今は昔#59  Jikowsつれづれ中「故郷だけが青山ではないでしょう」 中津さんそん

ど 今昔59Jikowsつれずれ 【故郷だけが青山の処ではないでしょう】中津さんそん

人生到る所青山あり と言いますけれど

人間には各々事情も感情もあります。 「こんな処 死んでもゴメン

だ」と 駄々をこねる御仁もいる筈です。

俺 の知っているご先祖さまは曾祖父までですが その先を考えると何千何万人という数になるでしょう。 夢見るだにワクワクしてき

ます。思いは やはりご先祖様に泥を塗っては

バイですワ。 

 私と 血の繋がりがあったかどうかは別として 私と似たような生筋だったでしょうから 頭脳お粗末バタバタと生涯を送った人たちだったと思量して来ました。

 

テレビ放映に「ポツンと一軒家」という番組があります。ウーンといつもジェラシー交々 複雑な思いで酒の肴にしています。あれなんざ正に「人は一代にしてならず」、ご先祖さまサマサマの写真でしょ       う。 羨ましいかぎりですワ。

と言って いくら令和日本か知りませんけテレビ的YAWAに付き合っている暇はありませんけど コロナ騒動で体調を崩した今日この頃は「自分自身の青山」を自然考えてしまいます。。 青山は人生至る所に存在する筈なのに 気づけば俺にははないのでた。

「そんなバカな! あれ何処に行ったんや?」と

 83歳にもなって、今さら素っ頓狂な声を張り上げて、あるはずの己の墓石をウロチョロ探したのですが 何処に行ったのか見当たりません。老い耄れか?

俺には墓石とは生まれた時からの一心同体の存在なのに・・・。此れには訳事情があるのです。

 そう世間様には冷笑の話種にしかすぎませんが 私にとっては 

大事な大事な墓石物語があるのです。。

私は昭和13年1938生まれですが 其の丁度一年前12歳で急逝してしまいました兄貴がいます。 その少年には 父と母は何か知りませんが特別な想い入れがあるらしく、一年後生まれた私を少年の生まれ変わりだと公言して 誰憚ることはなかったのです、少年の葬祭の日と小生の誕生日の間が10っ月前後であることを知ると 大人のロマンチストぶりを己の親に見つけた時は なんとも表現の仕様のない飛翔のようなウキウキ気分になったものでした。70年前の少年の日でした。。

母は「少年の墓石を これはお前の墓だ」と母子二人暮らしの私に

言いつづけていたのです。

以上が私には生まれた時から墓が立っていると言うはなしです。

JIKOWつれづれ続けます。 中津さんそん

 

 

 

 

 

人生到る所青山あり と言いますけれど

人間には各々事情も感情もあります。 「こんな処 死んでもゴメン

だ」と 駄々をこねる御仁もいる筈です。

俺 の知っているご先祖さまは曾祖父までですが その先を考えると何千何万人という数になるでしょう。 夢見るだにワクワクしてきます。思いは やはりご先祖様に泥を塗ってはいけないという心です。

 私と 血の繋がりがあったかどうかは別として 私と似たような生筋だったでしょうから 頭脳お粗末バタバタと生涯を送った人たちだったと思量して来ました。

 

テレビ放映に「ポツンと一軒家」という番組があります。ウーンといつもジェラシー交々 複雑な思いで酒の肴にしていますが。あれなんざ正に「人は一代にしてならず」、ご先祖サマサマの写真でしょう。 羨ましいかぎりですワ。

と言って いくら令和日本だか知りませんけど いくら私とて そう何時も何時もテレビ的YAWAに付き合っている暇はありません。 コロナ騒動で体調を崩した今日この頃は「自分自身の青山」を自然考えてしまいます。。 青山は人生至る所に存在する筈なのに 気づけば俺にははないのでた。

「そんなバカな! あれ何処に行ったんや?」と

 83歳にもなって、今さら素っ頓狂な声を張り上げて、あるはずの己の墓石をウロチョロ探したのですが 何処に行ったのか見当たりません。老い耄れか? 下手な(お笑い)にもならないですワ。

俺には墓石とは生まれた時からの一心同体の存在なのに・・・。此れには訳事情があるのです。まう聞いてやってください。 私にとっては 大事な大事な墓石物語なのですから。

私は昭和13年1938生まれですが 其の丁度一年前12歳で急逝してしまいました兄貴がいます。 その少年には 父と母は何か知りませんが特別な想い入れがあったらしく、一年後生まれた私を少年の生まれ変わりだと公言して 誰憚ることはなかったのです 世間的には<幾分オカシクナッタ>印象でしたが 当時の事情が事情であるだけに愉快な狂人ぶりであったと話をきいております。

少年の葬祭の日と小生の誕生日の間が10っ月前後であることを知ると 大人のロマンチストぶりを己の親に見た思いになり なんとも表現の仕様のない飛翔のようなウキウキ気分になったものでした。70年前の少年の日でした。。

母は「少年の墓石を これはお前の墓だ」と母子二人暮らしの私に

言いつづけていたのです。

以上が私には生まれた時から墓が立っていると言うはなしです。

JIKOWSつれづれ続けます。 中津さんそん