今は昔#23 「伊豆天城湯ヶ島温泉郷・・・」 中津さんそん

 

(はじめに)

十五歳の時 友と伊豆半島の無銭旅行を計画しました。無論頭の中は例の「伊豆の踊子」にあやかったものでした。私の家庭の事情で中止となりましたが、。今に至るも青春中断の無念が強く残っているのです。

そんな思いが青年を伊豆に追い向けたのでしょうか?

思うに 多分「旅に幾星霜を重ねると もはや 我「(人生)旅路に怖いものなし」と

かなり思い上がった人間になっていた節があります。後悔青春のリカバリーとも言えんでしょう。。本人には そんな薄っぺらなロマン野郎と言う所があったかもしれません。。ロマン紀行気取りで、恥かいて だけど随分と勉強になった分不相応な旅でした。。

サブ・ザックに替え下着をいれて ふらりと伊豆に向かいました。計画も目的もありません。

ただ懐に一万円ぐらいの金を持ってです。

踊り子街道沿いの温泉郷です。

(本文)

 インバウンドか観光商売か何だか知りませんけれども 箱根伊豆有馬湯布院にしろ有名温泉街は何処も彼処も「団体御一行様」大歓迎下にあります。別に特別なことではありません。。“お伊勢さん“の時代から 旅は道ずれ御一行に限ります。第一楽しいい。日本人の好みの旅行スタイルです。“

所がです。青年がお世話になることに為った旅館は 団体客も時にはありますが【こま】が主流、即ち【個人客】様様の老舗旅館なのでした。

この温泉村は 社会に疎い青年でさえ名前を知っている有名人がやたらに多いのです。どうやら芸能人の隠里みたいな印象を持ったものです。

  この温泉村は【お金儲け一生懸命】とは一寸ばかり色合いが異なるようです。

会社の社長即ち旅館主人は先祖代々の村人です。働いている者も板場料理人を除いては全て近在の村人です。旅の青年は例外の存在でした。

客の接待をする従業員の婦人達は 自作農業(多くはワサビ田)と掛け持ちで旅館仕事を手伝っているのでした。

皆さんは家持、土地田んぼ持ち 自動車持ち 先祖代々の墓地所有 土地の冠婚葬祭歴史を共有しております。今さら小細工を弄して頑張る必要はありません。地盤があるのです。

(あとがき)

 天城トンネルを目にしても 伊豆の山々を犬を連れて逍遥しても 青年の心は軽くはなりませんでした。明治の元勲の落し胤の末裔を噂される女御も 桁違いの土着ぶりです。

青年は自分の浮ついた【育ち】とつい比較してしまいます。故郷も奪われた「はかない」人生なんて【やっておれん】ぜ・・・。ほんとうのところ。

              おわり