今は昔#11 「青年はミナト神戸に着きました」 中津さんそん

(はじめに)

 死に目に会っても 情けなくなるほど青年はノーテンキです。本当に真剣に<生きる>ことを考えてんだろうか?

どうもそんな真面目青年ではないようです。根っからの不良少年なのでしょう、第一育ちが良くない。

釜ヶ崎の自由解放の空気に触れて その”カルチャーショック”を

己の知恵と勇気が作った成果である。と密かに自慢しているような<おバカさん>なのです。

≪こんな体験 世界旅行の秀才好青年でも そう簡単に出来る事じゃないぜ・・・≫   釜ヶ崎の底を流れている【やり切れない闇の泥の河」に気が付くには 青年は鈍感過ぎました。

                              

  (本文)神戸はやはり海です。【ミナト・コウベ】でしょう。神戸と聴いて神戸製鋼が出てくるようでは かなりのイン・サイダーと言っていいかもしれません。

KOBEはやはりロマンです。YOKOHAMA同様ロマンです

 釜ヶ崎は大方は陸仕事が占める土木作業員の街です。人足の呼び方からして 陸と海では違います。一方は土方とか云ったりしているのに 港では沖仲仕と呼びます。時には風太郎なんて詩的に横浜では呼んでいます。

 神戸港での最初の仕事はドラム缶起こしです。 

 

 

 

 

ドラム缶と言っても 一本二百キロもあります。日本にやって来る時には行儀よく直立不動に敷き詰められていますが 陸揚げするとなっても このまま整理整頓よろしく移動することは不可能です。当時はITなどは薄く まだまだ人力知恵が主流の時代です。

埠頭に横付けして荷揚げが出来るような裕福な貨物船は少ないものです。多くの本線は湾内のブイに捉まって 貨物は艀に一旦移して陸に運ぶといった手間のかけ方です.この方が結局経費は安くなるというものです。

ここで我々沖仲仕は必須の存在となるのでした。

さて《ドラム缶》のことです。

デカい風呂敷みたいな“もっこ網”に10個ぐらいのドラム缶を包んで本船のクーンは一気にドラム缶を艀に運び落とします。投げ出された形のドラム缶は テニス・コートほどの艀の底に仰向けに散在しています。立っている奴は一缶もいない。理屈としては,このまま積み重ねて行っても「まあイイか?・・」と言いたいところですが プロの荷役作業としては如何せん格好悪いでしょう。そこで 船出して来た時と同じように 全員起立整列をさせるのでした。

これをやるのが沖仲仕です。この超単純仕事が仕事師の腕の見せ所となります。

寝っ転がったドラム缶を移動させるには 初心者ならば運動会よろしくゴロゴロ転がして行くしかありません。そして目的の場所にコイツを立ちあがらせようとすると これが意外に難題となるのです。200キロのドラム缶を《起こす》のは二人がかりで「起こし」ます。

ところが 本職の労働者は この一連の作業を一人でやってのけます。早く 軽々と 格好よくです。

 港で働いている人間は 世の中のステイタスで見るならば三つ位に分けられるでしょうか。 第一に港湾会社の社員、実際の作業は彼らの腕次第と言ってもいいかもしれません。第二は港湾専門のハローワークから紹介された日雇い労働者です。彼らは法律で守られております。時間も給料も決まっております。第三は我々

名無しの権兵衛さまの流れ者たちです。マスコミでは自由労務者なぞと通称されますが 自由でも何でもありません。国の保護が、こちらから謝罪していることもあり,ほとんど期待されておりません。ここで労災保険という生臭い話が出てくるのですが これは今日はスキップしておきます。

 さてドラム缶起こしです。

寝そべったドラム缶は 斜面を見きわめて転がし縁に手掛けた指が押しつぶされる寸前に「エッ!」と反動をつけて起こすと楽に立つものです。立ったドラム缶を縁を支点にして傾け バランス宜しくゴロゴロと 縁を車輪にして二百キロを移動させるのです。

 この仕事 ハローワークからの労働者は出来ません。小学校の運動会的仕事ぶりでも 時間ともなれば「職安からの方は上がってください」と一日の就労は終うします。

 流れ者には国の保護はありません。頼るのは己の身体、腕だけです。

青年はドラム缶起こしが出来たのです。 横浜での習業時代に身に着けていたのでした。

 アマチュア労働者をしり目にかけて 軽がるとやってのけた後の 彼の得意そうな顔は夜目にも想像できます。

艀は瀬戸内海を引かれてどっかの工場に直接入るのでしょう。 「俺の仕事ぶり理会してくれるかな?」。

帰りは ドラム缶の荷揚げに使っていたモッコ網を本船の舷側にかけて 海賊宜しく上りました。 

 

(おわりに)

 賃金は酒一杯分「気持ちや・・」と上乗せされていました。そして「うちに来ないか?」と港湾荷役会社の入社を誘われました。悪い気はしません。小頭は常にクレーンを操縦しながら人間を見ているのです。チョット渋り勝ちの当方の顏に「まあ 考えといてくれや・・」 (流れ者は何よりも束縛を嫌う勝手気ままなやつらですから 腕は欲しいけれど人間がね・・・?)

 夜の神戸湾から見上げる六甲の灯は眩しすぎます。「あれが六甲山ホテル・・。最高の新婚ホテルです・・・」なんてお道化たセリフが飛び出しても 青年には何の感慨も感激も沸いてきませんでした。

                  おわり

ps;コロナはキツイ 馬齢82にはこたえました。