12才」
12才で{自分探し}とはずい分とオマセな小学生であることヨ。。
気障な言い方になるが 12才の少年が夢にもみたこともない東京と言うところ、そして出会ったのが欲望の坩堝であるデパートであった。
それにしても よくぞ気を狂わせることもなく生き永らえたものである。 さぞ周囲は気苦労をしたことでしょう。それを 自分一人が運命の少年位に思ってか、深刻面なんかしちゃってサ、かなり勝手なガキだったぜ、70年以上も時間が経ってから反省しても遅すぎます・・・。
渋谷で中学を卒業してから30で旅に出るまでは 何とかかんとか渋谷と新宿が俺の青春の本拠地であった思いがする。
それなりに真面目な若者であったと思う。思いがする。
受験勉強もしたし、三太郎の日記も読んだし 武者小路実篤の講演にも行ったし 北岳や槍にも登ったし ラクビーもしたし 歌声喫茶にも行った行った デモにも真剣だったし 都心の地下鉄工事もして土方で自分を鍛えたつもり。。
新宿西口や二丁目で生意気な酒なんかやったりして。あ、そうそう、真面目面をしてアテネ・フランセにも通ったっ
け・・・。
周囲のむねの内は嘲笑であったかも知れないが 私はこの少年はかなり真面目なうちに入ると思う。 世間的には軽薄道化にみえんこともないが一概にバカにはしたくない。
<裸の王様>とまでは言わないけれど まあ、こんな調子で中流下位ていどの平凡人だったんだったよな?
そして30才の頃「旅」にでた。 曰く「自分探し」だってサ。いい気なもんですよ、ほんとにさ。本当のところは その頃丁度観た西部劇で「馬上一人荒野をさ迷う」ヒーローのカッコ良さを軽く頂戴しただけの話にすぎないのかも・・・。
私めは幸運にも 今なりに「自分探し」を手にしています。明鏡止水とまでは行かなくとも 仕事とか 富・財とか 人間関係とかに乱行することもなく 日々 安眠・コメ味噌汁美味く・便通よし。
老生の平和に引き替え ウクライナ ミャンマー トルコ・シリヤの現実を思うと 後ろめたさにやり切れません。
これからも続けます。 中津さんそん