今は昔#16 「東京は東京 あそこはあそこ 俺は俺】 中津さんそん

 

 

 (はじめに)

  安定した日常は良いものです。ギャンブルをやらない青年には 半月の賃金勘定の度に金は残っていきます。立ち呑み酒場の出費なんて知れたもんです。

青年は 仲間内が集まる酒場を外れる夜が気が付かないうちに増えているのです。実は己専用の<隠し酒場>が出来たのです。

この職場は仲間内の付き合いは大事です。命の危険が近い現場ですので人間関係肌時です。好きだ嫌いだなんて贅沢は言っておれません。、仕事終わりの気の置けない酒は人間関係をスムーズにしてくれると労働者は心得ております。命の安全につながる一杯の酒なのです。。

 青年の隠し酒場は 目抜き通りからは外れた,あまり流行っていそうもない小さな蕎麦屋です。どうしてこの店に入ったのか覚えはありません。どうせ、したたかに酔って終りに蕎麦でも一杯と立ち寄ったものでしょう。

 何となく記憶に残る中年の家庭婦人でした。湯上りに立ち寄るとテーブル五つ二十脚ほどの店内は閑散としたものです。

 

青年は備えおきの読売新聞に目を通しながら 蕎麦かけ一杯をすすりながら、6つのコップ酒をいただきました 

 翌日からは 資料を持ち込んでの<読書酒>となりました。ここは縄のれんではありません。普通の蕎麦食堂です。蕎麦屋でコップ酒をやる。これが私の<格好良い>なのです。。酒のお替りごとに タクワン二切れとかラッキョウ三粒とか味付け海苔三枚が醤油受けに乗って出てきます。味のない梅干を供された時には 何かご婦人の秘蔵品を強請ったみたいで気がひけました。こんな儲けにもならん若造に・・・と ありがとうの気持ちしかありません。

 実は 蕎麦屋と茶碗酒の洒落は 超若い時、東京の川向う(江東区あたり)での訳あり孤老からの受け売りです。

掛けそば一杯にコップ酒六つ 無言一人の二時間の読書は今に至るも【夢中になっている】恰好づけなのですが・・・。

(本文)

コマンドとなると 兵隊さんは概して野性的です、仕事も遊びも紳士的でも優しくもありません。

肥料木材小麦バナナ何でも「いらっしゃい」。仕事は<俺にできないものはない> 人間関係は問題ない と言って仲間同士皆さん仲よしこよしではありません.お互い無干渉 相手の巧拙には無関心です。 「なにモタモタしてんだ・・・バカヤロー」なんてうっかり怒鳴ろうものなら 「ナニー?」と一発逆に食らって天国に行ってしまうケースも無きにしも非ずの精神不安定集団であること 人は十分認識していますから 表面ずらだけで人を見くびることはありません。これも安全保障の一手段であります。なにも ボーシンの力量で治まっているcommandではないのです。

 【黒鉛】の荷揚げには参りました。

黒鉛とはエンピツの黒芯の原材料です。特別の貨物室に収納されています。小学校の教室程度の広さです。貨物船の中では極く小さな個室でしょぅ。我々は二階の天井から入り込みます。部屋半ばまで黒い袋物が整然と積まれています。肥料の袋と比較して目算すれば 一袋10キロぐらいか 楽勝過ぎて思わずホーと息抜きをしてしまいます。

こんなのサッサッと仕上げて早上がりだ と喜んだのも束の間 安っぽいマスクを手渡された理由がわかりました。

小半時も経たないうちに 周囲は目も明けておれないほどのホコリなのです。黒鉛の黒煙です。何の事情からか袋の破損がやたらに多いのです。なんかヤバイ事情が予想されます。 

どうゆう訳か 現場では労働者という者はボーシンの言う事に従うものです。

作業は続きました。

仲間内の確認も影と声を頼りとする始末です。。劣悪の条件には慣れていますが 全身が虚脱状態になって力が入らないのにはチト拙いのでわ、と恐怖が走ります。 牛皮(剥がした直後の半生状態のため ウジ虫と悪臭はギネスものです)より神経に応えます。

二時間も経つと「全員あがれ!  ハイおわり」の声に解放されました。

その後がまずかった。股間の息子の調子が怪しいのです。真夜中なのに直立不動、

撫でようが擦ろうが100%無感覚ビクともしません。トイレに行くも小便にも難儀をする始末です。 

翌朝、寮内はちょっとした淫らなザワツキがありましたが 誰も黒鉛が犯人だとは気づく者はおりませんでした。 場所が場所だけに 皆んなウヤムヤ笑いでした。

この三文芝居は二・三日も続いたように記憶します

 ですがその頃から ボーシンの信頼は薄らいでいったようです。

「子分にあんなことさせる親分はないぜ・・・」。

 

(おわりに)

 青年はこのコマンドを辞めました。

辞めたとて故郷に戻る当てがるわけありません。向った先は大阪西成でした。西成と言う所は不思議なところでして 一度西成に住んだことのある人間は又西成に戻って来ると言われております。故郷でもないのにですよ。狐死首丘だけの話です、。西成に故郷の感情を持つのはよそ者には無理です。しかし、故郷でなくても 足は自然に西成に向かっているのです。。(本当は 嬶とガキが待っている故郷に向かうべきなのに 西成に留まったばっかりに、そのまま50年西成生活を続け 今じゃあ働けなくなって福祉で食っています、。なんて御仁は多いのです)

 若者は天王寺公園の近くにアパートを借りました・当分遊べるだけの金はあります。

天王寺公園は現在近鉄傘下のプレイ・ランドとなっている丘陵ですが 図書館 音楽堂 植物ハウスが当時は点在しておりました。

 若者は 猛烈に本が読みたくなったのです。。 これ冗談でも嘘でもありません。人間には こんなことってあるもんなのでしょうか?

ネエー?  

         おわり