今昔#41 Jikowsつれづれ語り 「老夫婦と20万円」2600字  中津さんそん

 

 昔々と言っても昭和の中頃のことですから差して遠いことではありません。大坂の大和川字  右岸の市営住宅団地に横田夫婦は住んでおります。男は72歳 色黒で肉付きの悪い貧相な年寄りす。女は77歳 ポッチャリ色白のいまだに背筋をピンとさせた上品なご婦人です。まるでフアッション・モデルみたいと云いたいのですが 若い時には芸能界にも顔を出していたこともある 地元身の美人でした。

 この夫婦が”連れ“で歩いているのを見るのは どうも調子が悪いのです。余計なお節介ですが あまりにも【不釣り合い】なのです。美女と野獣の方がまだましだ。男の方は<劣等感〉に苛なまれるだろうし女の方とて<恥ずかしい>なんて思わないのだろうか?

 横田老人は若い頃はかなり評判の悪い男であった。この土地周辺をウロウロしていましたが仕事は不定 要するに警察とは親しい半ゴロみたいなやつでした

結婚の経緯は後で話しますが この夫婦は未だに「アツアツ」のカップルなのです。が滅茶苦茶の貧乏なのです。それでも二人で元気にリヤカー引いて空き缶廃品回収をやっています。

福祉で生活保護を受けた方がずっと生活は楽なのに」と周囲は心配するのですが 「生活保護の話」は この夫婦の前では御法度です。

 夫婦が20万円拾ったのです。廃棄回収した古雑誌に挟まっていたのですが ふだんよくある千円や一万円札でしたら遠慮なく猫ババするところですが20万円は警察に届けたのです。

 この程度の金額の拾いものは大体一年経ったら拾い主のものです

老夫婦は男のたっての願いから 娘たちを箱根に連れて行くことにしました。

此れには深くもないけどイワク因縁があります。

 一人娘も同じ団地に住んでおります。 隣町の鉄工所に働く夫と小3・小6の娘二人の四人家族で六畳二間にトイレ炊事場等々のおなじまどりです。

 この娘は 堺のデパートのトイレに捨てられているのを偶々夫婦が拾い 実子として育ててきたものです。

 この娘の結婚の時 横田は「娘の結婚の時には式の前に家族旅行をするもんだ」とあまり利口ではない男にしては エラク箱根富士屋ホテル固執したのでした

横田夫人は夫の普段とは違った気色ばった口ぶりに怪訝な思いをしたのですが 後に理由を知って「やはり夫は・・・」と複雑な思いをしたものです。

理由は横田夫婦が結婚する前の時間になります。 横田夫人の実家は土地でも有名な資産家であり父親は市会議員でもありました。夫人の姉が旧家の御曹司との結婚が決まった時に父の発案で家族旅行を箱根にし富士屋ホテルに泊まったのでした。夫は何処で知ったのかその出来事を心に留めているらしいのです。夫人はそんなことを話した記憶はないのでしたが。。

 ですが 家族旅行は実現しませんでした。横田の例の<酒とギャンブル>でスッカラカン、結果はフアミレスでお別れ食事会となったのです。横田老人には この時の後悔と申し訳無さ

が消えていないのです。遅らばせながら名誉挽回と行きたい夫の稚気に近い愛情に 横田夫人は大賛成をしたのです

 ところが一人娘は 両親の腹案に反対です。実は母の横田夫人は心臓が何時破裂しても怪しくない業病の持ち主なのです。横田夫婦は結婚以来50年「あんな病気は忘れた」と言って真面な医療診断を受けておりません。事実今までは神様のお蔭か無病息災を続けてきたのですが 

どうも2-3年調子が芳しくないのです

 横田爺さんも心配しないわけではないのですが 夫人に「私は大丈夫」なんてニッコリされると、愛妻べったりのじいさんは全て大丈夫と信じてしまうのでした。

 旅行がダメなら孫たちの奨学資金にと言うと「子供の金の事なら 親は飯食わんでも払うワ」

と逆にサカネジを食らってしまいます。

 困った老人は孫たち二人に決めさせると アッサリ「新幹線に乗ってディズニーランド」に即決です。

 横田老婦人と一人娘の母娘の意地っ張りぶりは相当なものです。事情を知る周囲はそれが嬉しいし応援もしたくなるのです。

事情というのはこうゆうことです。横田夫妻の結婚のことです。もう かれこれ30数年前のことに為りますか? 前にも話しましたが 横田夫人の実家は古い資産家で 主人は代々続く庄屋であり市会議員なのでした。その次女に 即ち今の横田老婦人ですが としごろ適齢期となりまして知人縁者から多くの縁談が持ち上がっておりました。勿論本人を知る幼馴染学友遊び友達からの熱烈なラブコールもありました。

 所が決まったのは 名前も面体もロクに知られていない男、 そう 現在の横田さんが選ばれたのでした。 それは世間を驚愕させ納得させるものだったのです。それは前々から噂になっていたことですが「あの娘は業病の持ち主で子を産めない身体じゃ」と言う面白半分のヤツカミでしたが 次女本人が機会をとらえては「私は可哀そうな石女【産ず女】」と公言し始めたのです。

 これで<婿候補者>は一人もいなくなってしまったのでした。平成や令和の時代には信じられない本当の話です。それだけ子孫を繋いでいくことは大事だったのです。

結局 残ったのは横田青年唯一人となっていたのです。横田青年だとて この富豪の次女とは地元の小学校が同じという程度の仲でしかありません 遠くから目にした時には 【いい女じゃワイ」とは感じても【住むところが違う女】ということを知っております。元々周囲の曲がり根性共が冗談交じりにお膳立てをした芝居が妙な結末となってしまい 最後には 父親と次女に泣きつかれてしまい【変な御結婚】が出来上がってしまったのでした。御令嬢はカスを攫ませられ 若者は貧乏くじを引いた と暫くは今も続いておりますが土地も笑い話になっていたものです。

さて 爺さん婆さん 娘家族四人の一族6人の東京行を一週後に控えて大事件です。横田夫人が突然卒倒 救急車で運ばれましたが翌日未明には死亡が確認されました。

言葉もありません。

あんなに無病息災 夫婦になってから40年近く病院知らずの婦人です。

横田さん自身 妻の業病は知っていた筈です。しかし油断だったのでしょうか? 神様はあまりにも理不尽すぎます・

葬式は団地の集会所で済ませました。20万園の葬式何て簡略なものです。お坊さんのお経何て妙に短かった.棺の隣で横田老人がそれしか知らない般若心経を繰り返し繰り返し上げているのが印象的でした。焼き場までは 娘の強い希望で あのお城みたいに金ぴかの霊きゅう車で行きました。

おわり

PS;当話は (19・12・5ブログ)孫たちへの遺書#3「二十万円拾った話」をrewriteしました。