孫への遺書#40 中津さんそん 五番「大陸孤児」(5)

 敗戦 戦後処理と戦後日本は筆舌に尽くしがたいものでした。

 一家は 亡くなった父の実家に世話になりました。

二人の息子は祖父の援助で大学まで行かせてもらい社会人としてスタートをきっています。 びょうしん だった娘も健康を回復 町役場に就職 やがて結婚して隣町に住んでいます。

 母親は 二人の息子の自立を機に東京に一人移住しました。 建設現場の労働者の賄調理の職を見つけてきたのです。 世間は何を今さらという思いでしたが 本人は

覚悟の上京だったのでした。  

実は 母にも新しい人生の誘いもあったのですが 耳に入ることはなかったのでした。

梅蘭芳に似た美人です 世間が放ってはおきません。

しかし 彼女の頭には大陸に残してきた”末っ子“のことしかなかったのです。

 

 その大陸に残された剛少年は 今では二十歳過ぎの好青年になっています。

あの日一緒に万頭を食べた二歳下の妹は結婚して北京にいます。 青年は養父母と三人暮らしです。

養父はかなりの老いですが 未だに小さいながら煉瓦工場を経営しています。

根が侠客肌だから 働いている者にも勇み肌の若者が多い。

 強が「小日本鬼子!」と 苛められて帰ってくると

「うちの若に何をするのかーーー」

と、 棍棒を持って飛び出していくので 近所の者は剛少年には手を出さないのでした。 ”陰口”だけが多くなったのでしたがーー。

苛めるのも中国人 守ってくれるのも同じ中国人であったのです。

 

 青年には恋人もでき まさに青春の時でした。

文化大革命が吹き荒れたのでした。 旧体制を改革する運動です。

ですから 養父のような侠客まがいの小市民はひとたまりもありません。 生活は一変します。 大陸孤児となった日本人だけでなく、中国人自身受難の時代でもあったようです。

一家は家財を没収され、東北奥地の集団農地に追放され青年は炭鉱に回されました。 恋人は去り 何故か妹までが離縁されて北京から戻ってきました。

 剛は 家族が受けた災難は 自分が日本人であるが故の“とばっちり”である、と考えざるを得ないのでした。

なのに 父の母も妹も自分を責める気配は微塵もない。

青年懸命に働いた。父母は慣れない労働には体調を崩づすし 一家の生活は青年の肩にかかったのでした。

 「いやいや 大丈夫大丈夫」

この家族は俺が守る。どんなことがあっても絶対捨てたりはしない。

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