。多分百科事典だろうと思います。なぜなら平凡社の文字が入った同じ本を学園で見ていたからです。 後は横文字のキンピカの堅い表紙ばかりでした。

由紀子を感激させたのは 田舎には似つかわしくない本の威容ではありません。それは 本棚の下段に無雑作に詰め込んだ紙紙の束でした。 

かび臭い 横文字の古雑誌 古新聞 街の広告チラシなどでした。

由紀子は十五年前自分と母親を置いて出奔した実父の青春を探しました。「運の悪い人だったのね」。これぐらいの感慨しかありません。もう、 顔も思い出せない遠い人なのです。

由紀子は自分でも不思議に思うほど本を読みます。 例の書斎の蔵書は持ち出し自由です。 由紀子が書斎に入りびたりになると 女将は何故か「どうぞ どうぞ」と機嫌よくなるのです。

 百科事典の美しい写真に目を奪われました。すると 女将は座り込んで 由紀子の観たこともない「ロ-マの休日」なんて映画をまるで自分のことのように話すのでした。

 次に熱中したのは江戸を舞台とした「捕り物帳」でした。 義理と人情。最後は必ず正義が勝つ。このエンドがいい。 

 そして今夢中になっているのが古典「源氏物語」なのです。

エー そんなの信じられる?

これ 本当の話です。伊豆の秘湯の不思議さです。

「源氏は小説家の翻訳は 避けた方がよい」との女将のアドバイスで原文に挑戦中です。何が何だか ハチャメチャに解らない。 第一こんな日本語見たことない。あまりにも 言葉はみんな知らないもんばっかりだし 日本語なのに理解できない筈ないじゃ それからは辞書を引くのをやめた。

ところが不思議なことに 解らないのに中味と言うのかな、紫式部の心みたいなものが由紀子の中にバリバリ電気となって流れるのでした。

全く不思議な話でした. 源氏をやるなら辞書は持つな。なんて生意気を言いたくなったりして・・・

人は由紀子の嘘ばなしと笑うでしょうが 自分自身信じられない本当の奇蹟なのでした。

 

 「姉ちゃん明日の休み 東京行くから留守番たのむわね」

弟幸太郎は何の返事もしない。賄の食堂には姉弟の二人しかいない。明日は姉の由紀子は休みであった。

「ジャー頼むわね」「フン そうかよ」

今度は 姉の方が無口となります。気まずい雰囲気です。

「俺 あいつ嫌いだよ」

由紀子は自分の食器をかたずけながら

「お姉さんを困らせないで・・、あなただって何時までも子供じゃないんだから」

“あいつ”のことに為ると 弟は直ぐ機嫌が悪くなる。 難しい年ごろだから とは思うけれども・・・

 東京に遊びに行くとなると 帰りは夜中になります。

幸太郎は 学校から帰っても何時もの姉の姿が無いのは複雑なものです。 板長さんが声を掛けます。「姉ちゃん 東京だろう? 帰りは遅いぜ おじさんとこテレビ見に来いよ」  ウンともスンとも言わない。

 最終バスは夜の十時であす。 幸太郎は 踊り子街道から温泉郷に入る辻のバス停に チト早いのが照れ臭いが姉を迎えに立ちました。

この時間になると 何処の旅館も静かなものです。従業員たちは村の共同浴場に行くか 村でただ一軒の飲み屋”茶壷“に集まるかだ。家族持ちは自室で テレビで野球観戦となるのがコ-スです。

 バスは一時間に一本です。九時に もしかしたらと期待したけど やはりダメでした。ところが 十時の最終にも乗っていない。チキショウ

 二人の東京行は毎度のことですけど、最終バスのキャンセルは無かった。姉との暗黙の約束が破られたのです。

泣きたくなります。とにかく旅館に戻って電話がなかったかどうか聞いてみよう。

 勢いあまって開けられた引き戸に皆はビックリして

「幸太郎 どうした?」「帰ってこない。 姉さんから電話あった?」「いや ないよ」

中学生の男の子が半べそである。。「姉ちゃんが帰ってこないんだ」

<ああ そうだった>と大人たちは思い出した。若い二人が東京に遊びに行ったんだっけ…

タクシ-で帰るんじゃない東京に行ったら皆そうだ。心配することない 

明日早いから 先に寝ていた方が良いよ」と諭されて 少年は頷いて帰ったようだった。

 

 夜中の一時は過ぎていました。女将の忠僕である例の老人が遅くなった帰り道 車を急がして例の辻に差し掛かると 幸太郎がしゃがみ込んでいるではないですか  お姉さんを待っているのだ。

大丈夫か? 山の夜霧はきつい

「オイ 姉さん待ってんのか?」 うん 下を向いたまま元気がない。

老人は由紀子を信用している。 もう五年も同じ屋根の下で働いている。孫みたいな姉弟である。

最近の若者には珍しい頑固なバカ真面目が気に入っている。

「そのうちルンルン気分で帰ってくるさ 怒って喧嘩すんなよ」」

この時間では 国道を走る車もない 犬一匹見かけない。空模様も気になる。

「どうせタクシ-だから 家で待っていた方が良い・・・。この分では雨になるかもしれんし・・・」

少年は待ちました。案の定 小雨となりました。五月とはいえ 山里の夜は一段と寒さが厳しい。

小雨と寒さの中 幸太郎は待ちました。

「姉ちゃん帰ってきてくれよ  何故 帰らないんだ?  お願い 帰ってきて下さい」

来ているものは もう重くじっとり濡れています。

誰も来ない 音もたてず泣きじゃくりながら 一晩中待ち続けたのでした。

 少年を保護したのは いつも一番に出勤する昨夜の車の老人でした。

うずくまる固まりを目にしたとき 「幸太郎じゃ」と一瞬頭にきた。

「ヤバイじゃ. この馬鹿野郎が・・・」

少年はずぶ濡れ 目は虚ろ 歯はガチガチと震えています。 額に手をやると 焼け付くように熱い。「あいつら 帰ってこなかったのか?」

直ちに近くの湯の川病院に運ぶと 急性肺炎になっていました。あと三十分も遅かったら 完全にアウトだったようです。

『いい大人がいながら ガキ一人の面倒も見切れんのか、お前ら!

 大人の責任だぞ---」

ドクターは本気で怒っていました。  

 

 由紀子たち二人が帰ってきたのは午後の一時を周っておりました。

休日の翌日は 午前中の仕事はパスをしてもいい習慣になっております。

 幸太郎の事故を知った瞬間 由紀子は茫然自失 腰を抜かして固まってしまいました。恋人は直立不動 言葉もありません。

 由紀子は老人の車で病院に駆け付けました。

集中治療室の弟はマスクで顔の半分は隠れており 生きているのか死んでいるのか、 由紀子は「死んだら嫌だーーー」と泣きじゃくるだけです。

 女将さんが付いていてくれました。「もう大丈夫 安心して…。今日はこのまま一緒にいてあげてください」

 「本当に申し訳ございませんでした」

由紀子は言葉にならない涙声で深々と頭を下げるしかありません。

「本当に しょうがないお姉さん」。 おかみはニヤリと笑った。 怒っているそぶりは見せないが 絶対に怒っているに違いない、あの口の曲がり方は・・・

「じゃ 私は仕事があるから後は頼むわね  ほんとうに 爺やが通り合わせたからよかったものの 危なかったのよ・・・」

さりげなく怒りを口にして出て行きました。

 

 誰かが覗き込んでいる気がして 幸太郎は目を開けました。 「えっ 嘘…」お姉さんの顔があります。もう帰ってこない と思っていたのに・・・.《お姉ちゃんは僕を捨てたんじゃないの?>

「お帰りなさい」 あれだけ待っていたのに小さな声です

。姉はもう堪らない さびしかったでしょう・・・? 今 由紀子は 弟の胸の内が 嫌というほど解るのです。

 御免ご免 怒っていいよ 怒っていいよ 怒ってちょうだい。 怒っている筈なのに 何時もの弟のあの笑顔がやり切れないのです。

「本当にごめんなさい。お姉ちゃんが悪かった」

由紀子は ゴメンナサイを繰り返すしかないのです。

「お姉ちゃん怒ってない?】「私が どうして怒るのよ? 怒るのは幸ちゃんの方でしょう?」

 でも 弟は ヤッパリと思うことを弱弱しく口にするのでした。

「怒って 僕を捨てたりしないよね?」

絶句した。

「何言ってんのよー」声を荒らげて「そんなことする筈ないでしょう  私はあなたの姉さんだよ」酸素マスクの弟を激しく揺り動かすのでした。

はずかしい 弟にこんな心配をさせてしまうなんて・・・これでも 姉貴かよ?  情けない。

 

 此処は旅館が四軒しかない小さな温泉村です。 良く言えば「みんな家族」、悪く言えば「他人の噂ばかり」のコミュニティなのです。

由紀子の恋人は気づいています。自分がどんな噂の種になっているか、まるで針の筵です、面白い筈がありません。

「これだから 田舎は嫌いだ」

デイトをしても 若者は愚痴っぽくなるばかりです。今までの夢ばかりの時間ではなくなったのです。由紀子も落ち込みます。

 若者の腕は 伊豆の業界では評判が高いのです。最近熱海の方から誘いがあり、本人も「チャンス到来」と燃えている時でした。

 二人には ただ弟幸太郎の態度が心配と言えば心配なだけでした。ですが 「こうちゃんも一緒に行くさ」と

若い二人には さして大問題にしてはいませんでした。。 

青年にとって 親のない姉弟の面倒を見ることは 「これぞ 男の甲斐性」と自慢にこそなれ 経済的にも今のところ問題は無いのです。この姿勢が 幸太郎少年を傷つけていたのかもしれません

 ルンルンの恋人たちの前に今度の事件です。

由紀子の心は重くなります。

ところが 世の中ってどうなっているのやら ここにきて幸太郎の態度が豹変したのです。

弟と”この兄ちゃん“ がエライ仲良しになったのです。

周囲にも「弟がな…」と心配する女性や年配者が多かったのに 姉を含めてもろもろの杞憂を吹き飛ばすような弟のヒットでした。

 今では 幸太郎は學校が引けると即 お兄ちゃんの処に遊びに行きます。お兄ちゃんは たとえ仕事中であっても 何かと幸太郎の遊びの材料を用意してるのでした。

何が面白いのか 二人はご機嫌ではしゃいでおります。ちょっとした拍子に歓声を上げて 由紀子を呆気に取らせるのです。<女の私には入り込めない男の世界>なのでしょう・・・

あれっ! 「お兄ちゃん―」と呼んでるではありませんか。青年の方も「幸ちゃん 幸ちゃん」と やたらに連発しているです。

 由紀子は最近落ち着きまっせん。

若者との恋もマアマアだし 彼氏と弟の中も上手くいってる、 是では不満の起きる筈ないのに イライラすることが多いのです。不規則に起きる心臓の動悸も気になるところです。 弟の根性が癇に障る。

 

 ある夜由紀子は夢を見ました。

場所は 山奥の霧の谷間の小川の岸部です。そこだけポッカリ陽光が差し込んでおり 弟と姉が向き合っているのです。

「あんた この頃無理してんじゃ」 頭から伝法口調だ。

普段とは姉の目つきが違う。 弟は狼狽して俯いた。

「姉ちゃんには まるで腰巾着にしか見えない。 あんた そんなに あの兄ちゃん好きだった?」

「(う~ん)そうでもないけど・・・」

「なら 何故 あんなにベタベタすんの?」

 今度は 弟が弁解しました。

「姉ちゃん あいつと結婚すんだろう? そのお祝いだよ・・・」

「何よ それ?」

「俺は一人でやっていけるから 姉ちゃんは心配しないで熱海でも何処にでも行って下さい

弟と婿さんが中悪かったら 姉ちゃん気分悪くなんじゃ・・・」

「やっぱり そうなのか・・・」

弟は 自分が身を引くことを前提にして動いている。 

施設の子にとっては 周囲の顔色を呼んで素早く演技することは 生きていく上の必須の学習です。 一体何処で覚えたんであろう? こいつも 施設にいたことあんのか?

弟から こんな好意を姉は受け取りません。

 

 

   

結局どうなったか?

由紀子と青年の結婚はブレイク、 当然 幸太郎を連れての熱海行はオジャンです。 若者だけが一人熱海に去りました。由紀子幸太郎姉弟は村に残りました。

 

青年が由紀子から「熱海には行けない」と土下座して謝罪された夜の修羅場は 語らないほうが平和的だと思いますので省略します。

 

あれから五年 かっての餓鬼は中学三年生です。 姉としては 高校進学を前にして 何かと考えることの多い毎日です。

成績の方は 湘南高校は無理としても進学校のアノ高校は大丈夫でしょうと担任から言われ 由紀子は気をよくしていますが 肝心の幸太郎の胸の内が解らずイライラする日が続くのでした。

案の定 悪い予感が的中しました。

「僕卒業したら就職するから 板前になるんだ 京都にいくから・・・」

 うちの板長の紹介だという。板長は盛りを越した老職人ではあるけれど 腕も人間も申し分のないオヤジです。 姉弟は伊豆に来たときから 何やかやと世話を受けました。 オヤジの話でしたら間違いあ

りません。

それにしても 何時の間にはなしができていたのか 姉の私を差し置いて。年と共に 幸太郎は自分から離れて行くようで 由紀子は面白くないのです。

 どうやら 幸太郎は学歴よりも自立を選んだようです。」

せめて 高校ぐらいはと 姉としては納得できません。弟の気性では

説得は無理です。事後承諾しかありません。

 それにしても悔しい。高校もやっていなかったら 私の立場はどうなるんだ?

 将来 もしものことだけれども 幸太郎の父親 私には義父である あの暴力親父にや 又は私たち姉弟を捨てた母親に 何処かにでも偶然にでも出会った時には 思いっきり罵倒してやろうと心ずもりをしていたのが  中卒ではテンション下がるかな? と見栄を張っている人間に我ながら

て 姉を自由にさせたい)

やっぱり 弟は三年前の恥ずかしい。

(早く自立し”あの日”のことを忘れていないのだ。別に  由紀子は弟のために 自分を犠牲にしたとは思ってはいないのに。

 

 京都に向かう幸太郎を 姉は小田原駅の新幹線ホ-ムで見送りました。姉が肝入りで誂えたドスキンのス-ツは今どきではないけれど 十五歳の少年は最高のご機嫌顏で 大声で言うのでした

「初任給では 先ず一番目には お姉ちゃんにダイヤモンドを***プレゼントするからね。指輪にするか ブレスレットにするか決めておいてください」

 由紀子は最近涙もろくなって抑えるのに苦労する。おばさんと言われる年齢ではないのに。

三十路を眼前にする、我青春の真っただ中にあり。貯金もある “源氏”もいる 怖いものは何もない。これからが由紀子の人生じゃ

                おわり  

 

*本文は 昨年夏にブログしたものを整理したものです。

 次回は 八番「隣の赤子」をREWRITEしたいと思っています

*本文は 昨年夏にブログしたものを整理したものです。

 次回は 八番「隣の赤子」をRE