今は昔#22 「旅は業界紙記者です」  中津さんそん

 

 (はじめに)

 西成に帰って 天王寺図書館とホルモンうどんと泡盛の日常をやっているのが私には一番落ち着きます。

 今度の旅は業界紙記者です。自分でも「まさか・・・」と思える職です。もし東京でならば絶対にありえない話です。

でも新聞記者だなんて格好いい仕事ではありませんか 私も許されるものなら やっ

てみたいものでした。。あの襟を立てたトレンチコートの苦み走ったインテリ面がいい。 まるで刑事コロンボみたいです。

 人生若い時には可能性は無限です。 俺だって何にでもなれんだ。大学教授であれ 外交官にだって 八幡製鉄の社長にも 医者弁護士もいい ダム建設技術者は最高だぜ。厳冬の建設現場に家族と離れて単身赴任するなんて まさに<男のロマン>じゃないか・・・。

 しかし 何れの職も頭脳明晰-学業優良が必須条件です。こりゃ無理だ。医者や技術者にいたっては肉体的にアウトや。今の時代“自動車運転免許”を持てないのはかなり理解に苦しむハンデでありましょう。

 業界紙であろうとも 新聞記者は新聞記者です。 早速 酒場に行ってオンナノコにお披露しました。

(本文)

 本誌は 社長以下経理担当は社長夫人 発送業務二名 広告営業二人 記者三人

の所帯です。 無数に発行されている業界紙の中では比較的堅良の部類に入るかと思います。

 業界紙の発行は多くは週一です。発行日の前日・前々日は印刷会社に数十の業界紙から編集担当者が校正のために集まります。Proあり 半プロあり アマチュアありと同じ職業の連中です 話が弾みます.  中でも格好いいのは若い女性編集者でしょう。  センスもあるしファションもいい。 「今晩 一杯どうですか?」なんて誘いたくなるものです。 なんか阿佐ヶ谷とか新宿二丁目あたりに多く居たような記憶があります。

皆さん同じ夢を追いかけている人たちに青年には映りました。末はジャーナリストかテレビの解説者か はて又小説家なんぞに・・・。

とにかく同僚にしたとて筆が速い。 十枚や二十枚(4000-8000字)の原稿を鼻歌まじりに書き上げてしまうのです。青年には驚きです。子供の頃から作文は大の苦手 ただお伽噺を空想の中に作り続けるのが好きなだけの発達障害の若者に過ぎないのです。 ここは、どうもレールが違うようです。

 それに業者や組合を取材していると偶々”昼飯時“や”夕飯時“に時間帯が重なってしまうことがあります。 すると決まって『御一緒に…』と食事を馳走になる仕儀となります。 時には「車代…」まで頂戴することに為るのです。

プロとか仕事に狎れてくると その時間帯を知らず知らず狙うようになります。

青年は【そんな自分】がやり切れないのです。

(おわりに)  

退職するのに何の未練もありませんでした。何が原因でしたか今となっては記憶の欠片も残っておりませんが 社長と大喧嘩となり同僚に挨拶もなしに出てきました。会社へは西成のキャンプからの通勤でしたので後始末もなければ先行の心配もありません。気楽なもんです。

     おわり