今は昔#13 「青年はミナト神戸を逍遥します」 中津さんそん

(はじめに)

 沖仲仕の賃金は世間的にはかなり高いものです。ですから節約に専念して名所旧跡の観光も出来ないことはありません。ですがbackpacherの真似をするようなイケメン若者に出会うことはまずありません。多く消費の先は 酒とバクチと夜の接待です。<飲む打つ買う>の歴史は地球上古今東西変わりないのでしょう。私の祖先も江戸末期には伊豆から江戸へ廻る米荷人足という自由人であったことが偶然にも古文書の端書に残っております。私が密かに人足を自慢としている由縁です。

 平賀源内の「西洋美人」にも会いに行きました。近くのラウンジに入るとピアノがあります。当時としては喫茶店にピアノがあるのは珍しいことかと思います。田舎者は構えてしまいました。。

【それから三十年も後の事になりますが ロンドンのヒースロー空港内のホテルに宿ることがありました。その時のレスト・ロビーのピアノは鈍感の私の耳にさえハチャメチャな印象でしたが身構えることなく食事の時間を持った思い出があります】

 やはり鼻歌交じりに向かうのは 立ち呑み酒場でありました。 Bar

でも居酒屋でもありません。あの父が少年の私には「酒を飲むなら立ち呑みにしなさい」と感激させておきながら 後には「まるで労働者みたい」と呟いていたことが忘れられません。

(本文)

 ナガエ・ノンコの長短二本の手鉤を操っての袋物仕事なんかも青年は日をおかずにマスターしました。「やはり血筋が違うわ、俺様は・・・。」なんて天狗になる始末です、親ならずとも扱いにくい奴です。

米や麦は石油同様バラで持ち込まれることもありますが多くは繊維袋に百キロ内外詰められて輸入されます。

この袋ものですが コンベヤーに載せるにしろパイレに積み上げホーク・リフトで移すなり人力一輪車ネコで押すなりするにしてもいずれの現場にも手鉤労働は必須です。手鉤の上手な労働者が重宝される所以です。

(おわりに)

 人間にもサマザマでしょうが この青年は金があれば人生気楽なもんです。柄にもなくお気にいりの喫茶店通いをしてコウベの空気は吸わせてもらってはいますが 所詮は神戸っ子にはなれないよそ者でした。

                    おわりり