今は昔#4 「清水港は 男のミナトよ・・・」 中津さんそん

(始めに)

横浜から名古屋を目指していましたが 途中清水港に立ち寄りました。特別に清水次郎長さんに用事があったわけではありませんが 若い男としては【男の世界】の舞台をチョット覗いて行こうか なぞという生意気根性だったようです。

 港の保税倉庫の荷役 造船所内の貨物船の錆剥がし そして隣の焼津港で冷凍マグロの陸揚げです;

(本文)

  朝一番に職安に駆け込みました。小学校の教室程度の役所には求職者は誰もいない。昨日から感じていましたが この町はガツガツしていない平和な港町なのです。

 ふっと目線がぶつかった人が座っているカウンターに向かいました。若い中年男で作業着姿の紳士でした。

「何々云々・・・」と説明すると

「ほう―、旅をしているのかネ」

途端に嬉しそうに「OK,OK!]と電話に手を伸ばすと何処かに手慣れたダイヤルをして暫しお話をしています。

「ここに行ってみなさい」と 紙切れに地図を描いてくれました。

「ああ 君の名前と生年月日 それから住所もな・・」

言われた先は〈鈴与倉庫〉といった。会ってから30分も経っていない即決です。余計な話も書類もない 本当に頼りになる兄貴です。

 倉庫の仕事は 横浜の風太郎生活でかなりの経験者となっています。懸命に動きました。

港の仕事はAM8-PM5が定時です。私は定時をかなり過ぎてから仕事に入ったのに賃金はone・dayの満額でした。ちょっと感激します。

 造船所の仕事は 飲み屋で女将と雑談中に 『いい所あるから紹介するわ』と決まったのでした。

 翌朝ポンポン蒸気で清水湾を横切っているとき見る富士山はやはり感慨ひとしおです。

貨物船の錆落としは一日中頭を仰向けにしての作業ですこれはシンドイ。。吉川英治の「カンカン虫の歌」を思い出しますが この賃金でこの仕事は割りが合いません。

 焼津港でのマグロの陸揚げは危険ですけど面白い。何故面白いと言って 賃金もいいし余禄もありましたから。

500トンぐらいの貨物船の腹の中は一本50キロ内外の冷凍マグロで満杯ですアフリカ西海岸からやってきたものです。。まるでコンクリートの氷塊です。魚のイメージは沸きません。足元はツルツル立っておれません.

案の定 私は舷側に飛ばされ額を二針も縫う裂傷です。事故の時 私を港の診療所まで付き添ってくれたボーシンは「ごめん、ごめん」(旅の若者をケガさせてしまった)と恐縮すること頻りなのでした。 かえって 自分の未熟さゆえの事故を詫びなければならないのにーーー」

(おわりに)

 職安(ハローワーク)の兄貴、酒場の女将 倉庫の労務担当と次から次と途切れることなく仕事を心配してもらいました。82歳の今の自分は「若い男の肉体は値打ちのある商品だからな・・・」なんて言いかねませんが、清水はやはり侠気の良い街です。侠の字は 本来は人偏に夾ですから 【一本の棒に人が四人です】 意味の取りようは様々、私の好きな文字です。

 

 俺は元々【ヤクザ】に憧れていた不良少年でありましたから・・・。

                        おわり