衣食住とは日本語も良い語呂合わせをしたものです。まさに人間生存の基盤でしょう。自分ではっきり自覚し始めたのは12・3才の年頃であったかと?
【学校生徒】の日常が毎日が芝居演技の連続で子供心にも嫌だった。着ている物も食べているものも住んでいる所も、みんな友達とは違うのです。嫌であっても子供には理由は解りません。
ですが15歳を過ぎたら、大人です。自分の周囲は自分なりに解釈し理解します。
私も、そうでした。考える環境を持ったことは、頭脳も肉体も幼稚な子供にとっては、ある意味かなり残酷なカルチャー・ショックだったでしょう。。こんなことは【今流】には【傷ついた】と表現するのでしょうか?
衣食住は、人間の基盤です。基盤が出来て(いるいない)では上に立つ建物の出来が違います。
少年はそれに気が付きました。部活です、哲学少年です。ですが如何せん「育ちの垢」は一朝一夕には払拭は出来ません。
82才の私はつい最近まで板場生活をやっていたお蔭えでしょうか、食に対する垢は無いようです。‘食’に関する限り、おれは育ちが良いんだよな・・・。いや、やっと「そう言える」自信が出来たのです。80代に入ってのスタートラインです。私の辞書に「卑しい」は無くなったのです。。
大昔の事、シドニー・シェルダンの英語学習教科書(確か‘追跡’)の中に、主人公の少年が捨てられた食い物に対して、空腹のあまり「一時持ってしまった卑しい欲望」を毅然として踏みつぶしたシーンがあった。少年の育ちの勇気に感動したことがあったっけ・・・
無論私は、こんな格好良いことは別として、自然的人間的戦場においては、子の為に雑草生ゴミをあさる事には躊躇はしない。
どうして最近、80を過ぎてから「こんな少年」みたいな思考を続けるのだろう?
コロナで内酒が増えたせいかもしれない・・・。それも良いか・・・なんせ、人間という動物は 文明発祥以来、「命よりも経済大事」として生きている稀有の生き物ですから、何かイロイロと考えてしまうよな・
Cogito erugo sumなんて今さら気取っていたら、孫達が何と言うか? 酒狂い?・
つれづれ続けます
PS;俺の食は一椀の味噌汁にあり。