jikowsつれづれ#94     「 だし巻き(6)」 中津さんそん

  ここまで来ると なんか だし巻きという奴が無性に可愛くなる。

始は嫌な奴だった。 それが 長年連れ添っていたら 離れられない仲になっていた。

なんて大人の話となると 夜長の酒の肴として最高です。

どうしてこんな話になったかというと 86才になった今さらになって 戦争のことに不眠症かな? なんて夜が続くんですわ。  俺はこんな高級なものに罹るような上等な人間様ではありません。極単純な人足一代です。

 体調急変の原因は 云わずと知れた あのウクライナ侵略事件とイスラエルが見栄はっている手前勝手の弱い者苛めです。

 私は終戦時には入学式も経験しない学校も見たことの無い7歳児でした。 後に本土に引き揚げてきましたが満州国で生まれました。 そんな事情でロシアという単語には特別な感情を持たざるをえない。

あの当時 新宿には歌声喫茶大賑わい 駅前の狭い広場では ソビエットだとか 安保

とか明け方まで議論していたっけ そして女の子なんかが人の間を潜り抜け 謄写版

すった自作の詩を売りまくっていた。 独ソ戦で驚異的犠牲を払いながら国を守った愛国心を畏敬するシンガーも多かった。

 話題を換えて ユダヤのことになるけど 比較的静かな時間を一人で持っているときなど 無性にイスラレル人の   頭の良さに腹を立てることが多かった。 俺は どんな学問やっても社会的に認められる水準に至らない能力にかなり疲れていた。 そんな時の先輩の言葉が「ユダヤ人の脳みそは他民族とは出来が違うことが科学的に証明されている。」という面白噺でした。  それで私は「じゃ俺は将来 イスラエルの女性と結婚  。子孫はノーベル賞間違いなし」。と笑ったものです

その後長くも経たないある日ある時のこと

パリ・シャンゼリゼ大通り、華やかな世界的有名店の裏が連なる裏小 道です。 近所のおばさん連中の一団が激しい罵声の中の投石三昧です、それは余りにも街の空気にソグワナイ憎しみの一幕を見せつけられた事実でした。

その年ごろ、アウシュビッツのことなど よく考えるときでした。

幾ら戦時中とはいえ あんな非人道の行事(?)を 半ば大っぴらに近いガードでやっておけられるとは 何とも不思議と云うか面妖な出来事に思えるのでした。

 

  自分の《だし巻き玉子焼き≫を持ち上げる前置きがながくなりました。

結論を言います。 今の世の中  私には何がなんやらサッパリ分らんのです。 それに引き換え 我が半生の時間 意味不明・実体不解明であった《だし巻き玉子焼き≫は分かった、のです。  たかが《卵焼き》程度と云うなかれ。

 

 一方は 理不尽・身勝手な大量殺人でしょう。  国だとか民族とかのリーダーともなれば凄いものですね。

       だし巻き(7)続けます     中津さんそん