今は昔#32 「私は変わった」のではない。「やっと抜けたのだ」 中津さんそん

(はじめに)

 【自分探し】に旅に出たはずです。.渋谷駅から東横線で横浜に向かったのも、つい先だってのことに思えます。いまさら六甲山で【ものを考える】時間を持てたとは・・・。自分でも何年振りかと頭を捻ります。エっ 私はもう青年ではない。四十のおっさんではないか・・。寒気がしました。何処をウロウロしてたんだ?

 兎にも角にも 自分でも解かるほど【思い上がった男】に成長していました。人間関係の少ないコミュニティーにありながら全く相手への思いやりがゼロに等しい人間です。。自分でも嫌になッちゃう程の自己虫です。知らなかったとはいえ エラク人を傷つけてしまった。「気が付かなかった」なんてのは弁解にならん

 しかし 人間が「嫌らしい動物」になると 本人自身は驚くほど楽チンになるものです。。ですから自分が【嫌われている】なんてことは全然苦になりません。なんせ 恥を知らない人間なのですから・・・。厚顔無恥とは言いえて妙ですワ。私は毎日が快活そのものでした。

(本文)。

 とは言っても 【嫌われているのを承知で生きていくのは それ相応の人間でないと出来るものではありません】。いや 住んでいる世界によっては 有能なヒーローなのかも知れませんけど、私には所詮無理でしょう。引いてしまいます。。どうやら 「太平記」の常識はドンキホーテーに近い。 かの書物ば 名も無き放浪僧たち、現代の取材ジャーナリストに似ますか、が騒乱の全国を酩酊取材したものです。芯は「優しいロマン」の寄せ集めでしょう・・・が。

 今ここで 正直言って六甲の職場は離れたくない。こんなチャンス滅多にあるもんじゃない。

ですが 「酒飲み」は気が短い、その決断は早い。第一に 俺は昔の俺ではない 何処に行っても【めし】は食える。やっと手にした自信です。大事にしたい。

(おわりに)

 私に帰る処はもう無いようです。最後には受け入れてもらおうと算段をしていた墓所もうない。

やはり西成に戻りますか

ですがここも変わりつつありました。いつの間にか福祉の街になり始めていたのです。筑豊炭鉱飯塚が変貌してしまった時の悲しみに似ています。これも歴史

なのですか?

              おわり