面識のない人の名前を表題に持ってくるのは失礼な話とは思いますが,尾畠さんは(スーパー何某)とマスコミ名称を押し付けられて有名人にさせられております。貴方の意向に関わらず公衆存在となっている者と勝手に解釈させてもらいました。失礼の段、ご容赦ください。
まず最初に私が尾畠さんに痛烈にジェラシーを持った場面ですが、あの児童を発見救助に至った場面です。山地の湧き水のセセラギに遭遇ったと聞いております。
人里離れた場所ではありません。ただ幼児にとっては怖い所に違いありません。児童は助けを求めたに違いありません。しかし、人間が感知できる音を出すことは不可能であったに違いありません 音にならない声を尾畠さんはキャッチしたのです。
確か二晩の行方不明でしたか、二歳の子には一日が限度ですよ。
あの近くには騒動期間中、複数の大人たちが往来していた筈です。しかしきずいたものはいない。
同じ子供なら話は別でしたろうに。
この尾畠氏の身体能力というのか精神能力に圧倒されました。幼童子と大人の感受能力の差
は私も耳にしております。それにしても尾畠春夫氏は格好良かった。脱帽するしかありません
あの子と同じ地面に同じ時間にやんちゃできたのですから。羨ましいかぎりです。
対価を求めないボランティア生活とは羨ましい。災害復興に集まって来た人々です。人間関係も同じ空気の中にあるのかと推察します。ある意味,一期一会の幸運と言ったら言い過ぎでしょうか?
尾畠さんの自由にして堅実なボランティア生活(視線を変えて、勝手気ままなvagabondという人もいるかも・・・)は、おそらく経済的には公的年金と貯金に支えられているものと勝手に想像して羨んでいます。先人も多く、チャップリンにしろ吉田兼好にしろ我が悪友にしろ、
等しく口にしている僅かなでよい手元の金額があると心は強くなってくれます。小生には寂しいバックアップとなっていますが。
きけば氏は鮮魚稼業が長かったとか。魚屋で魚をいじった人間は「口が肥えています」
「美食を知っています」。したがって馳走供膳に卑しくなることはないと聞いております。羨ましい人格・人間性です。
つれづれ続けます