(はじめに)
京子ちゃんとは南京虫のことです。南京虫は平成令和では絶滅危惧種になっているのか とんと馴染みが少なくなっております。蚤・虱と比較するなら彼の吸血鬼ぶりはエゲツナイ限りです。貪欲な奴です。可愛げが無い。ですけど 女性名詞らしいので過去を思い出すキッカケとしては罪は軽いものでしょうか。
コウベのどや(宿)は釜ヶ崎とは大部趣が違いました。
寝床の空間は正真正銘たたみ一畳しかない。高さは腰を屈めてやっとの処です。古代の貴族の石棺というとろでしょうか。
後世のカプセル・ホテルのルーツはこんなものでしょう。
こんな空間でも 疲れて酔って寝る分には天国です。
寝静まってから 京子ちゃんのサーカスが始ります。
南京虫には妙な習性があるようです。 他人(正確には他虫〕の下半身を抱きかかえると言うのか食らいつくと言うのか 我も我もと続けていくのです。それはやがて一本の紐となります。これが【京子ちゃんの綱】と言います。
天井に蜘蛛の巣宜しくヨコに張ったり 棒となって垂れ下がります。
これを目にした者は一遍に怖気かえります。ですが 電気をつけると一目散に逃げ散る小心者でもあるので ある意味可愛い娘さんとも言いたいところです。
(本文)
仕事は一日やったら 神戸を歩くことにしました。 こうべは十五歳の時からの憧れの街です。町と言ってもドヤを出て角を曲がったら元町道りの繁華街です。この隣近所には正直言って驚きです。近くの七丁目には元町本通りに面して銭湯があります。こんな光景を見ますと 東京駅八重洲口を出て左手に ビルに隠れて銭湯
と酒屋(立ち飲みをやっていました)があったことを思い出します。
神戸を歩くと言っても 元町八丁を歩くだけです。同じ元町通りでも神戸と横浜ではこうも違うものなのでしょうか。やはり シルクとコットンの違いでした。
何かなー、コーヒー・ショップが違うんです。物知り顔にこんな言い方したくないのですが (コーヒー売ってます)の売店とは何か違う、喫茶店が神戸の街に、神戸人の中に存在しているのです。よそ者の青年は何処か異国の港に立ち寄ったマドロス気取りがしないでもありません。やはり甘ちゃんですか・・・。
私は 新宿にしても伊勢佐木町新橋虎ノ門etc何処にしろコーヒー・ショップのハシゴなんかしたことはありません。
夢遊病者とまではいきませんけど 私は日の高いうちは三宮から神戸駅まで元町八っ丁を往復しておりました。
気のせいか喫茶店のBGMusicはジャズが多いように感じました。新宿の木馬で聞いた奴とエライ違いやナ・・私の空気みたいな感想です。こっちは日常、あっちは音楽鑑賞と言うところですか・・・
書籍のウインドウも目立ちます。その隣ではバウム・クーヘンを売っているじゃないか。店内は横文字ものも並らんでいます。青年は読めないくせにPariMatchを買ってドヤに帰りました。
(おわりに)
たたみ一畳のドヤを寐倉にして濃密な神戸生活をおくりました 濃密な生活と言っても衣食住のことではありませんん。ノーテンキの青年にしては信じられないほど濃密に考えに考えこむ時間でした。「下手な考え休むに似たり」と過去の自分なら 自分で自分を軽蔑したでしょう。 ところが不思議なこともあるものです。
もっとも石室みたいな個室が<考える>ことに幸いしたのかも知れません。先輩の経験談によると 刑務所の個室に居るとよく考えが纏まるそうです。同じようなものか・・・。
実力を持つと まあ自立すると 風来坊という身分は結構自己満足一杯なのです。。なにせ怖いもの知らずのseinなのですから・・・。
ですが、自分は懸命に考えたのです 我儘では何時まで経ってもidentityは育たないナ・・・。 俺は末永く弱虫泣き虫いそぎんちゃくなのかと?
こんな俺の脳味噌はやはな?・・・。 おわり