今は昔#39 「Jikows新春つれづれ・・・」 中津さんそん

 

 もともと良い人生を送っていない所為か 老いても然したる思い出みたいなものは浮かんで来ない なのに 突然 昔々に忘却の彼方に消えてしまった筈のワン・シーンが頭を出すことがあります。まあ 老人の頭なんて調子の悪いパソコンみたいなもの 突然変異は日常茶飯事の出来事です。

 其の突飛な出来事とは「そうそう あの頃俺は我が闘争(アドルフ。ヒトラー)を読んだっけ・・・」。二十歳前後であった。八十三歳の今とは何の脈絡もない話です。何故こんなことを心動かすかというと【俺も案外真面目青年だったんだな!】と自分自身に感心したからです

 世間には「マトモな奴」とは思われていない自分ですが 世間には相手にされていない「我が闘争なんかを読んでいる青年はワリカシ真面目な奴だと俺は思いたい。世間が要求してないことに【yes/no】は別として興味を示している人間を私は好みます

 「我が闘争」に感動したわけではありません。ただ率直に直感しました。 もし あの当時私が少年であったならば こんな本ばかり読んでいたんでは 間違いなく熱烈な信奉者になっていたでしょう。しかも超純粋な・・・。 多様化どころか選択の余地もない社会体制とは本当に怖いコッチャ

 私は日ならずして 「大菩薩峠中里介山)」に没入していましたが・・・その後40年 白骨温泉は仕事探しに尋ねたことがありましたが ウーン 語るのは止めときましょう。

 「我が闘争」を持ち出したのは この世の中【理不尽】が多すぎますわ 私の神経では 政治なのか経済なのか感情なのか原因は分かりませんが 【子供を殺してしまう所業】です。やり切れんだけです。

 自分の生まれた時代や国を 運が良かったの悪かったのと詮議していても始まらんワ。

例え己の弱さを愚痴ろうとも 地から湧いてきた環境の中を俺は生きて行きます。それ位の自己責任をお粗末ですが持っている老人に落ち着きましたので・・・ 世の中良くしたもので 「一人では無理」でも そんな場合必ず 近くに助けてくれる人がいるものです。 一方の親 キョウダイ 親戚縁者 友だち お人よしの老人 ベンチに偶々座り合わせた赤の他人etc 此れでいいのです。

俺も人の助けになる人間になりたい、なんて思ったりしているガキでした。そして今老人です。。

 僕は教室の前に出て ナンヤカンヤお話しをするのが得意だった。もう70年以上も昔のことです。 桃太郎に適当に作り話を混ぜたりするのは最高に面白いものです。

 俺は文章を書くのが苦手じゃ  だからであろうか? しゃべくりの方が気が楽である。俺と同じくらいの児童少年少女に俺のお話を真面目腐って話すのが、ガキの頃からの誰にも秘密にしている夢でした。83歳の老人には、もはや秘密はいらない。

あと何年残ってる? 生きてる限りは児童少年少女物語を夢見てやるさ-------ヨシヨシ。。

                続きます