jikowsつれづれ#92 「だし巻き屋ん頑張ってます(5)」 中津さんそん

俺はガキの頃から もともと食い物料理なんて好きじゃない。 だけど得意だったし、我ながら上手であったような気がする。だから俺はだし巻き屋をやっている次第です。

(厚焼き玉子)ではありません。(だし巻き)です。

 好きでもない食い物料理が得意だった理由は というより原因は ウルトラ窮乏にあ

ったことは日本人なら皆同じであろうけど。

 自分でいうのも嫌なことだが<ハングリイー>精神と云うやつの変種かな。ついていけない原因は「職場の人間関係>にあった。 料理習得の道はイチ)に見て覚えろ、盗んで覚えろ である。 これはいい。 自分自身疑いも不満もない。 しかし

私の親方というか、兄貴と謂うか 先輩というか 上司というか 周囲の仲間達の体臭

おれはにどうしても馴染めない。

日本健児たらんと気負っていた私には どうにもケチ臭くてやりきれない。 なんとも思いあがった少年であったことか。

で 俺は一生懸命の職場(板場)は止めた。 食っていくための職場に専念することになった。 気が楽だし 何と云ったって本を読むゆとりが出来たことは嬉しかった。

 当時 世間において <だし巻き玉子>とは「板に貼り付けたカマボコ状の厚焼き玉子」にすぎなかった。 現場の従業人たちが 二者の区別を知っていたのかどうか?かなり?マークだったかに記憶しますが・・・。だしでも厚でも ドッチでも可いのです。       その頃ある親方が若い衆の囲みの中で 例の調子で能書き的説教を

やっていた。  俺は勿論謹んで拝聴している一人です。

 その時 彼が最後に付け加えた言葉が「俺は出来ないけど だし巻きは 本当はこんな風にやるらしいよ」と 平鍋と菜箸を操って型を見せてくれた。 それは箸の使い方がまるで逆なんだ。普通≪箸>は巻きの上方にあてがって卵を箸を巻きの下方にあてがい卵を回転させて巻いていくと云うもの。 

あの時 周囲は呆れかえったものだ。そんなこと出来る筈ないじゃ。 妙な空気のなかで親方は付け加えたのだ 「出汁も卵の半分位使うらしいよ。 俺は出来ないけど」

何でも知ってるし何でも出来る評判のこの親方にしては(俺は出来ないけど)と繰り返したのは普段が普段だけにカナリ異様だった記憶が残る。

俺のイージーな生活葉続いたが 俺のだし巻きは相変わらず厚焼き玉子であり 世間様も似たようなものであって 俺も恥ずかしい思いもしていない。

我にも非ず イージーな環境を離れて平鍋はステーキを焼く鉄板の代用をしていた。。

 何か知らんkeど 「太平記」なんかに夢中になっていたっけな。 西成釜ヶ崎に行って<太平記読み>をやってみたいなんて真顔で考えていたもんな。

 何やっていても 不思議に「だし巻き」のことは時に激しく俺を邪魔をする。 どうも こいつのことが気になってスッポリ奇麗に食い物世界から足㋾洗えないのだ。 そんなに値打ちのある生業とは思えないけどな。

 

 あれから20年か30年も経ったある日ある時 酒の肴でも作るか とホコリをかぶって居た鍋をとりだした。 俺の頭の中には過去のことなどない真っ白であった筈じゃ。

それが 俺は 若い時代に耳にした<だし巻き>の作法で平鍋と箸を操っていたのだ。

出汁は何時もどうり三分の一で水出しであったけれども それが我ながら感心するほど

見事に出来上がっているではないか・・・

 あの瞬間の事を何と表現したらいいのか俺は知らない。  とに角 感動だけだった。    どうして こんなことが起きたのか考えようもない。

ただ 「あの男に出来ない事 俺がヤッテやろうじゃないか・・・」 という妙な対抗意識は消えなかったようだ。     出汁50%の黄金比率の方は簡単にクリアーする。 

n   〈老後はだし巻きで食っていける」と信じられていた・   私も口には出さないけどこの噂を固く信じるチンピラの一人であった。 正直 俺は安心した。 金が無くとも家族が無くても 生活保護の  必要は起きないな。 あれはまずいよ。

   俺はその時に<思い上がった>人間に成ったんじゃないかな?

自分でも「どうも変・・・」だと思ったもんな。

 この「どうも変」が老後に入っても続いた。ヤバサの点では生活保護と同次元じゃないの?

                   中津さんそん