今は昔#28 「板場には 酒とオンナとギャンブルはつきものです・・・」 中津さんそん

 

(はじめに)

 青年の時代、今から40年ほど以前までは板場は男の聖域でした。女性の日本料理職人は存在していなかったのです。

青年は夜逃げをしてきた落第生であるのに 誰も己の身元を知らないのをいいことにして いっぱしの板前面をしてのレビューです。厚かましいを通りこして厚顔無恥もいい所です。

流石に実際の仕事となるとかなり遠慮してグッとランクを落としての 恰好だけの職人でした。本人も苦しい所です。仕事は大坂の万博公園一角の老人センターです。高齢者相手の食堂と言ったところです。料理屋でないところがミソです。本人は自分の実力を承知しているのです。

 その時は確かに私は若かったのですが 正真の老人となっている今考えますと随分と酷い仕事内容でした。 今もし【あんな物】を饗されたら私は怒りますよ。それはそれ 色々事情があったのでしょう。 「あのチラシ寿司は待ちどうしかった」と今に思い出してくれる友人がおりますが あれは明石で覚えたものでした,隠しワザがあるのです。

 問題は青年の為体<teitaraku>です。です。本人は完全に思い違いをしていました。 

確かに その時代までの調理場は和食にしろフランス料理にしろ酒の話題は賑やかでした。

酒の文化です。江戸の文人にしろ ベルサイユの貴族&芸術家にしろ 博識多才その行動は概してユーモアの余裕と奇矯いっぱいです。 半端不良の青年には憧れの人たちです。是非 末席ながら【おこぼれ】を頂戴致したいところでした。

(本文)

母の盗み酒nusumizakeを思い出します。青年は9歳のガキでした。煮炊きをすると言っても 軒下に設えた煉瓦つくりの釜です。母と子は馬小屋の作事部屋に宿っていたのです。

年の離れた既に大人の年齢になっている4人の兄と姉たちは東京に行ってしまってるし親父は隣村に行ったまま不在である。母子だけの家族であった。

子に隠れて急ぎ飲みこむ茶わん酒を少年は知っていました。

82にもなっている私ですが この50にもならない女御の心中を思うと今だにやりきれません。命からがら満州から引き揚げて来たはいいけれど 故郷に預けた財と居場所は

事情を知る者急が死でアヤフヤ。子は去り気弱でお人よしの夫は家に寄り付かずの酒浸り。

母の死後 東京の姉と兄のもとに厄介になりましたが その姉兄も20歳を越したばかりの若者です。さぞや迷惑な話であった事と想像にあまりあります。 

(おわりに)

 ブログ「今は昔」は自分自身を総括する目的で始めたのですが母の死前後から十三歳までの時期は触れたくありません。触れたくはありませんが私の人生の<コアー>ですので最も奥深く大事にしている時間です。孫が目を通していますので嘘は書けません。シンドイ所です。

 酒好きと色盲は母が残した貴重な財産です。 大事にしております。

好きだからこそ容易に<勘違い>をしてしまったのかも知れません。

「料理人は仕事中でも会議中でも酒を嗜んでよろしい」という職業というか身分と言うかステイタスにあると先入観的に思い込んでしまったのです。

確かに周囲はそんな雰囲気にありました。平成令和の時代からは想像も出来ない余裕でしょう。

青年は「あしき伝統」をスッカリ共有してしまったのでした。

            おわり        

PS;オンナとギャンブルについては 別の時間に譲ります。