Jikowsつれづれ#93 「 だし巻き屋ん 頑張る頑張る 人生もENDに近いしな・・・」   中津さんそん

  「だし巻き」やってたら 一生飯ぐらいは食っていけるだろうと

安心していたんだけれど 八十半ばを過ぎても このざま―だ。 やはり人生とは歌の文句じゃないけれど 思うようにはいかんものらしい。

  俺の性分には こんな世の中も悪いもんじゃない。 飯の足らない分はカスミを食っているのでそこそこの健康である。 ここは多少治安も悪いし理不尽もあるけど 第一戦争が無いわな。 弱いもの苛めのトップに成りたがりの御仁は居ることはいるけど。 食えなくてもヨロシイ。嫌いで付き合いを始めたおまえだが 何の因果か知らないけれど イマジャ離れられん【破れ鍋にとじ蓋】。

俺も頑張る。 あんたもな!

              中津さんそん

 

jikowsつれづれ#92 「だし巻き屋ん頑張ってます(5)」 中津さんそん

俺はガキの頃から もともと食い物料理なんて好きじゃない。 だけど得意だったし、我ながら上手であったような気がする。だから俺はだし巻き屋をやっている次第です。

(厚焼き玉子)ではありません。(だし巻き)です。

 好きでもない食い物料理が得意だった理由は というより原因は ウルトラ窮乏にあ

ったことは日本人なら皆同じであろうけど。

 自分でいうのも嫌なことだが<ハングリイー>精神と云うやつの変種かな。ついていけない原因は「職場の人間関係>にあった。 料理習得の道はイチ)に見て覚えろ、盗んで覚えろ である。 これはいい。 自分自身疑いも不満もない。 しかし

私の親方というか、兄貴と謂うか 先輩というか 上司というか 周囲の仲間達の体臭

おれはにどうしても馴染めない。

日本健児たらんと気負っていた私には どうにもケチ臭くてやりきれない。 なんとも思いあがった少年であったことか。

で 俺は一生懸命の職場(板場)は止めた。 食っていくための職場に専念することになった。 気が楽だし 何と云ったって本を読むゆとりが出来たことは嬉しかった。

 当時 世間において <だし巻き玉子>とは「板に貼り付けたカマボコ状の厚焼き玉子」にすぎなかった。 現場の従業人たちが 二者の区別を知っていたのかどうか?かなり?マークだったかに記憶しますが・・・。だしでも厚でも ドッチでも可いのです。       その頃ある親方が若い衆の囲みの中で 例の調子で能書き的説教を

やっていた。  俺は勿論謹んで拝聴している一人です。

 その時 彼が最後に付け加えた言葉が「俺は出来ないけど だし巻きは 本当はこんな風にやるらしいよ」と 平鍋と菜箸を操って型を見せてくれた。 それは箸の使い方がまるで逆なんだ。普通≪箸>は巻きの上方にあてがって卵を箸を巻きの下方にあてがい卵を回転させて巻いていくと云うもの。 

あの時 周囲は呆れかえったものだ。そんなこと出来る筈ないじゃ。 妙な空気のなかで親方は付け加えたのだ 「出汁も卵の半分位使うらしいよ。 俺は出来ないけど」

何でも知ってるし何でも出来る評判のこの親方にしては(俺は出来ないけど)と繰り返したのは普段が普段だけにカナリ異様だった記憶が残る。

俺のイージーな生活葉続いたが 俺のだし巻きは相変わらず厚焼き玉子であり 世間様も似たようなものであって 俺も恥ずかしい思いもしていない。

我にも非ず イージーな環境を離れて平鍋はステーキを焼く鉄板の代用をしていた。。

 何か知らんkeど 「太平記」なんかに夢中になっていたっけな。 西成釜ヶ崎に行って<太平記読み>をやってみたいなんて真顔で考えていたもんな。

 何やっていても 不思議に「だし巻き」のことは時に激しく俺を邪魔をする。 どうも こいつのことが気になってスッポリ奇麗に食い物世界から足㋾洗えないのだ。 そんなに値打ちのある生業とは思えないけどな。

 

 あれから20年か30年も経ったある日ある時 酒の肴でも作るか とホコリをかぶって居た鍋をとりだした。 俺の頭の中には過去のことなどない真っ白であった筈じゃ。

それが 俺は 若い時代に耳にした<だし巻き>の作法で平鍋と箸を操っていたのだ。

出汁は何時もどうり三分の一で水出しであったけれども それが我ながら感心するほど

見事に出来上がっているではないか・・・

 あの瞬間の事を何と表現したらいいのか俺は知らない。  とに角 感動だけだった。    どうして こんなことが起きたのか考えようもない。

ただ 「あの男に出来ない事 俺がヤッテやろうじゃないか・・・」 という妙な対抗意識は消えなかったようだ。     出汁50%の黄金比率の方は簡単にクリアーする。 

n   〈老後はだし巻きで食っていける」と信じられていた・   私も口には出さないけどこの噂を固く信じるチンピラの一人であった。 正直 俺は安心した。 金が無くとも家族が無くても 生活保護の  必要は起きないな。 あれはまずいよ。

   俺はその時に<思い上がった>人間に成ったんじゃないかな?

自分でも「どうも変・・・」だと思ったもんな。

 この「どうも変」が老後に入っても続いた。ヤバサの点では生活保護と同次元じゃないの?

                   中津さんそん

Jikowsつれづれ#91 「俺の本性ってなんだ?」   中津さんそん

 

自分で自分のことを「何だか知らんけど お前って変な奴だよな・・・」なんて 最近

は自分で自分に言って納得している。  

 それと謂うのも お前の生きざまの格好は世間様のセオリと云うか常識と云うか当たり前と云う枠に一寸ばかり外れてんのと違うか? と云う事です。

 自分では気がつかなかった?   そうでしょう、そうでっしょ。

酒ばかり吞んだくれて いっぱしの哲学青年ぶって、とどのつまりは野垂れ老人ですからネ・・・・。「

 想えば 我が人生は、いや人間は80才からはじまった。 我ながら感心するほどの遅卷き人間ですわ。 これって、発達障害の変種と謂うやつなんかな?

  金も無 家もなし 家も無ければ 妻もなし、ああ 故郷も無し。 ないない尽くしの人生ともなれば 月並だけれども 平然と笑っているしかないか?  泰然自若と

は遠く離れた人間なのに「余は大満足じゃ」と言うは遠慮するとしても 内心はまあまあの満足感なのだから お天道さまも何も言う事ないわな・・・

肉体的にはカナリシンドイ年ごろだけれども 贅沢は言っておれん 「だし巻き屋さん」は終わりまで頑張る頑張る。 ”だし巻きと云うやつ 結局 最後まで付き合ってくれたのはお前と云う事になったか・・・    めんこい奴じゃ。

                       中津さんそん

 

  

jikowsつれづれ#90 「さてと・・・・」 中津さんそん

東京から旅に出て60年。 人生50年とするなら、とっくの昔に逝ってしまっている筈だ。 友恵吉は21歳で逝ってしまった。 当然、俺の神経には、<弔い旅>の気持ちも

遭った。    そうだ、あの時には身も心も神経も、根性さえも真剣そのものであったナ。第一 若さがあった。「若さ」は「バカさ」に通じるとしても、若いはやっぱり

良いもんだ、「怖いもの知らず」に容易になるからな。

 当座は<時間の冷酷さ>なんてもん神経に触れる人間能力なんて俺には微塵もなかったもん。

 東京にバックするかと思った時には、なんと70才になっていた。 初めて悪寒が走ったっけ。

 手遅れ とは感じなかったし 落ち込みもしなかった のは俺の馬鹿さ加減を言うより JIKOWの真当の実力だと言ってもらいたいよな,神様。

  あの時は勉強したなう。 周五郎を読みふけって江戸学に入学したような喜び感

も硬くなったし、しかし 長年の夢であった「ドイツ語習得」はならなかったけれども

まあイイカ・・・、まだ先があるかも知れんし・・・・・。

 人生 至る処青山あり。 『自分探し」を抜いた俺の人生は これからです。

                        中津さんそん

jikowsつれづれ#89 [おれって割かし真面目だよな・・・・」 中津さんそん

俺が体調を崩したのは 露助共がウクライナ侵攻を始めた時からだった。 馬齢86ともなっていると同期生と言うかポン友達はあっちに早々に逝ってしまった奴が多い。

 ロスケと同じような事を海の上でやっている自尊エリート民族もいる。 虫唾がはしる。 しかし 自分の處も かって満洲というとこで同じような事やってんだよな。

 俺は一生懸命長生きして 結末を冥途の土産話にいたいものだと思っています。

                    中津さんそん

Jikows漫画つれづれ#88「旧友の来訪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 それにしても随分と長いご無沙汰でした。 面相もえらい変わりようだ。 これでは町ですれ違った程度では 「あれ・・・? あいつに似ているようにも思えるんだけどな?」なんて妙な感じも第六巻も生まれようもあるまい。 こいつ 今頃なんの気まぐれでやって来たんかい?

 二人は特別感極まった訳ではないけれど言葉が見つからないので黙っているしかないのです。

「まあー、酒でもやるか―――・?」 「まあ・・そうだなーー」

「酒なら幾らでもある・・・。御覧の如く、ここは天国 一年中 酒池肉林だからな・・・」

「それは羨ましい限りだ。 お前は昔と変わらんな」

「と言っても我が住処には 金無し 妻なし 家も無し。  あれーー 肝心の酒のつまみも無いな・・・。困ったコッチャ!」

「酒の肴か・・・。お前と共有するには 一つまみの塩か一箸の味噌があれば十分じゃーーー」

「そうだな。ヨシキタ!鎌倉武士と行くか・・・」

 

 両人したたかに呑みました。

「お前元気だな?  確か 死んだと聞いていたんだけどな?」

『そんなの ドッチでもいいだろう。  死んでいようが 死んでいようが まあ同じようなもんだろう―――」

「それもそうだが・・・」

==閑話休題==

「さて 次なるは やっぱりニ丁目だな?」

えーーー?驚いた、相変わらず無茶を言うやつだ」

「今から新宿に出たら明日の朝になっちゃうぜ!」

「なに・・ すぐ隣り、五分とかからんサ」

「????ーー」

「お前の頭鈍いの全全お~ン・ナ~じ…」

「貴様に言われたくないわ・・・」

俺があんまり真剣に怒ったためか 大きく笑いながら消えて行きました。

大人げない自分を幾分照れながら周囲を見ると そこは大阪西成の飛田でした。 まあ  

赤線であろうと遊郭であろうと同じもんだからな・・・。

    おわり        中津さんそん