今は昔#10 「人足 ダム工事に死す・・」 中津さんそん

( はじめに)

夜勤仕事のトラックに乗りました。尼崎の製鉄所です。やけに単価がいい。 チョット危険かもしれない。何時ものことです。

 現場は広大な敷地内の廃工場でした。 場違いの感じです。我々人足に専門知識は無理です。こんな妙チクリンな手配は度々あります。どうせ手配師の早とちりでしょうられます。素人の人足なんかに危険な仕事は困る。”労災“はタブーに近いの

す。「何もせんでよい。その辺で見ておれ!」 二十人の

人足たちは工場の片隅から「工場解体」作業を見学する仕儀となったのです。一流会社は<安全>にはかなりヤカマシイ。怪我でもされて 「労災」問題ともなったらヤバイのです。小学生の社会勉強じゃあるまいし 阿保らしい時間が小半日もありました。

案の定 「現場チェンジ」と言われ トラックの荷台に押せられ真夜中の、山道を走る事数時間比較的大きな飯場に着きました。なんか知らんけど疲れました。飯食って即あてがわれた布団に潜り込んでしまったのです。真夜中暫くして人の気配に薄眼を開けみると ボーシンらしき男が 懐中電灯を当てて一人一人「こいつ使えるかどうか?」チェックをしています。案ずると わしらの手配師は現場では信用が薄いようです。

 翌朝わかりました。ここはダム建設のかなり大きい飯場です。やがて人工湖となる山間も俯角もなければ広くもない。谷底の小さな部落も 遠目にも人の気配が見れない廃村になっているみたいです。

 人足の中には根っからの飯場嫌いもいます。人間関係・団体生活は苦手の病気です。彼らとボーシンから「肉体的に無理」と判断された人足は onedayの賃金で下山しました。幸い私は合格したみたいですが残ったのは二十人中三人です。

 

(本文)

 当時東京では 「黒四ダム」の話が賑やかでした。まさに 男のロマンここにあ

私も 軽薄青年らしく 好奇心丸出しにこの飯場をチャンスとしました。今思うと情けない程「尻軽兄ちゃん」です。

ダム工事は餓鬼や坊やの来る処じゃございません。安直なアルバイト稼ぎとは次元が違うようです。

【命預けます】なんて格好いい芝居セリフは別として 命が担保の金稼ぎと言ったら良いのでしょうか?     頭無いから体しか元手無いもんで・・・

 青年は毎日スコップで穴掘りです。ブルもシャベルの使えない中腹のプラットホームです。

事故は落石でした。径一メートルほどの巨石が青年の背後に落ちたのです。背後と言っても上着を掠る濃密接近です。 ぐうぜん現(場監督が目撃していて 「ホー」と口を開けたまま言葉もありませんでした。

 

(あとがき)

 お粗末な青春を総括するつもりで始めた「今は昔」なのに とかく、懐かしい昔話になりがちです。 本当は 【懐古】でなく【悔古】では・・・

                    おわり