今昔#44 Jikowsつれづれ 「新聞少年」 中津さんそん

 

 今の時代 新聞少年なんて言葉は全然聞かれない。おそらく若い人は知らないかもしれないし 現代人の中にも新聞少年の経験体験を持つ人は無しに等しくなってはいないでしょうか?

 新聞少年とは読んで直感されるように「新聞を配達する少年」を意味する・ 令和の今 各家庭に配られる新聞は新聞販売店の職員によって配達されています。見ると 仕事は多くは自転車で中にはバイクの人もおります。職員は当然皆さん成人大人です。子供の姿はありません

今から70年前 太平洋戦争が終って世は朝鮮戦争の最中でした。

当時、新聞は子供が配達をしていました。大人の仕事ではありません。。時にはご婦人の姿を見ることはありましたが 大の男がやることは先ず絶対にありません。」。第一 給料が給料だから家族で食っていく職業には見られていません。

少年は朝4時過ぎに起きて出かけます。夏は良いけど冬の寒さは ほんに我慢の限界だ、。

新聞に広告チラシなんかをいれて(これもプラスアルファーの給金になるから大事です)

200部の新聞を小脇にして担当地域を配達するのです。終わるのは7時を回ります

給金は月給朝刊は2000円、夕刊は1500円だった。新聞の購読料はたしか330円だった時代ですから、まあガキの給金なんてこんなもんですわ

今で言うアルバイターみたいなものです。。販売店の主人はみんな大儲け金持ちだったから 何やかやと陰口叩かれていましたっけ。。

 現代は児童福祉法で子供は働けない。だから こんな世相は二度と見られないでしょう。

。俺は13才だった。今思うと【よく頑張った】と月並みだけれども褒めるしかありません。

新聞少年なんて言うとなんか孝行少年みたいで好感が持てるものです。当時 歌でも流行しました 本人も悪い気はしていませんでした 初給料で親父に酒一升瓶を買ったりしていましたから 子供は子供なりに背伸びして恰好つけていたようです。

ですが 所詮13才の子供には体力的に無理です。 眠い。疲れる しぜん学校には気が入らない  風呂にもいかない 顔も洗わん 歯も磨かん。臭い少年が定着してしまった。黄色くなっている歯を 「洗って来いーー」と授業中教師に叱責されて教室を出る時に起きた教室中の笑いを この老齢になっても忘れないのだから児童少年少女のプライドを大事にしましょうよ

やがて徐々に不登校となります。小遣いはあるし 渋谷エビスと盛り場は近いし 本屋でも貸本屋にでもカストリ雑誌なんて子供が見てはいけない本も自由に見れるし 街頭テレビはあるし この世は何も言う事なしでした

しかし 今になって知ります。 中学の学齢期は 人間にとって最も重要な学習時期です。

この時間をスキップしちゃうのは一寸ヤバイんじゃない?

ハイ 確かにヤバかった。

しかし この時期こんなことがありました。。 今では、それが身体中に浸み込み体の一部

なっているのですが・・・

200軒もの家に毎日朝に夕にと新聞を持っていくのです。それに僕は給料を多くするために新聞料金の集金もやっていましたから それこそイロイロの大人に出会うことが出来ました。自慢ではありませんが私自身はあまり恵まれた人間関係の中に育ってはおりません。ですから気障な言い方をすれば【この街での新聞少年人生】は俺の三度のめしの栄養だったのです。。

秋祭りをはじめ盆正月にはきまって日本手ぬぐいに小遣いを添えて「ハイご苦労さん」と手渡してくれるご婦人が複数おりました。街には大きなビール工場があったのですが 其の正門の受付コッテージにいるお姉さんはしょっちゅう冷たいもの温かい飲み物をご馳走してくれました。中でも特に記憶に残っていることがあります。

この町には 著名な大物政治家のお屋敷がありました。私のような少年でも知っている名前です。 屋敷は石垣に囲まれた広大な敷地です。こんな大きな屋敷だと新聞代の集金の時はどうするんだ? 少年の私は怖くなったほどでした

でもまあ良くしたもので お屋敷には賄商品の勘定の支払日は決まっていました。

其の日その時家敷に屋敷にはそれらしき風態の大人に近い少年少女が集まります。総勢20人近くもいるでしょうか あまりにも多いので新参者の自分はビックリです。 着物姿の上品な

年輩のご婦人が出てきて 小僧や女中相手に一人一人「ご苦さな御ひね労さん ご苦労さん ハイありがとう」と支払いを済ませ 何か小りを手渡してくれるのです。

それが湿っぽい勝手口ではなく まるで東映映画でみる旗本屋敷の正面玄関みたいなところで 使用人ではなく 先ほどの婦人、即ち政治家の令夫人自らの振舞だったのです。

少年は痛く感激しました。玄関の能舞台みたいに広い板敷が今でも目に残るのです。

婦人のひざを折り我々と同じ目線で丁寧語を使ってくれる大人の人なのでした。これが平等の原点なのでしょうか、 これは後年想ったことですが・・・

 

新聞少年には 「新聞を使って バリバリ・・・ッ」と小気味よい音を立てる隠し芸があります。 私が60才頃でしょうか 仕事が一段落しての呑み会でこの芸を披露したことがあります。 此れは超単純に見えても素人には無理なのです。 謂わば新聞少年のアイデンティティみたいなものです。ところが同席していたアメリカ人が「俺にやらして下さい」。と俺と同じことをやったのです。私も驚いたけれども 二人の間はトントン拍子に話が弾み諸般の問題が一気に」解決したことがあります。

「そうか おまえもか?」と私は信用されたのです。。

幾分得意げな彼の話によると 彼の故郷の街では家庭教育社会勉強の一環として 子弟に新聞配達をさせるのが習慣なのだそうです。これは貧乏金持ちは別として【良家の出身】である証拠みたいなものらしい。彼の喜こび顏の深意がよくわかりました。

それに引き換え 東京の新聞少年は貧乏の証みたいで 親は複雑な気持ちのようでした。

私は これで修学旅行は参加出来ましたけれど 黒の詰め入り学生服までは手が回りませんでした。残念でした。

           つれづれ続けます。

PS; こんな小学生的<作文>をブログにしていいのかな・・・?