今は昔#9 [釜ヶ崎 心安らぎます・・」 中津さんそん

 

 (はじめに)

 先日 何年ぶりかで釜を訪れました。街路の筋目に変わりはありません。ですけど 街の建物も呑み屋もめし屋も見当をつけるの面倒になるほどに変っているのは当然としても 人々の身だしなみが御清潔なのには一驚です。全然汗の臭いがしないのです。

 何処かの観光地にやって来た印象です。なんか故郷の匂いなんか期待していたりして 己の甘ちゃんぶりに苦笑しました。

実は釜ヶ崎の住人をやっているときには one-day仕事にしろ 金を貯める飯場仕事にしろ 終わり近くなると 「これで釜に帰れる」と矢も楯もたまらなくなるものでした。

新婚家庭に帰宅を急ぐ気持ちとは 又違うものでしょう。故郷は遠きにありて想うもの、とも若干違うんですよね。これ何でしょう?

 

 (本文)

 例えば飯場仕事に行くとします。

丁度手頃な所が二つあったとします。 一方のボーシンと言うかオヤジと言うか責任者が朝鮮人とします。そして一方が日本人であったりした時は 労働者は躊躇することなく朝鮮飯場を取ります。特別な理由はありません。働く人間の経験と直感の判断なのです。

 

(おわりに)

 日々 天国の竜宮生活を続けておりますと世の中の常識みたいなものが薄らいでしまいます。例えば めしを食ってない奴に貸した小金はカンパです。絶対に戻って来ません。相手は「金を借りた」とは思っておりません。(正直言ってこの常識に慣れるまでには長い抵抗がありました。「金呉れ」とは乞食出来ないから 「金貸せ」となったみたいだけど表現が悪い)

 ですけど この社会 「他人を見下げてはいけません。バカにしちゃうイカン」なんて言う人間の常識は <昔親に言われたよう>に守られているみたいです。

             おわり