今は昔#29 「板場の自惚れなんて いい加減にしてや・・・」

(はじめに)

青年は 西成に立ち寄らずに憧れの神戸に向かいました、 六甲山です。板場は 鉄鋼会社の保険組合保養所でした。この山には 似たような保養所がゴマンと存在しています。各れも瀟洒なつくりは所有者の人柄が知れて嬉しくなります。青年が世話になる保養所は螺旋階段に年期物の蹴球台が備わり、屋上からは百万ドルの夜景だけでなく遠く大坂の通天閣まで見渡せるものでした。そこに管理人夫婦に管理サービスの女性が4人も常住しているのです

 随分と維持費用が掛かるでしょうにと驚きますが、改めて「大企業は違うわ・・・」と納得させられます。。。食材は良し、交通は至便、観光スポットはあり 娯楽施設も沢山なのに利用者は意外と少ないのです。手持無沙汰に時間を持て余します。

(本文)

 青年は中身がないのに格好つけているだけの料理人です。テレビ観て酒飲んでるだけの毎日です。利用者ゼロの日も多いのですが 夏場は《ジンギスカン料理と六甲の夏の夜》」で客は多い。小生のジンギスカンも「値段の割には・・・」と多少のクチコミ客を呼んだのではないかと内心は思ったりして・・・ 

働く者も応援者があるし、学生アルバイトもやって来て山荘は賑やかなものです。青年も自分がプロの大人であることを忘れてすっかり若者気分です  

 バイトは 報徳と神戸女子学院の学生でした。羨ましい限りの若者です。

女子学院は 大先輩の高説によると「横浜のフェリス 長﨑の活水と並ぶ三大女学校」の一つです。老生は当時スッカリやに下がっている体たらくです。はずかしい。 。私は 長崎のオランダ坂では「ピョン・ピョン」跳ねあがって塀の向こうを覗き見したもんですが どうも<このどうしようもない軽薄酒飲みは>、恵まれた環境をうけながら その幸運も知らずに酒にボケていました。82歳にもなると後悔すること多しでした。

(本文)

 とに角六甲山をよく歩きました。標高から見たら 伊吹か丹沢か そんな肌触りの山です。本当に日本には いい山が溢れております。

ある季 樹樹の翳に茶室らしき一庵に出会いました。雨風に半ば朽ちた木片に【神戸女子学院】とありました。

田舎者の青年には まるで源氏物語徒然草の世界に出会ったような衝撃でした。こんな体験 今まで持ったことがありません

(あとがき)。  

生まれて初めて余裕を持った思いです。旅鴉の職人です。世間的【衣食住】なんかある筈ありません。なのに青年には余裕が感じられるのでした。自分自身 自分の変化に〔貯金でもやろうかな・・・〕なんて考え反応している不思議な現象です。

環境の所為かもしれません。多分 そうでしょう。

私は生れて初めて【いろいろ考えました】。自分の生まれ祖先に育ちです。何よりも中身です。実力と言ってもいいでしょう。休みの日に山を下りて リチャードまで足を延ばして飲みに行ったりしたのですが その時の無力感と言うのか被疎外感がやり切れないのです。

包丁を持った充実】なんてこの程度のものか?・・・

           おわり