今は昔#17 「西成 日々是好日・・・」 中津さんそん

(はじめに)

 西成に戻ってまいりました。今の私には西成にしか戻る処は無いのです。故郷も居住地もある筈なのに・・。

ただ本を無性に読みたいという理由だけにです。本と言っても その本自体どんな本を読みたいのか大人の自分がそれを知らないのです。要するに地盤に立っていない根無し草だったのでしょう。

 でも彼の強みは日常食っていける生活費を確保していることでした。 自分の金で貧乏してるのです、世間様に卑屈になる必要はないのです。

(本文)

 さっそく翌日から天王寺公園通いを始めました。現在は近鉄傘下のプレイ・ランドになっておりますが あの一帯の丘陵に植物園野外音楽堂図書館等々が散在しておりました。

 私は張り切って通い始めました。いい年こいて登校気分です。

う~む 図書館のイメージが大分違うのです。

銀行の田舎の支店位の構えです。甲子園球場に似た匂いがする これ昭和の初め頃の建築でしょうか?

地下には食堂 地上二階の二階部分が図書室でした。

書架に並んだ書籍は 皆さんかなり年季が入っている様子です。

 青年が立ち止まった書架に 記憶にある書名があったのです。 徒然草だとか平家物語太平記その他似たようなもの様々です。要するに小中学校の教科書馴染みの教本です。若者の読書経験なんて この程度のものなのでした。

 ですが 見ず知らずの世界で多少なりとも顔見知りの奴に会った時は やはり感激は一入です。

全くの偶然です。 蒙求なんてペラペラやっていて 「韓信の股くぐり」を目にしたときの喜びなんて我ながら表現のしようがありません。蒙求なんて江戸時代の寺子屋では

10歳前後の悪ガキ連中の読本じゃなかったですか・・・。

(あとがき)

 つまるところ 若者は臆面もなく【源氏54帖】に挑戦したのです。知らないということは恐ろしいことです。蛮勇と言うべきか 若さは馬鹿さでしょうけれど この<無茶>は懐かしいものです。

私が源氏を手にするには あまりにも人間の底辺が低すぎます。源氏を味読出来る資質には欠けています。 少しでも【カッコいい】男というか人間になりたい若者の願望です。これが俺の行動じゃ。

 昔 新宿で夜商売のボーイをやっていた時のことです。

いつも閉店まじか ベロンベロンに酔っぱらってやって来る老人がおりました。きまって事務所の女の子が親身に介護しておりました。

彼が青野季吉氏であることを知った時の「無口になってしまった自分」を忘れてはいなかったからかもしれません。高校の国文学史の授業で耳にした<プロレタリア戦線>の顛末が残っていました。彼は言っているのです「三か月の留置所生活で源氏を読み切った」ことを・・・

 青年の<源氏>挑戦は青野季吉の残像が引き金になったかとも思えます。

 

図書館が閉まると 下の新世界ジャンジャン横丁で<ホルモンうどん>に<泡盛>をやるのが 若者のカッコイイ一日です。。角の美人姉妹の店でした。

                      おわり