(梗概) 太平洋戦争敗北間もない東京エビス駅前広場です。 。
駅を降りて左手には十畳一間のバラックが奥の方まで密集しています。少年の家族三人もここに住んでいるのです。。
少年は小五、剛と名乗ります。。父親はトラック野郎で母親は隣駅の東横デパートに臨時で働いています。
物語は、その時から五年後、剛少年が家出をするに至るまでの経緯です
その年 父親が急性アルコール中毒で急死しました。
あまり時間を置かずに 亡父の後輩が新しい父親となりました 。次々と、妹が二人出来たころ 母が交通事故で長期療養となる羽目となったのです。
若い父親は 三人の子を抱えて頑張ったのですが現実は中々うまく行きません。
剛少年は十五歳の青年に成長した時分です。義父と謂わば連れ子の間は感情的にしっくり行かなくなりました。。
生活苦から 生活保護を受給する立場になると 男親の行動措置が徐々に変貌を見せ始め やがてDVとなってしまいます。。
女親は急遽 医者の反対を振り切って退院します。母の決心は早かった。
息子剛に 来年中学を卒業したら亡父の友達がやっている工務店に住み込み就職することを提案します。
少年は卒業を待たずに家を出て 自立をはじめます。
(本文)
太平洋戦争敗北間もない東京エビス駅広場です。 駅前は隣の渋谷駅と同じく、砂利と泥の広場です。 丁度、時代はテレビ時代が始まった時でした。
人も疎らな駅前ですが、電機屋がサービスで放映している街頭テレビの前は 相撲の時などは それこそ立錐の余地もない黒山の人だかりとなります。。
近くの進駐軍基地はイギリス・オーストリア軍の駐屯です。だから恵比寿はアメリカ兵とは違った雰囲気があるんだ と少年は内心自慢でもあるのです。 それに少年の好きな女優の野添ひとみさんが近くに住んでいることも毎日の興奮です。
駅前左手の小高くなった台地には 粗製急造のバラック一軒家が乱立しておりました。
剛少年の三人家族もその一つに住んでいます。
父は長距離トラックの運転手をやっていました。仕事の真面目な人なのですが 身体がプロレスラーみたいな逞しさで 酒が底なしと言う愛すべき男でした。ただ風貌が一見ヤクザっぽく強面するのがチョット怖いのですが 内実は どうしてドーシテ バクチはしない酔っても喧嘩はしない子煩悩で女の子にはニコニコ優しいあんちゃんでした。その父はこの正月に密造酒の急性中毒であっけなく死んでしまったのです。
世間では「ショウのない奴だったけど女房子供に バラックだけど住めるとこ残していったのだからマア御立派だよな」と評判はいい。ですけど 本音は「やはり未亡人は若すぎるし 残された剛少年のことが心配なのでした」。
一年後少年には新しい父親が出来ました。死んだ父とは同じ会社のトラック野郎です。
謂わば弟分でした。
伯父さんは酒は付き合い程度しか口にしません。何時も酔っぱらって動けなくなった父を何んとかカンとかして家まで送ってくるのが小父さんでした。父は「あいつは好い男じゃ だが酒が飲めたらにほんいちのおとこなんじゃが・・・」と 褒めているのか残念がっているのかブツブツ続けるのでした。
お母さんは「お酒を飲まない人、大~好き」とお父さんをけん制しながら小父さんの肩を持つのでした。 世の中は 映画会社の恋愛三羽烏とか云って美男優男全盛です。小父さんは映画俳優にしたいほどの『いい男』なのです。何処にいても ひと際目立ち存在なのでした。
ですから 母から小父さんが新しい父親になると告げられた時にも 何か予期していたことが現実になっただけの話で 別に驚きもしませんでした。
新しい家庭はそれはそれは楽しいものです。。小父さんは話がうまくていつも笑いが絶えません 食卓が一変しました。毎日 夕食はご馳走です。オカズが違うのです。然もお母さんの手製です。剛少年は今の今まで母親がこんなに料理上手だとは知りませんでした
瞬くうちに年月は経って もう五年にもなります。新しく家族も増えて 五歳と三歳の二人の妹です。それが今の内から将来の美貌が約束されているような美少女なのです。
剛少年は 妹たちが己の顔の造作とはかなり違うのを友だちに揶揄われるのでしたが そのこともあってか、兄としての責任感はより強くなるのでした。
五人家族の生活は、何というのか表現できませんが よく考えてみたら 毎日が充実して楽しいものです。
小父さんは夕食は必ず家族五人で一緒に食べます。死んだ父の時には 何時も酔っぱらって晩く帰ってくるので晩御飯はお母さんと先にすまし先に寝てしまうのが普通でした。
最近の家族の話題は「お金を貯める」ことです。八畳一間の家なんて五人家族には絶対狭い。だから節約節約でお金を貯めるのです。どうやら 新しいところに引っ越す目途
も出来たみたいです。小父さんは今までやらなかった工事現場の仕事もやるし お母さんは残業もよく引き受けていました。剛少年は妹の面倒をよく見る頼もしい兄貴でした。妹に挟まれて家族の手伝いをしているうちに 知らず知らずの中に小父さんを「お父さん!」と呼んでいて 自分でも驚いてしまいました。
いよいよ新しいアパートに移るのも秒読みの段階になった時 好事魔多しというのですか 世の中良いことばかりは続かないようです。
授業中 職員室に呼ばれてすぐ行くと母親の交通事故を告げられました。仕事帰りでお母さんは急いでいたのだと思います。
ところが事故は若者の無免許運転の自動車衝突です。自転車ごと巻き込まれ三十メートルも日木津られる重傷です。しかも相手は飲酒運転の未成年です。
世の中は 「人権」とか「少年法」とかがまかり通る混乱時代です。社会保障も糞もあったもんじゃない。遣られ損なのです。
怒って怒って文句を怒鳴って怒鳴って 我を通すのは性に合わない。剛少年は兎に角頑張ると心に決めました。
母の治療は長期に為る事を医者から告知されて家族は覚悟を決めたのです。長期作戦です。剛少年は上院に日参して母の「言いつけ」を受け取ります.幼い妹の面倒は当然としても 洗濯ほかの雑用だけではない 直ぐ家族の食事までも器用にこなし始めたのです。これには 義父も母親も涙を流さんばかりに褒めてくれたものです。
學校のことなど考えている気持なんかはない。
此れで 家族は何とか回転し始めました。これなら大丈夫、というところです。
丁度こ゚の頃 「不幸中の幸い」なんて言葉は使いたくないのですが 隣国の朝鮮でちゅう戦争が起きたのです。未だに休戦はしているけど終わってはいない「朝鮮戦争」です。
嫌な話ですが 日本は好景気です。お父さんのトラック運送は日本経済の大動脈です。父は昼夜兼行で仕事です。家を空けることも多くなりました。収入は倍々増です。生活はハデになりました。父がいる時の夕食は殆ど外食となりました。剛兄さんの出番は無くなりました。なにかフワフワした感じですけど ヤレヤレです。
ところがです、気が付いた時には大変なことに為っていたのです。
義父が警察に逮捕されました。詐欺グループの一人です。その時初めて知り ました。彼は半年前にすでに運輸会社を辞めて こんなことをやっていたのです。どうせ 戦争景気鉄くず漁りに踊っていたのです。 関西地域の寄せ屋・廃品回収業者に声をかけて 要するに相手の弱みに付け込んで支払いが詐欺まがいだったのです。当時は 旧日本軍の軍需工場残骸もい未だ手付かずのところも多く 結構潤った零細仕事師がウロチョロしていたものです。
今の世の中でも まともな仕事ではありません。こんなアブク銭の味を知ったものは後の人生苦労します。この義父には似合いの犯罪であったかもしれません。
父親が居なくなったことを告げられても、 母親は豪とも驚かないのです。「じゃこれで生活の方は頑張ってネ 頼むわよ」と剛少年に貯金を崩したものを渡すのです。この場に及んでも 母は息子を絶対的に信頼しているので慌てません。それにしても 母がこの環境の中でいつ貯金なんてできたのだろう? と剛は驚愕するのです。
剛少年は即「新聞配達」を始めました。朝刊夕刊を二百軒に配るだけでない、集金業務、読者拡張の歩合仕事までやる始末です。学校なんか行くことない。当時 児童福祉法何て法律はない。小学生でも中学生でも必要ならばバンバン働いた。
義父は起訴猶予で一年足らずの留置所生活で戻ってきました。
義父の性格は一変していました。仕事には行かない。昔のトラック野郎の仲間からは完全に信用を失っております。
仕事もせずに一日中ブラブラ 朝顔を合わせて『おはようーーー』というこ゚ドニも返事もしない。 最近では あの飲まない筈であった酒に酔って帰る日も多くなりました
女親がいないと 男親はこんなにも変わるものだろうか?
「お父さん お母さんが居なくて寂しいのね 可哀そう」なんて二人の妹は甘やかすので余計にいけない
この一月ほど 見かけない人が来る。まるで家の中を検査するみたいな嫌な目つきなのです。警察かと思っていたら区役所の福祉の役人だってサ・・・。
ある晩 父親は三人の子供に告げたのです。
「お母さんも病院生活 お父さんは心の病気で働けないので 此れからは生活保護を受けることに為ったから みんなもがまんしてくれーーー」
剛少年も妹も 父親が病気」だと言われても 何の病気だか全く理解できません。
家族の異変は忽ち近所学校の評判になっているようです。個人情報なんて言葉のある時代ではありません。こんな秘密は筒抜けです。
生活保護という言葉に「グアーン」と殴られた思いです。クラスにも生活保護を受けている家はある。明るい子は一人もいない。一瞬<恥ずかしい、嫌だ!>言葉も出ない。お父さん 何の病気なの? そんなもの病気だと言って働きもしないでブラブラ生活保護なんて 恥ずかしい。
世間の見方は一致している。「あいつは元々仕事人間じゃない。遊んで暮らすのが あの男の性根だぜ―――」と嘲笑しています。
家族が崩壊するのに時間はかかりませんでした。あ三人の子供たちから 軽別の目を向けら 父親は日に日に逆上していきます。このあたりのことは思い出しても胸糞が悪くなるので書きたくないのですが筋書きだけ簡単に記しておきます。
朝から酒を飲んでお説教が始まる。子供心にも二人の妹は知っています。父にはお酒を一緒に飲む友達もいない 話を聞いてくれる仲間もいないのです。女の子は優しい、この男は可哀そうな人なのです。
「お前たちは素直じゃない。親を何だと思っている? ろくに返事もしない。俺をバカにしているんだろう・・・」
二人の妹は親父と血のつながりがある。俺にはない。僕は内心言いたいことも遠慮して言えないのです。
五人家族には 今迄〝血のつながり”云々の話は一度もなかった。それが母の入院、父のトラブル 生活保護受給と続いておかしくなったのです。剛少年には やはり””血のつながり”が原因ではないかと少年心に邪推してしまうのでした。「これでも男親かよ?しっかりしてくれよ・・・」
「お母さん早く帰ってきて頂だい」と泣きついたのです。
テーブルがひっくり返る、茶わんや皿がガチャガチャ音を立てて砕ける、大の男が顔を真っ赤にして小さな子供を蹴る物を投げる。二人の妹は必死に逃げるのです.
その中で少年は晴れ上がった顔面を鼻時で真っ赤に汚しながら声も上げずに黙って男をにらみつけるのです。その目つきが「生意気な・・・」と益々義父の逆上を激しくさせるのでした。
お母さんは 内情は全て知っています。
それからひと月もしないうちにお母さんは退院帰宅したのです。 松葉杖を使っても歩けないのに無茶な話です。医者や看護師の制止を振り切っての我儘です。当然母は 炊事洗濯掃除と家族のことは何もできません。
処が 義父がそんな母を助けて大奮闘なのです。家事一切彼は始めたのです。驚くなかれ 食事の世話までもです。もちろん女が背後に控えていてイロイロと指図をしているのですが 義父もお母さんも恥ずかしくなるような歓声を上げたりしてまるで新婚です。いい年漕いて「ままごと」でもあるまいに・・・。
お父さんとお母さんが仲が良ければ 小さな妹たちは大喜びです。跳ね回って家の手伝いをしております。
少年の耳にこの噂は直ぐ入りました。 事実,陰ながら覗見をしてみると納得せざるを得ません。 あんなお父さん見たことない。まるっきり家族ではないですか。
お母さんも妹たちも あいつの味方なのが口惜しい。この俺の頑張りは何だったんだよう…?」
なんか 俺だけが悪者みたいだ。近所の噂も「長男は頑張り屋の正直者だけど 死んだ父さん似で 一寸、ヤクザっぽいからねエ・・・」
剛少年はお母さんに呼び出されて駅前の喫茶店で会いました。
会ったら一番に言ってやろうと決めていたことがあった。だけど会った時には母の顔は半分涙で濡れているのです。これでは何も言えたもんじゃない。
長長縷々と確っきりしない涙声で「ごめんね ごめんね」と少年に詫びるのです。「怪我はしなかったかい? お前ばかりに苦労かけてしまった。
良く我慢してくれました。ありがとう、ありがとう」 母は義父の暴力のことは知っていたのです。
お母さんの慰めだと感激していたら いつの間にか弁解になっていました。お義父さんは、本当は悪い人ではないんだって。余りにも優しいので 社会から騙されやすくて心が傷つき易いんだって・・・
こんな弁護を聞いて 少年は一度に母親から気持ちが離れてしまったのです。
家庭内暴力の男が優しいお父さん?
そして 女親の尤も語りたい要件とは
あと八か月もしたら、剛少年は中学校卒業です。卒業したら 埼玉の知り合いの処に行ってみてはどうか という将来の進路の心配だったのです。仕事を覚える道でも高校に進む道でも好きなようにと言っているけど・・・と。
”埼玉の知り合い”とは死んだお父さんのダチ公だ。今じゃ紳士になって埼玉で大工をしています。
「なんや 追い出しか・・・」
少年は あくる日早朝 埼玉の小父さん処を目指しました。小父さんはよく知っている人です。中学中退の家出です。
おわり
(あとがき)
後日譚;少年は 進学ではなく<大工>としての自立を選択しました。