今は昔#35 「人生意気に感んず・・・」 中津さんそん

 

(はじめに)

生きてる限り 人間は『自分を求めて』旅を続けるでしょう。

なのに 私はブログ「今は昔」を#35をもってピリウドを打ちます。人生半ばにしては終了しているのですか? いや違います。82歳の若者ですが、現在は旅の途上にあります。。

 実はブログ「今は昔」を書くことに疲れただけの話なのです。自分自身へのメンタル効果は大変なものでしたが 心臓への負担が想像以上のものがあったのです。時には フイクションも交え「我が人生は緑豊かなものであった」と思いたい欲望もありますから、その気苦労たるや大変なものです。

 

(本文)

わたくしの青春旅日記結論と言うことに為るのでしょうかーーーーーーーーーー

人間海で生きていく限り、  【お金 】と【人間関係】には苦労させられます。私の旅も、 まさに金と人間でした。絶景もグルメも関係ない。

人間をやっていると時として無性に【無人島サバイバル】に憧れます。.しかしそのdesireは無理です。若者の旅なら 往々にして 無茶にしろ無理にしろ【笑い話】として酒の肴になりますが、サバイバルと現実の旅は違います。。 例えば 小生が何処かの山奥で独居生活でも始めたとします。すると土地所有者かレインジャーが即遣って来て「誰何?」されるだけの話です。長明・兼好諸氏連が自由に日本の山野に庵を設置出来た時代は 我々にとっては大昔の夢の又夢でしょう。旅は現実の中の自分探しです。自分には人海であれ樹海であれ独居静寂が可能であれば そこが自分の庵となります。、いや埴生の宿と言う所ですか。

(終わりに)

 82歳の現在までの40年弱、私には強く残る記憶はない。父の死までも希薄です。お粗末な親不孝者じゃ。

 腕で稼ぐ僅かの金人間関係の知恵を武器にかなり生意気であったと苦笑と言うか『可愛いやっちゃ』とその知恵遅れぶりを愛するものです。

 それにしても お粗末な脳味噌であったと先祖を恨むばかりです。。今さら詮無い話ですわ。

短い人生 やッと攫んだ僅かの金人間関係の知恵を持って、残る人生をやってやる元気が出ました。

 人間海せnには やり切れない理不尽が存在します。理不尽と言っても それは私の偏見かも知れません。彼らの方が正当なのかも知れません。何故って彼らの存在を神は許しているのですから。俺は自分の能力を棚に揚げ 人間海に平気な面をしてノサバッテいる理不尽にたいしては【紳士面】の真似は出来ない。俺は生涯生きている限り【理不尽との闘い】を続けます。戦場が海外であれ職場であれ、はて又内輪の血族の中にあってもです。それが青春の旅の結論です。この結論は老年になっても変わらない .戦いには 微力ながら現役の戦士として戦います。

 私は子供のころから お話をするのが好きでした。あの 教室の前に出て「昔々ある処に・・・・・・」とやるやつです。。、、世間様のお邪魔にならないように 「お話」を続けて行く肉体を青春の旅は作ってくれました。これだけは我が祖先の霊と先に死んでしまった友人たちに感謝するしかありません。。長い間求めてきた境地です。

               おわり。