今昔#36  「Jikowつれづれ語り(捨猫物語)」5800字  中津さんそん

つれづれ 現在私は大阪西成に長くリバークを続けておりますが 全国どこに行っても ニュースとかワイドショウの時間になると 渋谷駅前のスクランブル交差点がテレビには映し出されます。駅前はガキの頃の俺の<ヨタっていた処です。東横百貨店は東急となって存在しておりますが NHKは未だ田村町の方にあった頃です。渋谷駅前の映像を見せつけられると 私は即く少年時代に戻されます。。お蔭で時空の観念が<万年少年>の有様です。。いいことか悪いことか さてどんなものでしよう。まあ少年老い易く・・・を地で行っているだけの話でしょうか
 ハチ公の銅像は今とは違い駅出入れ口の正面に鎮座していました。頭に残るのは雨の夕方ハチ公の足元に捨てられていた子猫です。
「捨猫物語」は「jikow日瀝」に書き換え続けて来たものです。本日のものは 去年暮れに(2019・11・22)ブログしたものに手をいれました。
「捨猫物語」(5800
 仲良し三人組が下校途中鎮守の森で ダンボールに入れられた捨猫を見つけました。子猫は赤ん坊ではありません。既に猫らしい毛並みです。目の方も大丈夫でしょう。
 飼い主が「捨てるか育てるか?」と躊躇している内に大きくなってしまい 「ヨシこれなら大丈夫、自分で食っていける」と安心して捨てちまったのであろうか?

 『あら 可愛い――』三人は歓声を上げて駆け寄りました。
「お腹空いてるのと違う? すっごく泣いてんじゃーーー」
四人は 可愛いけどサテどうしたらいいものか?。 と捨猫を囲みます。
相手は「捨てられている仔猫」です。迂闊に手を出せないことぐらい皆んなは
知っているのです。
すると突然 英子が「私が育てる」と取り上げると懐に抱き込んでしまったのです。
残りの二人は本当にビックリしてしまいました。「誰も横取りなんてしないけど そんな捨猫を拾って帰ったらどんなことに為るのか 私知らんよ・・・」
「英子ってバッカじゃない。学校は出来るくせに・・・」

 家に走りながら 英子は動機が激しくなるばかりでした。
《捨猫を拾って帰ったらまずいことに為ることぐらい私だって知っています。》 だけど これはリベンジなのです。母親に対するリベンジなのです。そんな簡単なことじゃないんです。
物語は去年の夏のことです。
英子は 今日と同じように捨猫を拾って帰りました。
事情を察した母の声は最初から尖っておりました。「どうすんの? 此処では飼えませんよ
マンシヨンはペット禁止,知ってるでしょ 《こんなことも解らんのかしら、この娘はー、情けない》 母はいっぺんに機嫌悪くなりました。
「戻してらっしゃい」
有無を言わせぬ命令です。「戻すなんて 出来る筈ないでしょ…」英子は悲しくて泣きだしてしまいました。
 そうこうする内 父と兄が帰って来ました。
英子が泣き止まないので家族は困ってしまいました。それで その夜だけは「なんとなく」家に置くことに為ったのでした。 お母さんは 英子ともお父さんとも目も合わそうとしないし口も利きません。母は本当に怒ってしまってダンマリですから、父も兄も黙ってしまいました。
英子は小猫を抱いて一緒に寝ました。柔らかい温もりに 何時もよりグッスリ眠ったのでした。
ですが翌朝目が覚めると子猫がおりません。「あれ…?」。お母さんはアッチ向いてホイ。全然知らんぷりです。 母が夜中に捨ててしまったに違いありません。
英子はパニックです。パジャマでマンションを飛び出していました。早朝で人通りがないとはいっても パジャマ姿の少女が「チビ チビ」と駆けずりまわっている姿は異様です。
恥ずかしいなんて言っておれない。
普段は暗くて怖い森の中にも入ってみましたが無駄でした。
母の卑怯が許せない。英子は泣くに泣けない。布団に潜り込んでガタガタ震えています。
お母さんが出てきて 朝露に濡れた娘を心配します。
「ご飯いらない」「学校行かない」 後は何を言われても返事もしない。
結局 英子は熱を出し一週間も学校を休む羽目となったのでした。
リベンジとは この事件の事なのです。
 ところがです。今日の母は一年前の母とはまるで違います。キッチンから振り向いた顔は声からして優しいの・・・「あら 可愛い子猫ちゃん どうしたの?」 フン 捨猫だって言う事解っているくせに・・・ 『お母さんに抱かせて・・・』と近寄ってくると子猫の頭をナデナデするではないか。そして 何処となく抵抗気味の英子の腕から子猫を取ると「オーよしよし」と赤ちゃん抱っこをして上下左右に揺らすのです。
<母は一年前の事件を忘れてはいないのだ。気にしてくれている》娘はハッキリりかいしました。

 実は 母にも同じような経験があったのです。
30年も昔になります。この英子と似たような年頃のことでした。
子猫を拾ったのは 渋谷駅ハチ公銅像の足元でした 終戦後二年の渋谷駅前は舗装のされていない場末の広場に過ぎません。 雨ともなると一面の<ぬかるみ>と化します。正面の交差点の横断には往生したものです。
駅舎と同居した東横百貨店が渋谷の象徴です。隣の新宿と比較するなら静かな田園街と言う所でしょう。 ですが 玉川本線、東横線のターミナルでもあるので結構人の流れは多いのです。
正面には木造二階の大林百貨店が親分面をして構えています。当時としては珍しいコーヒーの香りを漂わせています。 そこは 瀟洒な小店舗やこじんまりした事務所が雑居するユニークなビルです。
駅前広場の昼間は キリスト教の布教共産党の宣言右翼の街頭宣伝と 賑やかなものですが夜ともなると子猫が捨てられるような寂しい広場でもあります。
道を横切った向かいの露店みたいな書店に人人が群がっている光景が並の繁華街と違う所でしょうか。人間は活字に飢得ていました。中二の私も大盛堂でわら版紙の数学参考書を買った時 床が地面であったことを覚えております。
広場から恵比寿代官山鉢山方面に向かえば まだ防空壕生活の人も見られた時代です。
英子の母親も その界隈の少女だったのです。
 雨の日でした。ハチ公下にずぶ濡れに泣く捨猫を見つけました。 可哀そうで放っておけるはずないでしょう。当然拾って帰りました。
 家族の大人たちは困りました  
少女の心を無にはできません。 と言っても 人間でさえ碌に食えない時代です。
親は泣きたい気持ちで説得しますが。娘は納得しません。無理な話ですが親は譲歩せざるを得ません。「家に置いてもいいけど 食事の面倒はあなたが自分で見るのですよ」
少女は狂喜しました。
親としては 少女が現実の無理を理解せざるを得なくなるのを待つことにしたのです。時間に解決を委ねたのでした。
 少女は自分の食事を削って頑張りました。ですが 此れはしょせん無理な話なのです。それこそパン一枚で命のやり取りがあっても不思議でない時代です。
 少女の近所にコソ泥が頻発しました。犯人は誰の目にも明らかです 泥棒猫の存在です。人間だけが腹減るもんじゃありません。猫だって腹ペコです。ましてや成長期の子猫です。食べたい盛りです。
少女は 泥棒という言葉にショックを受けました。「たとえ餓しても盗みはせず」。日本人である少女は生れながらに持っている人の道でした。飼い猫ならば 当然人間と同じなのです。少女は泣きながら子猫を叩き続けたのです。見たこともない妹の狂気を兄貴が停めなければ 本当にどんな結果になった事やら・・・
 子猫は少女の心を知ってか これ以後は 泥棒の真似は一切しなくなりました。
ところが子猫は目に見えて滅茶苦茶に痩せていきます。 憔悴しきった子猫を見て 少女は何とかしたいけど余裕がありません。
「どうする?どうする?」と頭を抱えているうちに 子猫は忽然と消えてしまったのです。
少女は悔やみました。
私たち一家の甲斐性なしを見限っての家出なら納得できます。 しかし 彼は未だ鼠一匹満足に捕ることも出来ない幼児です。家出して自立したとて どうなるの?
「猫は死ぬときには人間にその姿を見せない」といいます。
少女はスッカリ落ち込んでしまいました。『私が馬鹿だった。可哀そうだなんて安請け合いしても 満足に食べさせることも出来なかった力なし何よ。子供が出来る事じゃない
私が余計なことをしなければ チビは泥棒でも何でもやって逞しく生きていけたのに・・・
お母さんには、こんなやりきれない過去があったのです。

 英子の家族に取って子猫は招かざる客です.無視も出来ない と言って大事に飼うこ゚とも出来ない。困ったことに為りました。特にお母さんにとっては 去年はとんだヘマをやってしまったので 今度は慎重に行きます。心は 母娘関係の正念場ですから・・・
 夕食前から両親は何やら小声で話こんでいます。困り抜いている様子です。リベンジだなんて格好つけていたけど 少しやり過ぎたかなと英子はチョッピリ後悔もし始めていました
 とにかく家族会議となりました。会議二時間の結論は『一週間は家に置こう、その間に何とかするさ』
 ペット厳禁のマンションですが そこは管理人さん理解があります。こんな話には慣れているらしく「OK OK 大丈夫」そして付け加えるのでした「引き取り手が無かったら いいとこ紹介しますから」
 其の一週間 英子の家族は戦争でした。
父は会社関係を総当たり 母は仲の悪い横浜の親戚にまで電話をするし 兄は友達だけでなく部活の先輩コーチにまで相談するし 英子本人は恥ずかしくも街頭で<動物愛護の精神>を
ブチまくったのですが 結果は全てダメでした。
「人気無いんだなあ」 貰い手が無ければ 管理人さんが言ってたトコに相談するしかないか・・・」
 
応対に出たのは愛嬌のいい中年紳士でした。NPO何某の名刺を出す.事務所は病院みたいに清潔で、職員は皆さん白衣です。信頼感いっぱいの雰囲気です。 ですけど 何故か母子には応対の紳士の細い目が気になって仕方がありません。
思いの外に高額の経費を請求され、<たかが猫ちゃんの世話に…>と母は一瞬苦笑します…
「この子猫ちゃん そんなにセレブじゃないんだけれど・・・」
【まあそういわんでください】と卑しい笑みを浮かべ 怪訝顔の母娘に紳士は当然のように説明をするのでした。「ご存知でしょうけれど・・・」。母子は初めて耳にすることでした。
世の中には 犬猫のほかにもサマザマなペットがおりますが 可愛がる人間の方には色々事情が起こります。 引っ越しがあったり 餌費用は掛かるし 特別な事情が無くても<嫌気が 刺す>こともあります。
 猫と人間の関係も 「サヨナラだけが人生よ」になってしまうことが多いのですわ。その時はどうします? 捨てるか 保健所に持っていくしかありません。役所では危険な奴と一緒に処分します。殺処分です。
 母娘葉こんなこと知りませんでした。紳士は続けます
「ペットを自分の手で殺しにつれていくのは チョットねぇ 嫌でしょ?」と 母娘を覗き込む  「そこで我々が代行する 都いうことです。まあ 世のため人のために汚れ仕事を頑張っているということです」
母と娘は現実に圧倒されてしまいました。
瞬間真っ青になった二人は 気が付いた時には子猫を強く抱いて家に逃げ帰っておりました。
「ああ 怖かった」互いの顔を見ると引きつっています。思いは同じです。長い沈黙の後二人は同時に叫びました。
「そっちがそっちなら こっちはこっちで行くぞ・・・」
マンションは猫禁止です。新しい解決策を考えなければならない。いずれにしろもう人間には頼めない。神さまも要らない。
 
 その夜の家族会議は白熱 超盛り上がりました。そして出した結論は全員一致『子猫は森に返す』でした。時計は0時を過ぎていました。四時間も話しあった家族会議など初めての経験です。
 会議の模様をチョットだけ書いておきます。
母と妹の報告を聞いて 兄が捨猫の殺処分を猛烈に怒り始めたのです。兄貴は猫問題に関しては どちらかと言えば無関心に近い態度だったのに 殺処分という言葉を聞いて豹変した怒りは日頃の兄貴からは考えられないことでした。そして「いかに人間は思い上がった殺人者であるか」と 延々2時間も独演が続いたのでした。「狩猟と殺処分は違う」から始まってコマゴマと歴史的出来事を語り 最後はアンネ・フランクの殺処分を怒り泣くのでした。
英子は改めて兄の優しさに感動したのですが 何よりのことは 兄貴のスピーチの間 父と母がそれこそ微動だにせず息子の話を聞いていることでした。お母さんは 息子が一段落と座に戻った時には 「チョット休憩しましょうか…」と言って珈琲とケーキを出してくれました。
そのあと最後には 「ヤッパリ人間は動物と一緒に自然生活が夢だな・・・」
なんてことに為ると 父は「高尾山のふもと・・・」と言って「仕事が近いから・・・」と笑わせる。お母さんはお母さんで「八ヶ岳か蓼科よ」って譲らない。 家で一番のロマンチストは父と母である。
これが 「森に返す」の真相です。
 翌翌日の早朝五時 まだ暗いうちに 家族はそろって 子猫を森まで送りました。 自分たちだけで彼の新しい門出を応援する気持ちがあります。それより うちで飼ってやれない詫びの気持ちが強い。
 幸い この森は ねずみ イモムシ 蛇をはじめ食糧には不自由しない 近所にはキャッツ・フ-ドをばらまく暇人もいない。 
 それでも 子供のうちは自給自足も大変でしょうと 英子母娘は毎朝 なにがしかの差し入れをしてはいましたが・・・。

 一年を過ぎた頃には 子猫は足腰も逞しくなり 立派な野良猫に成長しています
名前を呼んでも 三度のうち二度は顔を出さなくなりました。
「「もう私たちは お呼びは無くなったのね」
母娘は チョッピリ寂しいけれど 本音は自慢タラタラなのです。「やったぜ・・・」
と あのNPOのおっさんにだけでなく 世間様に言ってやりたい。「子育てとは こういうものじゃ」
雨が続いた晴れ間に 好物のイワシの缶詰を開けて持って行った。
「雨だったから 今日は居ないかも?」と期待していなかったのですが なんと 
先に来て待っているではありませんか。  
しかも すました顔で「早くしろ!」と言わんばかりに「ニヤゴ-」と威嚇するのです。。 
全く勝手なんだから、何様のつもりや?
ですが 腹も立たない。 それもいい。
必要な時になったら 顔を見せてください
                        おわり





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