今昔#42 Jikowsつれづれ 「漢民族って何んや?」 中津さんそん

 

82歳の私がまだ二十代の中頃のことです。 何とか用事を見つけては 横浜チャン街(中華街)によく出かけたものです。 若者の狙いは中華よりも街とは背中合わせのギリシャ街にあったと言った方が正解かも・・・。そこは外国航路の下級船員たちの集うクエッション一杯の若者の小屋小屋スペースもありました。その話は別として 必ず立ち寄る処に目抜き通りから奥にずれた洒落たスナックがあります。観光客相手の中華ではない日常の喫茶店でした。 カウンターで安くウイスキーが飲めるのが気に入っていたのです。

その店内に 何時も十歳くらいの可愛い少女を見かけました。。オーナーの家族なのか、近所知り合いの子供なのでしょう。遠慮する風情もなく自然体で本なんか読んでいます いや遊びの雰囲気でしたが…

いつの間にか彼女と話を交わすようになっていましたが それが羨ましいカルチャーショックの始まりでした

彼女はこともなげに言うのです「昨日帰って来たの」 何処から?

それがアメリカ・サンフランシスコからでした。かの地にオバーチャンが居るんだとのこと。

当時太平洋は未だプロペラ飛行機の時代です。そこを 十歳の少女が一人サンフランシスコの家まで往復一人旅です。

少女の実力に驚きもしましたし、圧倒もされました。「ヘエー。これが華僑の人たちの普通日常なの?」

 東京新橋駅近くに第一ホテルと言う庶民派ホテルがありました。仕事でよく訪れる処です。

私は仕事というより新橋から有楽町までのガード下に連なる「ピンク喫茶」が目的でしたけれど・・・ その第一ホテルに顔を見せる友の一人は在日中国人の事務所に働いていましたが

時に彼は「雇い主の太っ腹ぶり」に感歎のため息なのです。

俺の付き合っている連中はどうゆう訳か 経済階級人間(変な日本語)には概してソッポを向かれ 就職もママならない連中でした。 そんな連中の救い主は若いアメリカ人起業家とか在日中国実業家だったのです。彼らの要求は肩書でも経歴でもない。今ある実際のbusinessが出来るかどうかでした。。我々には有難かったものです。

日本人を含めてアジア人のうちのチンピラ紳士は敬遠ものでしょう。

我々日本人は子供の頃からchina文明どっぷりだったかも知れません。私も中学の二年の

時にはノートに侏儒の言葉なんか書き写して得意になっていたことを思い出します。友達と 今もって交流を続けている老友ですが 神田に出かけ 宇野哲人の漢和辞書をなんの手違いか金十円で入手 己の古書漁りを自慢したものです。 そのくせ勉強そのものはお粗末の限り學校さぼって渋谷駅前にウロチョロしていた記憶が強いだけです。

それでも漢字が続いた文章を書いたり漢字だけの書物を持って見せびらかしているのが俺には最高に格好良いことに思われたのです。それは教科書も碌に買わず学業不良素行不良レッテルに対するコンプレックスもあったのですが・・・。私はこの時期の自分自身を応援しています。

私自身の純真な少年らしき<憧れと尊敬>は三国志と共に高揚を続け やがて太平記読みになりたい夢となります。時に心に触れた「天網恢恢疎にして漏らさず 時にコウセン(私自身こと)無きにしもあらず」は俺の気概でもあったのです。

ところが世の中変わりました。今日では漢民族(心根)イコール覇権主義みたいな印象です。この判断が正しいのか、俺の失恋か それとも仮面を剥いで正体を見せつけられたのか? 

全ては私めの考察不足ということですか? 要するに俺頭悪いにゃ・・・

今の地球を見せつけられている児童少年少女たちは迷惑を通り越していますよ・・・

彼等に対する我々の罪は大きと思いますが・・・。。

               おわり