Jikowsつれづれ#82 『渋谷はふる里? それとも出発点?」

      俺も86才になって ”故郷恋し”の感傷老人になりましたか?

    まあ そんなもんでしょ!   

道玄坂なんてのは映画館の多いラーメン臭いとこだった位の記憶しかない。奥の方から玉電がヒョッコリ顔を出すところなんかはかなりユニークな坂道と言えるかも知れないけれど…。

でした。

 反対側の宮益坂となると青学があって 左手に入ると明治外苑となる。野球場・絵画館となると我々ガキ共には格好の隠れ家・遊び場であったナア・・・。

昭和のその時代、外苑にしろ神宮にしろ 「立ち入り禁止」のエリアは少なかった記憶があるけどどうだったかな・・・?

 中央線の信濃町まで行けば津田塾英語会があった。真面目な少年時代 俺にはあそこに熱心に通った超薄れた思い出がある。 勉強より別の好みがあったに違いない。 それが証拠に自分には<英語とは未だに日本語とは無縁の異国の言葉なのだから>。

 やはり 故郷の思い出は 不良少年時間帯の方が良いに決まっている。

13才頃 僕は「新聞少年」でした。 令和の時代 新聞少年の姿はすっかり見なくなってしまったけれど あれは良い体験だった。 金を払ってもやる値打ちがあると老人になっても信じています。

 少年が労働をして汗を流して金を稼ぐようになると <生意気>になるといいます。確かにそうでしょう。 そうなった本人が証言します。

 渋谷区の伊達町と言いました。 死んでも忘れんウルトラ貴重な人生だった。

正月にお年玉をくれたご婦人 優しく世間話に少年を育ててくれたサザエさん 暗い未明の受付で 温かい飲み物を御馳走してくれたエビス・ビールのお姉さん 汚い少年を一人前の大人として扱ってくれた政治家西尾末広氏夫人・・・ETC.

 

 故郷とは俺の基礎の基礎を作ってくれた処なんだよな。

渋谷はやはり俺のふるさとなのだ。 だからなのか 僕は無意識のうちに東京駅からではなく渋谷駅から東横線で都を出たのだったのか・・・。

               中津さんそん