Jikowsつれづれ#⃣101  「お話しメルヘン・許嫁」   中津さんそん

          むかし昔 老生が14才中2の 時でした。確か国語の授業だったと記憶しますが エッセイの課題に「トイレ」の話を書きました。  今流に言うとトイレで長男すが要するに「大きい便所」です。 その便所とて 山村の貧乏茅葺き小屋の我が家のそれは 住屋を囲む雑木の中に形ばかり板囲いをした青天井の外便所でした。まあ のぐそ野糞みたいなモノです。 たまたま(用たし)に入り 先客に居合わせた「デッカ

イ女郎蜘蛛とのお話をエッセイとしました。偶々 それを教師が「ホー」と感じてくれ、それを又少年の私が「ホー」と意味も知らずに 「ホー」と感激しちゃって その時メルヘンなる言葉を教授され 爾来,私はメルヘン的現実を心がけております。

太平洋戦争が終結したとき、ですから80年近くの昔になります。そこは 100戸にも満たない小さな農業専門の部落でした。

祖父は そこの村長をもう15年も務めている人格者、と云うか人付き合いの上手な政治大好き人間です。 

この村長の元に「どう しようもない悪ガキ」がいます。それが当年7才の俺でした。

 此の敗戦は日本国の重大事です。 村長も末端とは言え国の為政者の一人として 昼夜 責任の重さに苛まれない一日が無かったほどでした。

と言うのも 戦争が近づき始め世の中が落ち着かなくなった4・5年前頃から この村も御多聞にもれづ「右へならえ!」の世の中になった時から 実は村長の地獄が始まっていたのです。

徴兵です。 軍がヤル事とは言え、村長にしては{己の子弟を兵隊として差し出す}構図であり トップの者としては 云うに言われぬ断腸の想いとなるのは人間の常でしょう。

この村長とて特別に優しいというわけではありませんでした。

ただ責任感です。責任意識だけは 東北農村の現場トップのそれは 田舎芝居の比ではなかったようです。

 中年百姓の家から 初めて生まれた男の子 長男だ。俺達の後継ぎだ。 ところが次にも 次にも男の子が生まれた。

ああ、俺達夫婦は なんという果報もんヨ!

  こんな百姓から 長男が兵隊に行き 終戦直前には次男坊まで取られてしまった、

こんな徴兵の案件が続きました。 村長が正面に立って仕切る政事でした。 表は「バンザイ・バンザイ」の祝宴ですが、裏は「死ぬなよ・死ぬなよ」の通夜みたいなもんです。

 村長は 己れの長男次男ともに兵となった時,なんかトッテモ安心したようなかおつきで村人達に接していたのが、俺の子供心にも印象に残っております。

   戦争は負けておわりました。

   村から出征した男の半分は死にました。 

 村長の長男も戦死となりました。

 長男には言い交した女人が居ました。 許嫁と言うべきかも知れませんが なんせ本人は高1の15才ですので全てがまだピンとこない。いとこ会の同じメンバーですから、二人とも「大人になったら夫婦になる仲だから…」なんていって赤ん坊の頃か よく一つ布団で根化されていましたから まるで5才の頃から本物めおとの雰囲気でした。

 出征して間もなく彼女は女の子を出産しましたが、軍から帰ったら式ヲやって…なんて計画していたものだから 彼女は実家から通学・卒業して男の帰還を待っていたのでした。

 世の中の情報は混乱しておりましたが 長男の戦死が決定的となると 村長は「嫁をどう説得できたのか 不思議なことですが・・・」。 彼女を役場に勤務していた若者に嫁がせ孫娘の方は自宅に引き取ったのです。

 村長は それから一年も経たずに無くなってしまったのですが 其の遺書に「俺と孫娘との婚姻」が銘記されていたのです。

 私としては 村長に拾われ・育てられた恩がある。嫌も応もない。実は 私は内心 この娘のことは、ここに移って来た時から気になっていた美少女でしたけど。家の前をとおる街道はこのへんでは第一の港町に抜ける。。 多数の遊女・女郎屋で賑わっています。

そこを逃げ出した子連れ女が行き倒れ、親は死んだが、子の俺は生き残っていたのです。

        Jikowsつれづれ         中津さんそん