i今は昔#25 「俺の人生決まった 此れで行く・・・」 中津さんそん

 

(はじめに)

 西成に帰りました。

相も変わらず天王寺図書館通いです。神戸を周り伊豆を歩いて 思いは【俺には日常生活の常識が欠落している】。と確っきりとは言葉には出せないシコリです。。不定愁訴 結局酒ばかり。俺と言う奴は本当に「何や・・お前は?」

 自分で言うのも何か気が引けるけれども 社会常識欠落人間が密度的には多い西成です。その分 自分自身気が楽で救われてる気分ですか。卑怯な奴です。。

 此れを自由の街なんて言っていいんですかね?これこそ自称○×気取りじゃありませんか・・・?。

(本文)

 神戸は観光地とは言いにくいですが 神戸にしろ伊豆にしろ温泉観光地はどこに行っても 衣食住オーケー、医療もそこそこ 住んでいる皆さんは真正におっとりしたもんです。コンクリート・ジャングルとかカスバ湿地とは大部空気が違います。

 旅館という職場は 何故か理由は解りませんが 板場(調理場)従事者がえらく態度がデカイのです。

「何故だろう?」と この風習に慣れるには多少の時間を必要とします。やはり【食】という天の采配を握っている者は強いのかな と思いきや実は「手に職を持っている者は日本全国どこに行っても飯が食える」という優越感でした。となったら雇い主なんか怖くないわな  

「社長なんてのは 何処のザコや・・・」

青年には彼らの不条理に近いプライドと言うかチンピラぶりに言葉もありませんでしたが やがて時間が経つにつれ 彼等の稚気とは言え「自立した男の格好づけ」を羨むようになっていました。

 プライドとはいっても 観光バスで運ばれてくる日毎の団体客を相手にしている調理士です。とても金沢の裏町に隠れる縄暖簾の料理人とは比較になりません。ですが彼らは強いのです。

(おわりに)   

 俺の人生 ”食“に決めた。極あっさりとチェンジしました。それだけ私本人の人間が軽い証拠でしょうか なにか十四歳の中学卒業から背負っていた重荷を降ろしたような解放感でした

職場を見つけるのは早い。堺市の給食会社です。現場は大阪湾岸にある自動車部品工場です。従業人2000の朝昼夜夜勤の給食でした。

   おわり