孫への遺書#43 中津さんそん 五番「大陸孤児」(8)

 「日本に帰れる」とします。っしたとりこに 言う噂はたちまち残留孤児たちをとりこにさしました。 彼等は寄ると触ると日本のことばかり.彼等にあるのは夢だけなのです、現実の生活はそれだけ<夢も希望も無い>ものだったのでしょう。

ところが 剛には両親もおれば妹もいます。家族に不足はありません。 なにも今さら日本恋しくなる必要はないのです。

無関心、そのものでした。

 一方 日本の母親は中國渡航が可能となるや、即 瀋陽(旧奉天)に末っ子を探しまくりました。

預けた家は跡形もなく、一家の消息はようとして知れません。一家没落の原因が あの文化大革命であっただけに なおのこと過去のことなんか と複雑にしているのかな。。 母は 己ら親子の不運に嘆息するばかりでした。

新聞テレビのマスコミ関係 厚生省 支援団体 宗教関係 知人等々 あらゆるコネを頼ったけれども結果はゼロだったのです。

 その一方、中国大陸の方では

最近やたらに養父母は 日本人子女の日本帰国を口にする。

「一度、役所に行って どうなっているのか? 確かめてきたらーー」と 折あるごとに、息子に勧める。

「日本ノお母さんがーーーー」と やられると

「うるさい!   余計なお世話だ」と つい言葉を荒くしてしまうのでした。

「あの人たちは子供を捨てたんだ。

僕は中国人です、日本に興味はありません

 老いた養父母は 今日は何時もの温厚な両親ではなかった。 命令に近い 強い口調なのです。

そして、始めて”あの夜のこと”を話したのでした。

日本の母親は 三日三晩 お前が泣き鎮まるまで 耳を両手でふさいで窓の外に佇んでいたのジャ. 生きている ことを見極めてから 若い衆に何度も何度も「お願いします」と頭を下げて立ち去ったのじゃ。「

子供を捨てる親がどこの国にいる?」

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                                                         中津さんそん