今は昔#18 「西成源氏つれづれ・・・」 中津さんそん

(はじめに)

こんなことを思ったりしていました。

紫式部は【韓信の股くぐり】読んで感激したかな ? 生意気な少女だったのかなー? それとも、ナンテ・・・ いろいろ想像するのは 結構楽しいものです。自分自身をホンニ気楽な奴だと自分で軽笑してしまいますが・・。

 さて 難関の源氏物語です。私の知っている源氏物語は 桐壺と言う題名と<雨の夜の品定め>とか言うかなり思い上がったエピソードだけです。

 スタートして二日間は頑張りました。枕みたいな分厚い国語辞書を脇にしての孤軍奮闘です。これでは丸っきり學校教室での試験勉強と変わりない。ツマラン。解っていますけど 当時私の精神状態はかなり高揚しておりました。なにせ 長年憧れていた境遇で読書をしている自分自身が今存在しているのです。多少のツマランぐらい問題ではありません。平気平気。
 自由と放逸の世界に身を置きながら 猶真摯に読書する若者一人・・・。恰好良いですよネ
青年は その姿が普通でありたいのでした。八十二歳の小生には羞恥の限りですが・・・。 
 いくら気持ちが高ぶっていたとしても シンドイが続いては酒の量が増えるだけです。ギヤを入れ替えました。
国語辞書の使用は止めました。参考書にと脇にしていた著名作家の現代語訳「源氏物語」もアウトしました。原文 ただ紫式部さんだけにむきあったのです。今は貴重なチャンスです。過去の教室勉強を繰り返していたのでは旅の意味ないでしょう。
(訳の分からん)原文を読んで行く なんて無茶なようで全然無茶ではありません。そりゃ學校の試験の方はムリ落第でしょうが ここは天国釜ヶ崎 誰に遠慮が要りません。
これが期待以上の大成功なのでした。ドイツ語の素養もなければ労働意識もない農業従事者に「資本論」を読め と言っても無理な話ですが、十八史略ならば完全読解はならなくとも 【まあこんなものでしょう】とは言えるものです。
【半可通】と軽蔑するなかれ 是でいいのです。
 私の源氏が まさにこれでした。出だしは渋っていましたが あれよーあれよ と言ってる間に「完全に嵌って」しまいました。
明石を過ぎるころには 夢に紫女史に面会できるまでに時代は変わっていたのです。いつも「早く帰れー」と言わんばかりです 二日酔いで臭い臭い。。

こんな酒飲み女 よう<世紀の恋>が出来たものです。 道長氏も「あれは与太話よ」と言っているではないですか
 閑話休題 ブログを本筋に戻します。。
 五十年も昔になりますが 未だにはっきり胸に残っています。それが何れも教室では語って呉れなかった場面ばかりなのです。やはり青年の感受性はout気味なのでしょうか・・・? 
子供は知恵がつき始めるころは無性に可愛いものです。そんな一人娘を男のもとに手放す母親の胸のうち。
表面は優等生美少女ですが心の内は未だ大人ではありません。昨日からは逃げてきたけれど 定まらない明日を前に 寺参りはするけれど不安に慄く女の子。

ライバルに対抗して訳あり少女を養女にしたけれども これがトンダ期待外れ、現実を前にして苦悩する男親の顔。それでも猶の事、父親の期待に応えんと頑張る不出来な少女の健気さぶり。
二人の優良若者に挟まれ この優柔不断・女の中の女は入水自殺を選んだのですが
天は彼女の命を永らえさせました。 偶々 彼女を介抱することに為った叡山僧侶の困惑ぶり。 
等々数知れません。

(本文)
 閲覧者の中に気になる男がいました。
足もとは地下足袋 ニッカ・ズボンに白の半そでシャツ首にタオル。陽に焼けた逞しい初老です。 服装から推察するなら 朝仕事探しに出たけれども <アブレ>てしまったアンコ(日雇い労働者)でしょう。週一ぐらいの割合で顔を見ます。
開け放しの窓辺に椅子を寄せ 開いた書物を両手に支え 幾分遠めに頭を反らしているところは絵になります。

(おわりに)
 幸か不幸か分かりませんが この年齢で この源氏物語との出会いは私に「やっと普通」の人間の道みたいなものを教えてくれました。あれから 源氏の理解熟度は論外として こいつは私の財産になっております。 恒産無ければ恒心なし などと知ったかぶりは致しませんが・・・。
おわり。