Jikowsつれづれ#⃣100  「だし巻き・私のレシピ」  中津さんそん

  「だし巻き」を長々とブログしてしまいました。 たかが《卵焼き」、されど我が人生、いや 我が青春と言いたい。

  終わりに 一般的なものですが 私の「だし巻き」レシピをノートして置くことをお許し下さい。

    たまごとダシの比率はⅠ:2です。 体調次第では60%をこころがけます。

 だしは 水と市販の白だしを混合塩梅、それに味つけは塩と砂糖、あれば味の素若干というところです。

   Jikowsつれづれ             中津さんそん

Jikowsつれづれ#99 [だし巻き屋 野たれ死にか?」中津さんそん

    ”  ”だし巻き玉子焼き”を説教してくれた先輩職人は 確かに言った。  そう「こいつが出来るようになれば 一生”飯”には困らない」と。 

「一生飯には困らない」。 このフレーズはこの当時の私にはどんなにか甘い蜜の

囁きであったことかーーー。  青春丸出しのvagabondならぬobakabondのノーテンキ若男でも、無一文の零泊生活を押し付けられるのは正直言って怖いのです    

俺はジブンが臆病であることを否定はしない。言いようによっては慎重

と同義語にも取れるじゃないか・・・.  要するに気が小さいだけです。 それで良い。

 で、出来た、出来る腕になった。 これで一生飯がくえる。 生涯ご安泰の 年金を手にしたようなもんです。 親父さん、安心してください

ところが、世の中甘く行かんものです。   わしゃ,未だに「めし食えん」  別に自慢できる話でもないか・・・      「こんな年になるまで、コンナ事にも頭脳が及ばなかったとは、相当なおバカさんですね」と笑うしか無いわネ。

だし巻きのスキルで起業みたいな事をやらかす勇気も資金も有るわけないし、さりとて、75才を超えると雇用されるのも儘ならぬ日本の事情です。

嫌らしい言い方をすると 今俺は現在・現実の助っ人が欲しい  。。 それは淡い夢の期待に過ぎなかったようだ。  

てなことになってしまうと だし巻き玉子焼きヨ、もうお前の面なんか見たくもない。

あっち行けや! と言ってしまうところなのに なんか無性にお前さんが愛しくなってね・・・・・

俺は あんたを捨てたりは絶体にしない。 偕老同穴もいいもんじゃ。

  Jikows つれずれ        中津さんそん

 

 

Jikowsつれづれ#98 「だし巻き玉子焼き(10)」 中津さんそん

  出しまき玉子焼君 今君をまえにしていると わたしの気持ちは複雑なようで

かなりストレートなまでに単純明快、気分は子供子供と東北6県の健児たらんと

覚悟をしていたSSM夫婦の次男坊童子でした。純粋でしたな・・・。

 昨今のだし巻き玉子焼きと言えば 味付けに複数の工夫をした「卵焼き」です。

 斯く語る私の「だし巻き」は かれこれ50年以前になるけど「だしは卵の50%」の 

伝承を叩きこまれた昭和人間です。

確かに 俺は伝承比率2:1のことは頭を離れることはなかった。 何時かは2:1をやってやろうとは思ってはいた。 しかし 何時まで経っても出来なかった。 『そんなの出来る筈ないじゃないか・・・」と言うのが仲間内の結論であり 私自身自分にそう言い聞かせて納得していた。 相変わらず 商品は「単なる味つけ一杯の―――玉子焼き」に過ぎなかったものな。 その頃 俺は業界から身も心も引いた別世界に移ってしまったが その時のヤケクソの心情には「この2対1にへばり付けられたコンプレックスも強かった筈だ。 (たかが玉子焼きにこんなに神経つかっておれんじゃ・・・)。

(たかがチンピラの癖に 人間なら誰にでもあるか 私自身のプライドが思わせてんだよな・・・。 ケチクサイ話し・・・)。

 あの時から20年 いや 30年ぐらいは逝ってんのとちがうかな?  今の俺には時間

の違いなどどうでもいいわい。 それは何時もの一人酒をやろうとしてゴッチャゴッチャしていたら なんと「あの50%だし巻き」が出来てしまったのだよな・・・。

あの時 俺は力んでも・特別に意識をしていたでもなかった。 感激も・驚きもなかったな.  ただ一瞬 神様のお陰だと思ったもんな。

 俺も80年代に入ると 人間界は<オサラバ適齢期>だ。 周囲は日々ざわついている。。 ところが 私自身には何らのコンプレックスも出てこない。

俺自身「お粗末人間」であることは十分承知しているけど 何故?この静けさわ  ?

 私は これを「だし巻き比率50%の卵焼き」を抜いたことに原因すると信じております。  たかが《卵焼き、されど・・・・・》。と言う話です。

    Jikows        中津さんそん

 

jikowsつれづれ#97 「だし巻き玉子焼き【9】」中津さんそん

たかが玉子焼き。 されど「だし巻き玉子焼き

「頼むぜーーー」 あまり自慢になる話ではないが 俺は90に近くなりながら未だに

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間が出来ていない。 酒場騒ぎでは 「大器晩成ヨ・・」なんて笑っているけど 心の中は泣くことも出来ない臆病な奴だヨ、ほんに俺様は。

 少年よ 大志をいだけ! なんて言葉があったっけ。 当然、俺もヤンチャな大志の少年でした。 あの年ごろって本当に「いいな・・・」。

夢を持って金が必要になったら、働けばいい。働くとは肉体労働だ。

 

昭和21年・22年・23年・24年の日本は 何処に行っても食い物もない戦争に負けた国であった。

大志とは先ず食うことからはじまる。

 少年の大志は先ず「食べる」ことであった。 よく働いたな・・・。 14歳の新聞少年の出現には男親はかなり複雑な顔をしていたようだ。 だが少年は知っていた。 食べる爲には労働をすることじゃ。 労働とは肉体労働じゃ。机にへばり付いていたり 下手糞な芸人じゃあるまいし ベラベラ喋り散らすのは労働じゃないだろう。

我が人足人生は ヨー頑張った。 剣スコ(ップ)一本 何処の地面でも掘りまくったわなあーーー。 立米幾らの賃金だったからな。ブルとか機械もの達の姿なんて見ない時代の育ちよ 俺たちワ・・・。

それが知らない時間の中で気が付いたら人足労働者に飯盛りを用意する立場に潜り込んでいたわ

そして 時が経って「だし巻き玉子焼き」に出会ったしだいです。

汗と(チキショウー――なぜや・・・)の怒りのなかで飯食ってきた仲や。

やっぱり そんじゅうそこらで 簡単には離れられん間柄か・・・。それもヨイ。

   Jikows             中津さんそん                    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

jikowsつれづれ#96 「だし巻き玉子焼き(8)」   中津さんそん

  だし巻き」が出来たら 一生めしは食っていける、と説教されたけれど、86才老人になって未だにこのざまーじゃ。  食えない。先の見通しも出来ない。これでは、やっていても「張り合い」がない。     で、止めた。eン 食っていけない・・・・・ 

しかしだ、世の中、べつに深刻に考え込むほど御清潔な舞台では無いようです。

日本にいる限り まあまあの生活をやっていけるというものです。

まあ日本に打ったyあっても 東郷失調症とか言ってる甘ったれの分裂御仁には理不尽の思い

をさせられていますが ガザやウクライナでの出来事を目にするだに その「理不尽さ」には 流石にアイツラがやることは スケールがデカいわ !

 私の「だし巻き玉子焼き】なんてのは 所詮は単なる卵焼き それも贅沢・奢侈の部類に入るだろう物体です。 映像で虚ろに落ち着かない双眸をした子供達を目にするときの自分の心を俺は表現できません。 私は だし巻きなんかをやっている己がやり切れなく恥じいるばかりです

よくこんな時は 何所にでも飛んでいける医療職業の人たちが羨望に近いまでに『がんばれや』と黙って応援をしております。Jikows

                 中津さんそん

jikowsつれづれ# 95 「だし巻き玉子焼き (7)」  中津さんそん

だし巻き様、私はあなたとこんな仲になって人生の終盤になるとは、かなり妙ちくりんな心身なのです。 出会いのスタートからして、俺にとっては普通平穏な環境下じゃなかったしな。 しかし あの感動も何らの玉もなかった出会いが自分の終末まで続くとワ!  これも幸運かも知れませんね・・・。   祝い笑って酒を酌む相手も居ない今となっては侘いaしいもんですわ。金 婚 矢のごとし とは笑っちゃうぜ

 私は 今「だし巻き屋」として老いをやっております。 その経緯を 俺は日や時間に関係なく 心中に 繰り返します。 未だに今のステイタスに落ち着いていないのです。  真に年ばかり取って 情けない人間ですことよ。 俺が 落ち込むのはこんな時だ。 

 「だし巻き玉子焼き」を知ったのは50数年前になる。 当然のことながら 俺の人生にもイロイロあった。 包丁生活をやめてから25年にはなる。現役時代の(私のだし巻き)は ごく普通の一般的なスタイルであった。 恰好だけは 平鍋で箸を使いクルクル焼くものです。」

これは 関東でも・関西でも 温泉地でも・都会でも 同じようなものでした。

俺ごときは これでも満足な商品が作れず 職場では随分と「嫌な想い」をさせられたものです。 当時は 私を含めた周囲は だし巻きとは あの独特の四角いフライパンで板付きの蒲鉾形に焼いたものを「だし巻き」と云うんだと思っていたほどです。 お粗末な限りの笑い話です。

 結局 私は(性)が合わずに職場を離れましたが 「だし巻き玉子焼き」の方は「こんなもの人間が出来るか?」てな調子だったのです。

ところが アレから30ねん、偶然に出来てしまった

それからは 酒の肴はこれに限るとすっかりお友達になってしまったのでした。

 だしの量が多くなっていくのは自然の勢いでした。 私には全然丸っきり苦痛ワ起きない。不思議な現象でした。

  そこに キッコーマン氏による「だしの黄金比率は2対1である」なる書き込みを見て なんか無性嬉しくなってしまったのです。

 

    俺の生まれと育ちなんだろうなあ。 たかが「卵焼き」、されど「卵焼き」なんだよ。   

嘘もあれば 真実ものも多い。 それにスキルだって思いのほかに厄介なんだぜ。 やってる奴はプライドがあんのか あんまり本音は吐かんけど・・・。

   「だし巻き」、もう一度遣りたい        中津さんそん          

jikowsつれづれ#94     「 だし巻き(6)」 中津さんそん

  ここまで来ると なんか だし巻きという奴が無性に可愛くなる。

始は嫌な奴だった。 それが 長年連れ添っていたら 離れられない仲になっていた。

なんて大人の話となると 夜長の酒の肴として最高です。

どうしてこんな話になったかというと 86才になった今さらになって 戦争のことに不眠症かな? なんて夜が続くんですわ。  俺はこんな高級なものに罹るような上等な人間様ではありません。極単純な人足一代です。

 体調急変の原因は 云わずと知れた あのウクライナ侵略事件とイスラエルが見栄はっている手前勝手の弱い者苛めです。

 私は終戦時には入学式も経験しない学校も見たことの無い7歳児でした。 後に本土に引き揚げてきましたが満州国で生まれました。 そんな事情でロシアという単語には特別な感情を持たざるをえない。

あの当時 新宿には歌声喫茶大賑わい 駅前の狭い広場では ソビエットだとか 安保

とか明け方まで議論していたっけ そして女の子なんかが人の間を潜り抜け 謄写版

すった自作の詩を売りまくっていた。 独ソ戦で驚異的犠牲を払いながら国を守った愛国心を畏敬するシンガーも多かった。

 話題を換えて ユダヤのことになるけど 比較的静かな時間を一人で持っているときなど 無性にイスラレル人の   頭の良さに腹を立てることが多かった。 俺は どんな学問やっても社会的に認められる水準に至らない能力にかなり疲れていた。 そんな時の先輩の言葉が「ユダヤ人の脳みそは他民族とは出来が違うことが科学的に証明されている。」という面白噺でした。  それで私は「じゃ俺は将来 イスラエルの女性と結婚  。子孫はノーベル賞間違いなし」。と笑ったものです

その後長くも経たないある日ある時のこと

パリ・シャンゼリゼ大通り、華やかな世界的有名店の裏が連なる裏小 道です。 近所のおばさん連中の一団が激しい罵声の中の投石三昧です、それは余りにも街の空気にソグワナイ憎しみの一幕を見せつけられた事実でした。

その年ごろ、アウシュビッツのことなど よく考えるときでした。

幾ら戦時中とはいえ あんな非人道の行事(?)を 半ば大っぴらに近いガードでやっておけられるとは 何とも不思議と云うか面妖な出来事に思えるのでした。

 

  自分の《だし巻き玉子焼き≫を持ち上げる前置きがながくなりました。

結論を言います。 今の世の中  私には何がなんやらサッパリ分らんのです。 それに引き換え 我が半生の時間 意味不明・実体不解明であった《だし巻き玉子焼き≫は分かった、のです。  たかが《卵焼き》程度と云うなかれ。

 

 一方は 理不尽・身勝手な大量殺人でしょう。  国だとか民族とかのリーダーともなれば凄いものですね。

       だし巻き(7)続けます     中津さんそん